第一章     初夏の日の弔い

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第一章     初夏の日の弔い

 自動販売機にカードをかざしたら、チャージ額が減っていることに気がついて、またチャージしとかなくちゃな、と心の中でつぶやいて、ジェルは紅茶一つにコーヒー二つ。数を確認して席に戻る。 「コーヒーと紅茶、お待ちどうさま」 「ありがと」  ケイトは座ったまま、机に置かれるコップを見て笑う。ジェルは座るとすぐにコーヒーを口にし、クレアはカップを取ろうとしてメッセージカードを落とした。 「それ、何?」  目ざとくケイトが見つけてクレアに素朴な疑問を投げ掛けてみる。 「これ? これは昔にもらったプログラムが入ってるカード」  クレアはそれを別に気にしたふうでもなく答えたものの、ケイトはその答えに不満足だったようで、 「なに、それ」 と返してくる。クレアはきょとんとして訳が判らないといった表情でケイトを見た。 「別に、言ったとおりのもの。別でもらったプログラムをカード用にいじって入れてあるの。ただそれだけ。昔誕生日にもらったプログラムでね、嬉しかったの」  なぜそんなことを聞かれるのか、クレアには判っていない。 「もったいぶらないで教えてよ。どんな内容の奴なの」  ケイトは少し不思議に思って聞いてみただけなのだが、クレアの反応がなにか隠しているようなのが気になって、さらに聞いてしまう。クレアは少し顔を曇らせた。 「そんなのいいでしょう。関係ないって。聞くほどじゃないってば」  それでもケイトがしつこく聞こうとすると、 「ケイト」 ジェルがケイトに声をかけて、これ以上はやめておけといった風にケイトに首を横に振ってみせた。 「あ、いーなー。俺にも一杯おごってよ」  そんなところへ、いきなり頭の上で声がした。驚いてジェルが振り仰ぐと、疲れた顔をした信明が椅子を迂回して来、身を投げ出すようにソファーに座った。と同時に大きなため息がもれる。 「お疲れ、ノブ」  ジェルが言う。信明はジェルの差し出したコーヒーを受け取ってぐい、と飲んでから言った。 「あぁ、もう。ほん、っとに疲れた」 「毎週よくやるよな。僕もあの実習は疲れた覚えがある。で、彼らは日本語覚えた?」 「愚問。覚えようとする気がないんだよ、あれは。あいつらここにきてもう三年経つんだよ? 大体フランス語すら片言の奴らに日本語は無理だね」  信明は首筋をトントンと叩き、三人は目を合わせて苦笑する。 「笑うなよ。お前らだってすぐなんだからな……っと、ジェルは終わってたんだっけね。いくら実習だからって……まぁいいや。教育体制がいまいち弱いよな」  ぼやく信明にジェルはあはは、と軽く笑いをもらす。 「誰もが僕らと同じだとは思っちゃいけないね。特に普通のジュニア・スクールの学生相手ではね。それに、指導実習は僕らのための実習だよ。僕らに自覚させるため、と言ってしまうと語弊があるかも知れないけど、それくらいのつもりでいても問題はないと思う」  月面都市ロンダルギアにあるアカデメイアと、その上に位置する開発局に所属する人間は、一部の期間を地球で過ごし、その間にジュニアスクールでの教育実習がある。今はちょうど信明がそれに当たっていて、アカデメイア付属のジュニアスクールに同じグループの他の面々が、地球でそれぞれようやく合流したところだ。専門バカにならないよう、お互い専門のギルドからそれぞれメンバーが選出され、グループを組んで一年。お互いに打ち解けて冗談めいたケンカをすることもしょっちゅうだ。 「そうよ、あまりぶつくさ言わない方がいいわね。それにそんなこと言ってたら講師なんてのはなにもできなくなるでしょう」 「そうそう、あんまり無茶言ったら頭がパンクしちゃうよ。みんながアカデメイアに入る訳じゃないもん」  残りの二人からもいさめられて、信明は少々うんざり、というかげんなりしたかっこうになる。 「はいはい、判りました。僕が悪うございました。ジェル、なんかコツがあったら教えて欲しいくらいだ。思いついたら教えてくれよ」 「いいよ。そのうちな」  ジェルはそう言うと立ち上がった。窓からさす光に、ジェルのはちみつ色の髪が透けて輝いた。 「なに、どこ行くの?」  ケイトが口を開いて皆もジェルを見上げる。 「ちょっとね、リーダー研修会の報告。クレアも呼ばれてたよ」 「私も?」  そんなこと聞いてないけれど、とクレアは慌てて立ち上がる。 「そ。じゃ、また」  ジェルは不思議そうな顔をしているクレアをうながして廊下に出た。向こうからカールとメアリーが仲良さそうに腕を組み合って歩いてくるのが目に入ってくる。 「あの二人、相変わらず仲がいいのね」 「最近特にね。仕方ないんじゃないか? 明日にはもう別れなきゃならないんだ」 「明日? スペースポートコロニーに行くのは三日後でしょう」  アカデメイアの急な決定でこのグループはまたすぐに月に戻らなくてはならない。 「彼女は地上のスペースポートには見送りに行けても、ビザがないからスペースポートコロニーまでには行けないよ」 「あぁ、そうだった。彼女は次のグループだったっけ。  それよりジェル、報告ってなにを?」  クレアは普通に歩くジェルを追っても早足になってしまう。そのことにジェルは気がついていないようだ。 「この間の研修会」 「あれは一週間前に終わったばかりだけど」 「まだ報告してない人が一人残ってるんだ。おい、こっちだ」  ジェルはさっと角を曲がるとクレアを呼び、彼女がやってくるのを確認するとまた進んでいった。信明はそんな二人を目で追っていた。 「なぁ、クレアって、いつもなんか冷めてんのな。お前そう思わない?」  去って行くジェルとクレアを見ながら信明はケイトに言ってみせた。ケイトは後ろ姿が消えるのを見ながら、 「そう、ね。誰にでも精神的に距離を置いてる感じがあるね」  と言うと信明はうんうんと頷く。 「だよな。なんかこう、冷たいっていうか、他人行儀すぎるっていうのかな。俺達同じグループだろう? もうちょっと打ち解けても良さそうなのになぁ。ちょっと淋しいな。そう思わないか?」  アカデメイアの各ギルドからメンバーが選出されて、グループを組んで一年。それなのに、と、信明がケイトに話を振ってみせると、ケイトは拗ねたような、怒ったような顔でなにも言わずに信明を見ているのに気が付いた。 「なんだ、お前妬いてんのか? 妬く必要なんかないって」  そう小声で言って、目に力を入れてケイトを納得させた。ケイトからくすっ、と笑みがもれる。 「なんだよ」 「ありがと」  ケイトがそう言うと、信明は急に照れた顔になってケイトから目をそらしてあさっての方を向く。 「よぉ、カール」  目をそらした先にメアリーと共に入ってきたカールを見つけて信明は手を上げた。 「相変わらずだな」 「へへっ、うらやましいだろ」  カールは彼女をきゅっと引き寄せる。メアリーは照れてカールを軽く叩いた。 「俺をひやかすなんてことよりさぁ、信明、お前何人もの女の子と付き合ってるってウワサが飛んでるぞ。いつの間に複数の彼女なんて作ったんだ? どういうことだ」  カールは冗談とも本気ともつかない顔で信明に話を切り出した。 「なに、俺?」  話を振られた当の信明は、けげんそうな顔になって身を乗り出す。耳慣れないことを聞いて三人はじっとカールを見た。 「昨日と先週、夕飯を女の子と食べたんだって? それが同じ女の子じゃなかったんだってよ」 「それ」  ケイトが口をはさんできた。 「クレアと今日子ちゃんのことよ」 「今日子? 誰だよそれ」  カールの一言で、信明は一斉に視線を浴びる。 「俺の妹だ」  信明はただただ呆れ顔になった。 ***  景色がものすごいスピードで流れ去って行く。そのスピードがさすがに怖くて、クレアはちらちらとジェルを見ている。 「十分経ったわ。どこ行くのか教えてくれる約束よ。それに、私、今日は用事があるんだから遅くならないようにしてね」  非難の意を充分に込めてクレアはジェルに問いただし始めた。そんな彼女の態度を知ってか知らずか、彼は今にも鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で、のんびりとしている。 「そうとげとげするなって。ロンドンに行くんだ。用が終わったらちゃんと送るから心配しないで。大丈夫、運転には自信がある」  彼の足はアクセルに軽く乗ったまま外れない。 「ちょっと、そういう問題じゃないでしょう。課長に行ってこいって言われたからついてきたのよ。そうじゃなきゃ行かないわよ。判ったわよ。私もロンドン郊外に用があるからちゃんと付き合ってよ。だから早くしてね。あ、ついでに家まで送ってね」  クレアは覚悟を決めるとシートに座り直した。  車は墓地で止まった。 「着いたよ」  車を駐車場に入れてもなかなか動こうとしないクレアをうながすと、彼女はぎこちなく返事をして外に出た。表情を強張らせたままだ。  二人は言葉を交わすでもなくゆっくりと木立の中を歩いている。 「誰のお墓に挨拶に行くの?」  できるだけ平静さを保とうとしながらクレアが突然口を開いた。元気がうわっすべりしている。ジェルは、きたるべき痛みをこらえるよう覚悟しながらもいつものように柔らかく微笑んだ。 「ウィル先輩のお墓に行くんだよ」  ジェルは、そう言った刹那、クレアの目がなにも見なくなり、全身が硬直したようになるのを見た。  そこは、まさに彼女の目的地だった。 ***  クレアが、ウィルことウィリアム・イアハートを亡くしたのは二年前のことだった。  クレアはロンダルギアのスペースポートがアカデメイアから遠いのをうらめしく思いながら、人込みを必死で掻き分け掻き分けして走っていた。  その日は、別段空が見えるわけではないけれども、磁気嵐の少し後で、ちょうど磁気がおさまった頃の落ち着いた条件の日だった。今回の出発は、珍しく月面(大学)都市ロンダルギアのスペースポートから、小型挺でスペースポートコロニーまで行く、ということなので、いつもロンダルギアにいることはいても、アカデメイアには所属していない学生が見学に行くには絶好のチャンスで、なんだかんだとフロンティアーズの学生で朝からごったがえしていた。  勿論、フロンティアーズというのはロンダルギアにある大学の総称だから、同じフロンティアーズの学生といっても、アカデメイアの学生よりは近づける場所がまったく違っている。  クレアは、ウィルアムが今回アカデメイアのスペースポートを使わずに、わざわざ一般スペースポートを使うのを不思議に思っていたが、言っても仕方ないことだと納得せざるをえなかった。発着場の方では整備士が、可哀相にいつにもない人込みの熱気とプレッシャーに、うろたえたような感じで落ち着きを少々失っているかのようだ。  待合室で、ウィルはクレアを待っていた。今日はクレアのスペースパイロット試験の結果発表の日で、クレアはそれを見てから見送りに来ることになっているのだ。昨晩、別れる間際まで発表時間が出発時間に近いことをぼやいて頬をふくらませていた顔を思い出して、ウィルは人に判らない程度に顔をほころばせた。クレアはまだ卒業まであと半年の学生だから、今回受けた一級の資格は取らなくてもいいのに、開発局に入ってから少しでも早くウィルに近い職場で働きたくて、必死に勉強している。ウィルにしてみればそれは嬉しくもあり、また体を壊しやしないかとの心配の種でもあった。 「別に急いで取るほどの資格でもないとは思うんだけどな」  ぽつり、と口にする。がんばりすぎて無茶しやしないかと、そっちのほうが心配なのだ。確かに気持ちいいほど頭の回転は速いし、記憶力もいい。そういう意味では心配していない。それでも、気になってしまう。と同時に、早く二人で調査チームでも組めたら、と思ってしまうのも事実だ。矛盾しているとは思うが、ウィルにとって、クレアは既に無くてはならない存在になっていて、どちらも正直な気持ちなのだ。  参ったな。  見送りのロビーはごった返していても、待合室のほうに人は殆どこないので静かなものだ。そこへクレアが息を切らしながら走って来るのが見えてきた。途中で、走っているのを見咎められてその時だけはおとなしくなるものの、すぐにまた走ってしまう。彼女はウィルの姿を認めると、一目散に駆け寄って来た。ウィルは立ち上がる。 「ウィル! 受かった! 受かったよ!」  彼の前に立ったクレアはそれだけ言うと、はぁはぁと息を切らしてなにもしゃべれなくなってしまった。なにか言おうとする度に息を飲み込むのだが、それでまた息が苦しくなってしまって結局なにも言えない。ウィルは、静かにクレアに側にある椅子に腰掛けるようにうながして自分もその横に腰掛けた。 「おめでとう、やったな」 「うん。これでまた一つ同じになったね」  クレアはやっと呼吸が落ち着いて来るとそう言った。 「僕の地位も危ないなぁ」 「本気でそんなこと思ってないくせに」 「あ、ばれた?」 「ばれるもなにもないでしょ」 「当然だな」 「でも、それだけ?」 「なにが」  きょとんとしてウィルはクレアを見つめる。クレアはなにか言いたそうな顔でウィルを見あげる。 「せっかく受かったのに、たった一言しかないの?」 「これ以上言いようがないだろう?」  それでもクレアがすねたような目で見ているので、ウィルは仕方なく、人前なんだぞ、と小さく呟くとクレアの肩を抱きしめて彼女の耳元でもう一度おめでとうと囁いて軽いキスを贈った。これでこの場は一応満足したらしいクレアは、やっと笑顔になってありがとうと言葉を返した。搭乗時間が迫っているのでウィルと同じグループのメンバーが離れた所で集まり始めている。それを見てウィルは立ち上がった。クレアの目はウィルから離れようとしない。 「そろそろ行かなきゃ。すぐ帰ってくるからね」 「ん。待ってる。今度は一緒に行こうね」 「そうだね、楽しみにしてるよ。それじゃ、ひと月後に。あ、それと昨日返したカードだけど、覚えてるね」 「なに照れてるの。あぁ、あれでしょ、なんかそういえばキザなこと言ってたね。なに、お守りって言ってたっけ?」 「からかうな。じゃ、行くから」  と言ってウィルは歩き出した。そしてゲートを通る前に振り返ってクレアに手を振り、遠ざかって行った。クレアは彼が見えなくなるまでじっとそこにいたが、見えなくなるとすぐに待合室に入れた者の特権をフルに活用して、次の見送りの特等席を見付けてそこに陣取ることにした。人がいないわけではないけれど、ごった返すにはほど遠いので快適な環境だ。上長や家族などのための、関係者用のパスに軽くキスしてウィルが見えるのを待った。リノリウム製の廊下に蛍光灯が反射して所々白く光り、売店の赤や青の光がそこに色を添えている。それがやけに無機質に見えて、クレアはあまり好きではないのだが。  そんなことを考えながら立っていると、急に声をかけてきた人がいて、驚いて振り返って見ると、以前にウィルに紹介してもらったことのある、彼の部長が横に立っていた。彼はそのアイスブルーの瞳を柔らかく輝かせて笑いかけてくるし、クレアも彼には嫌悪感を抱いていないので挨拶を返すと彼のための空間をあけた。 「ミスターダグラス、あなたみたいな忙しい方がどうしてここに?」  クレアの目はウィルが見えたらすぐにそちらを見れるようにと、ちらちら動いて落ち着きが少し足りないように見える。そんな彼女を別に咎める風でもなく、いつもの微笑みと、ちょっとした茶目っ気を目に秘めながらダグラスはしゃべり始めた。 「ここだけの話、君も彼に聞いていると思うがね、彼はちょっと訳ありでね、私の期待を一心に背負っているんだよ」 「期待?」  クレアは改めて彼をまじまじと見つめた。彼は柔らかく微笑んでいる。 「そう、期待だよ。そのために今、彼も忙しいのにこうやって出張に行くんだよ。君もそのうち判るよ」  部長の言葉はよく判らなかったので、クレアは話半分に聞き流すことに決めた。彼がそう言うのならそのうち判るだろう。焦ることはない。  ウィルが視界に入ってきたのはいいが、そこは手を振っても判らない程の距離だった。クレアはそれをかなり残念に思いながらもそれは顔を少し曇らせる程度にしておいて、仕方がないのでおとなしく見ていた。しばらくすると特別シャトルはゆるやかに動きだし、離陸体制に入った。  クレアはウィルの乗った小型挺の離陸時のスピード読み上げを、学生ならではの感覚で心で呟いてみせた。  小型挺は難なく飛び立ち、それをあっけないなぁ、と思いながら学生達は見送った。そして、気の早い者はもう帰り始めた頃に、小型挺が戻って来ようとでもするかのように旋回して、と思うや否や、視界は赤とオレンジに彩られた。  その後のことは、クレアには、未だによく思い出せない。その時世界が凍りついて色彩が遠のいていき、すべてが遠ざかっていった感覚だけは覚えている。  この年、クレアは、単位だけは既に充分あったので、なんとかアカデメイアを卒業したものの、開発局入局には、更にあと半年かかることになった。 ***  ジェルがウィルに出会ったのは、月にあるアカデメイアに入ってすぐのことだった。とんでもなく成績のいい人だという、ウワサの当人に入学してすぐ会えたのは幸運だと言ってもいい。  入学してから一年間、新入生一名につき一名ずつつく、相談相手となるニューインロール・パートナーが彼だったことを、ジェルはとても感謝している。パートナーとウマが合わずに替えてもらう友人もいたが、それはカヤの外の話だった。それ程までに彼との話は楽しく、時間を忘れることもしばしば。幸運なことに彼もジェルを気に入ってくれたようだった。  数年経って気がつくと、ジェルはウィルに次ぐ天才、とまで言われるようになっていたらしいが、ジェルとしては、ウィルを追うのに必死でそんなウワサはどうでも良かった。  アカデメイアが余程肌に合うのか、それとも単に図書館の蔵書量に惹かれてか、二人は図書館名物と化していたらしい。  ある日、図書館を訪れた二人は、いつものようになにげなく本棚を見ていた。 「ふう、ん」  と、なにか面白いものを見つけたような声をウィルが出したので、ジェルは振り返る。 「なに?」 「ほら、これとこれとこれ、貸し出し中だろ。もしこれを全部一人で借りてるんだとしたら、面白いなと思って。こういう選び方、僕は好きだな」  ウィルが示したチップケースがあったのは、物理の棚だからあっても当然かもしれないが、ガリレオ関係ばかり。でも、ガリレオ関係の本なんて、ここには腐るほどある。 「ほらジェル、他は全然借りられてない。これはきっと一人で借りてるんだ。どんな子だろう。会ってみたいな。ジェルだってそう思うだろ」 「そうだなぁ。これって僕らが読んできたパターンと同じような読み方だからきっと話が合うよ」  こうしてウィルはクレアを探しあてた。クレアはさぞかし驚いたに違いない。なにせ、彼は挨拶するなり、「これもおすすめだよ」と言ってデータチップを渡したらしいのだ。  出会いの挨拶としては、彼にしては不出来だったと思う。それでも、それが縁で彼らは仲良くなった。ジェルは、その場に居合わせなかったのが、なんとも口惜しい思いを未だに持っている。その後都合でしばらくは彼らに会えず、きっかけをつかみそこねてしまい、クレアと仲良くなるにはかなりの年月がかかる結果になったからだ。  ウィルとクレアが恋人同士になるまでには、彼らが出会ってから二年かかった、と記憶している。それまでふたりの間に甘やかな空気はなかった。それは後でウィルもジェルに証言したから確かだ。  クレアが十九になって半年後、一ヶ月で帰ってくるから土産話を待ってなさい、と言ってにこやかにシャトルに乗りこんで、彼はそれきり帰ってこなかった。 ***  ようやく初夏になろうかという季節なのに、今日は特に陽射しが強い。風は涼しくても、光は真夏のそれを彷彿とさせる。葉影は、その輪郭をくっきりと大地に焼きつけながらさわさわと揺れている。木立の中を抜けると、芝生の中に墓標が立ち並んでいた。ウィルの墓標はとりたてて大きくも、また小さくもなかったけれど、誰かがいつも掃除をしているのか、少なくとも、クレアが来たときは、いつもこざっぱりとしている。  クレアは花を供えてしゃがんだまま、ジェルはその後ろでじっと立ち尽くしたままでしばらく過ごした。時々、風が頬を撫でながら流れて行くだけで、静かな場所には時間の感覚がない。  なにかを思い切ったようにクレアが立ち上がると、二人はなにも言わずに並木道を帰りだした。 「どうして今頃?」  また突然に、クレアが陽射しを背にして歩きながら口を開いた。彼女はジェルの方を見ていない。ジェルもそんな彼女を深く気にせずに答える。 「別に。当分来れないから、報告に来たかったんだ。それに、これが初めてじゃない」 「あれから二年になるわ」  クレアの声は冷静だ。 「知り合って十一年になる」 「私は六年、になるわ」  風は相変わらず穏やかだ。 「君と初めて話したのも、それぐらいだよね。覚えてる? 僕が彼の家に行こうとして迷ってたところへ」 「ちょうど私が列車から降りてきた」 「そう。あの時本当にどうしようかと思ったんだよ。僕は道に迷ってた。そこへ君が来たろ? 初めは迷ったんだよ、これでも。軽い挨拶程度の知り合いでしかなかったし、君は十六だったし、僕は二一で、やっぱりさすがに声は掛け辛かったからね」  二人は、木洩れ日を浴びて歩きながら、心地よい風を頬に受ける。 「そんなことも、そういえばあったわね。何十年も前のような気がするし、つい昨日のことのような気もする。変な感じ」 「それでも、まだ忘れられない?」 「そういう次元の問題じゃなくなってるのね。なんとも説明できないけど」 「糸の切れた凧みたいだね」 「そ。宙ぶらりんなの」  遠い目をしたまま言うクレアに、ジェルはなにも言えない。せめてもの救いは、クレアは、ジェルと二人だけで話をする時は、いくらかその表情の冷たさが和らぐことだ。 「月をね、一緒に見よう、って言ってたの」 「月?」 「そう。雨上がりで空気の奇麗な夜に、空を見よう、って言ってたのよ。散歩をね、しよう、って」 「そろそろ帰ろうか」 「約束よ、家まで送ってね」 「了解した」  この墓地からだと、あと一時間もすれば充分に着ける距離なので、今度はジェルもスピードをさほど出さなかった。 「あなたはどうするの? ジェル」  車を降りて玄関に近付きながらクレアが聞いた。 「僕? これから帰るよ」 「またあの加速で突っ走るの?」 「そういうことになるかな。大丈夫だよ」  にこっとして、さらりと言いのけてしまった彼に、クレアの方がうろたえてしまった。 「ちょっ、もう日が暮れるのよ? こんな時間から帰るなんてとんでもない。家に泊まってってよ。ね? 決定」  クレアはジェルの手をぐいとつかんで離さない。 「客間が空いてるから。大丈夫、誰も文句なんか言わないから」  つかんだまま彼を家に引き込み、家の中に声を掛ける。 「ただいま。お母さん、友達泊めてね。いいでしょ」  家に一歩入る。するとそこに見知った顔がいて、その少女はクレアに手を振っていた。クレアは、ジェルの腕を持ったままで少女に声を掛けた。 「あらルイス、いらっしゃい。お久し振り。十八になったのよね、確か。ジェル、こちらウィルの妹さんで私の妹分のルイス・イアハート嬢、あ、知ってたんだっけ?」 ***  電話をかける。呼び出し音が鳴る。  一回、二回、三回、四回、五回、六回。  もしかして今、都合が悪いのだろうか。  そんなことを思っていると電話の向こうで明るい声が響いた。 「ごめん、お待たせ?」 「遅い」  クレアは文句を口にした。 「ドライヤー使ってて気付くの遅れちゃって。だからごめん、て」  受話器の向こうはあくまで明るいガヴィの声。 「そっか、ドライヤーか。じゃ、しょうがないね」 「どしたの、急に?」 「うん、長期出張が決まったから。これから先、しばらく連絡取れないから、声聞いておこうと思って」 「やーん、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。だからクレアって好きよー」  くすくすとクレアは思わず笑ってしまう。 「相変わらずだね。そうだ、この間送ってくれた資料写真かっこ良かったよ。そっちも相変わらずかっこいいね」 「だって、あれはかっこよく写ってないとまずいでしょうが。で、長期出張って、どこ行くの?」 「ん〜、それはね、電話じゃちょっと言えない。ごめんね」 「ふうん? どれくらい行ってるの?」 「未定」  ぽそり、とクレアが口にすると、ガヴィはすっとんきょうな声をあげた。 「なにそれ」 「短くっても二、三年はかかると思うな」 「じゃあなに、年単位で会えなくなるってこと?」 「そういうことになるね」 「なんで早く言ってくれないのよ〜。あたしね、来期で入局が決まったとこなのに〜」  受話器の向こうでむくれているのが目に見えるようだ。クレアの顔がほころんだ。 「すれ違いだね」 「やだ、あたしってばおいてけぼり? 入っても知りあい少なすぎてつまんないよう」 「アカデメイアに長くいすぎだってば」 「ひどい」 「バイトは? どうするの」 「うん、後もうちょっとで終わるの。去年から段々減らしてきてたからね。これでも事務所ともめて、ようやく減らしたんだからね。なのに行っちゃうの?」  受話器の向こうは不満たらたらだ。やはりクレアは笑いを隠しきれない。 「なによぉ、さっきから笑いっぱなしで。同期入局の子は年下ばっかりなのは仕方ないけど、ようやくクレアと一緒にいられる、って喜んでたのに」 「お互い、中途半端な入局者同士?」 「ちがう。クレアは具合悪かったんだから仕方ないでしょうが。  なに、卑屈になってるんじゃないでしょうね? やぁよ、そんなの。それとも誰かにいじめられたの? だったら言ってよ? 言い返しに行ってあげるから」  強気なところも、変わってない。クレアはガヴィの変わらなさに安心する。 「違うって。大丈夫。  でも、やっぱり残念。しばらく会えないからね」 「今度のショーのチケット送ろうと思ってたのに、無駄になるわけぇ? 最後のショーだから、見てもらいたかったのにな」 「だからごめんって。メアリーがその分見てくれるでしょ」 「そうだけど。あたしはね、どうしてもクレアに、見てもらいたかったの! メアリーも大事な友達だけどね、クレアはもっと大事なんだから。判ってる? そういう感覚うすいんだから、アンタは。  気をつけなさいよぉ、周りに誤解されないようにね」 「うん、まぁ、それは、大丈夫じゃないかな」  クレアはころん、とベッドに横になりながら受話器を持ち直す。 「ホントに?」 「うん、だって今のグループ組んだの一年前だし、そのメンバーだけでいくんだもん。みんな慣れてる人ばっかりだから」 「そういうんじゃなくてさぁ、あぁ、もぉ、もどかしい。クレアってば、ホンっとに、鈍いときはとことん鈍いんだから。あたしが言ってるのはそういうことじゃなくて」 「判ってる」  ガヴィの言葉をさえぎるようにクレアは言葉を紡ぎだす。 「ジェルがついててくれるから、大丈夫」 「どうだか」 「あたしは、もう、大丈夫だから」 「心配なの! 判ってる? あたしのこと忘れてまた不安定になったら許さないからね。不安定になったらすぐにあたしに連絡するのよ? ジェルにも釘、さしとかなきゃね」 「大丈夫だってば」  言いつのるクレアに、 「だって、電話で言えないようなとこに行くんでしょうが。不安になって当然でしょ。なのに、あたしが側にいられないなんて、とんでもない!」 とガヴィは声を大にする。 「ありがと」 「なに言ってんの、水臭い。あなたは私の親友なんだからね、忘れないでよ?」 「うん」  すこし、目が潤むのを感じる。 「行き先は今度、局に行って聞いてみる。ブルー部長にアポとれるかな」 「取れると思うよ。ガヴィ、あなたならね」 「なにそれ。クレアからも言っといてくれるとアポ取りやすくなるから、お願いね」 「判った。言っとく。けどなによ、それ。私が言えば、ってのは?」 「だって、ブルー部長ってクレアに甘いもん」 「なにソレ」  ぷぷっ、っと笑おうとするのに、 「だって、あの時以来、甘い、って言ったら変かもしれないけど、クレアの言うことには耳を貸す、っていうところ、あるでしょ」 というガヴィの真面目な声に、でかけた笑みは消えた。 「そう?」  クレア自身気付いていないが、思わず、声がかたくなる。 「そう緊張しないで。なにも変に勘ぐってないから。ん〜、出張かぁ、お土産はなにがいいかなぁ」  クレアの緊張をほぐそうとガヴィは話題を変えようとする。クレアもそれを察してか、声の調子が元に戻る。 「お土産、なにも買えないようなとこだからね、期待しないでね」 「ざぁんねん。会えないのになぁ」 「あたしが帰る前に、ガヴィまで同じとこに来るかもよ?」 「なにそれ」  訳がわからない、といった感の声。 「だってねぇ、ガヴィ、自覚してないみたいだけど、あなたの知識も知恵も大したものよ。それに、度胸だってね。だから、そういう可能性も。ないことはない、と思うわけよ」 「う〜ん、よく判んないなぁ。アカデメイアで単位取りまくったのは、単に興味が湧いた科目だったから、ってだけだしなぁ。 知識を増やそうと思った訳じゃなくて、あたしの場合は、これって趣味なのよねぇ」  悩めるガヴィの声に、今度こそ本当にクレアは声をあげて笑う。 「趣味ねぇ。その感覚はわかるよ。私もそうやって単位多めに取っちゃったクチだから。似てるかもね。そういうとこ」 「かもね」  ガヴィの声は不満そうだ。 「おっかしいの。なにそんなにむくれてんのよ」 「え〜、だって、単なる趣味なのにさ」 「いいじゃない。それでなにか損したわけでもないんだし。私だってそうでしょ」 「ま〜ね」 「だったらそんなの気にしなきゃいいでしょ」 「クレアと一緒にされたら、クレアに悪いような気もするんだよねぇ」 「なぁに、それ、ヘンなの」  クスクスとクレアは笑いが止まらない。 「だって、クレアって言ったら努力家で有名なんだからね。あたしは単なる趣味でさ」 「別に問題ないでしょ? 他の人は関係ないでしょ。それに、ガヴィだって、どれだけ人並み以上に努力してるか、私は知ってるもの」  クレアの明るい声は、ガヴィをいつでもほっとさせる。 「ありがと」 「はい?」 「言いたくなっただけ。ありがと。クレアと友達で良かったな、って思う。それだけ」 「ふうん? ありがと」 「さて、と。悪いけど、明日朝早いから、もう寝なくちゃ。ごめん、もう切るね。せっかく電話くれたのにごめんね。しばらく会えないのに」 「でも喋れたから、私はそれで嬉しいけど?」 「ふふ、クレアのそういうとこ、好きよ」 「ありがと。じゃ、お休み。また会えるの楽しみにしてるね」
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