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第四章 青、深く
芝生が広がり、木立ちが風に揺れてさわさわと音をたてている。時折子供と犬がはしゃぐ声が聞こえてくる。
陽射しを浴びて風に髪を泳がせて、メアリーはベンチに座っていた。風に髪を、といっても彼女の髪は肩につく程度なので量的には多くないが、そのさらっとしたストレートヘアのなびいている様子が、泳ぐように見えている。そこへガヴィが髪を踊らせて走って来た。長くはないが、緩やかなウェーブの美しい髪をしている。公園は休日のせいもあって人が結構いて、二人を振り返って見る人、というのが圧倒的に多かった。彼女達はとにかく目に訴えた。チョコレート色の肌、緑の瞳にストロベリーブロンドの髪を持つメアリーと、白い肌、光によっては黄金色に見える瞳に、プラチナブロンドの髪、洗練されたセンスのガヴィが並んで歩く姿は、誰もが一度は見とれていく。混血が当然のように人口の殆どを占める現代でも、メアリーの持つチョコレート色の肌に金髪というのはまれだったし、ガヴィの持つ、光によって色が変わる琥珀色の瞳というのも、めったやたらにあるものではなかった。そしてなにをおいても、二人を周りの人間達とはっきり区別をつけていたのは、その溢れんばかりの生命力だった。いかに個人主義の象徴と言えるべきニューヨークの真ん中にいても、二人のエネルギーは群を抜いていた。欲しいものは労せずとも難無くなんでも手に入り、M・システムに管理されたぬるま湯のような生活の中、いかなニューヨークの人間でもそのエネルギーを失っていきつつあったが、彼女達だけは別だった。軽い男達も、特異点の二人には声すらかけられずに、遠巻きにして伺うことしかできない。
「メアリー、最近段々『天井』が開くようになってきたね」
「天候が落ち着く時期に入ったから」
「そうか。自然の空もかなりきれいになってきてるんだ」
「なってもらわなきゃ困るって。あたし達の努力がみんなムダになっちゃう」
「ま、がんばって頂戴」
ガヴィがメアリーにウィンクしてみせると、メアリーはおもむろにガヴィを見た。
「なに言ってんのよ。ガヴィだって今度入るんでしょ」
「そう言えばそうだっけ。忘れてた」
「相変わらず呑気」
メアリーがそう言っている横で、ガヴィは伸びをする。ポップコーン売りが見えたので、ガヴィは早速買ってきてほおばり始める。
「やっぱり七年間も大学生やってると飽きるのよね。どの授業も、いい加減どれも同じに見えてくるし」
「それにしたってその数が普通じゃないって。普通どれだけがんばったって、八年で二学部か二専攻じゃない?」
「あたしだって二つじゃない。それに通ったのは七年でしょ、そんなに多くないって」
メアリーをなだめるように言って、またポップコーンをほおばる。
「開発局用コースのカリキュラムは特別だって誰だって知ってるよ。そこでそれだけなわけでしょ? それに、あたし知ってるんだから。専攻外の単位もいっぱい取ってたでしょ」
あきれ顔でメアリーもポップコーンに手を伸ばした。
「だっておもしろそうなんだもん」
ちょっとすねたような顔をしてそう言ってから、ガヴィはハトにポップコーンをわけてやり始めた。
「さすが、ジェルの元恋人なだけあるわよね。どっか違う」
「あんまりそれを言わないでって言ったでしょ。それ知らない人の方が多いんだから、言いふらさないでね。ジェルは友達なんだからね。そう、親友。確かに影響は受けてるとこあるけどね、それとこれとは別問題。そういえばジェルってなかなか恋人できないわねぇ。なにか聞いてない?」
「自分のこと棚にあげちゃって。なんにも聞いてないよ。ガヴィが知らないのに、あたしが知ってるはずがないじゃない」
「あの偏屈は判んないわよ。どうも気になってる子がいることはいるみたいなんだけど、手も足も出せないでいるらしいのよね。なにより、自分の気持ちに気づいてないみたいだしね。なにやってるんだか」
急にきびすを返してメアリーに同意を求めたものの、メアリーは困惑顔でなにも言えなくなっている。
「あ、ちょっと言い過ぎたかな。これナイショね。五つも年上のヒトをここまでボロボロ言っちゃうとさすがにちょっと良心が痛むわ。ばれてもこわいしね。
とにかくよろしくね先輩」
そう言って微笑むととん、とメアリーの肩を叩く。
「先輩? あたしが?」
思ってもみないことを言われて、メアリーは目を丸くする。ガヴィは当然、といった顔をしている。
「そうよ? 当たり前じゃない。年は十九でも、あたしより先に開発局に首突っ込んで仕事してるじゃない。あたし、そっちの仕事のことはなにも知らないもの。卒業が一緒でもキャリアが違うわ」
「なに言ってんのよ。観測技師はね、誰だって卒業一年前から開発局に入ってるからよ。タフさでは誰もかなわないって。大丈夫よ、ガヴィだったら、どこ行ったってやっていけるんだから」
「はいはい、ありがと。やってみるしかない、か」
頭の後ろで手を組んで空を見上げる。そこにはグレイッシュ・ブルーの空がさわやかな色をそこはかとなく漂わせながら鎮座している。
「ところで、指輪、どの宝石店で作ってもらうって言ってたっけ」
「すぐ近くよ。ほら、見えてきた。あの信号の左手にある、数えて三番目にある建物」
メアリーが指差す方向をガヴィはじっと見ていたが、確認するや否や顔色を変えた。そのまま歩いていこうとしているメアリーを慌てて引き止める。
「あの店なの? なんで本店なのよ。支店にしとけばいいのに」
「どしたのよ急に。本店も支店も関係ないでしょ。本店か大きな支店じゃなきゃ、デザイン注文受けつけてくれない、っていうんだからしょうがないじゃない」
いきなり止められて驚いたのもあって、メアリーがけげんそうな顔で言うのに、ガヴィはそれ以上強気に出れない。ちょっと考えた風だったが、すぐに意を決したようだ。顔つきが変わった。
「判った、行こう。せっかくのカールとのペアリングだもんね。あたしがとやかく言うことじゃない」
「なに訳の判んないこと言ってんのよ。あの店、なにか悪いことでもあるの?」
「ないない。悪いことなんてなんにもない。ただあたしが行くのはちょっとまずいかなー、なんてね」
「なによ、なにがあんのよ。らしくもないから言っちゃってよ」
「あの店の今期のイメージモデルがあたしなのよ。CFも昨日からオンエアされてる筈よ。見てないか。今日着いたばっかりだもんね。だから、あたしの写ってるポスターが、あの店内に張られてるって訳」
ガヴィがゆっくりと、言いにくそうに言ったのに対して、メアリーの反応は速かった。
「まだモデルやめてなかったの? それに、そういうメディアものってやらないんじゃなかったっけ」
メアリーは思わずおもむろにガヴィに向き直ると、彼女の顔をのぞき込んだ。ガヴィは目をそらす。
「だから、やめるって言ったらなかなか許してくれなくて、条件付きだったの。メディアものは最初で最後。あとは、いつものように次のコレクションに出て、ちょっとだけスチールモデルやって、それで終わり。いいじゃない。開発局だって、それでやめる、ってことで納得してくれてるんだから」
バツの悪そうな顔でメアリーの顔をちらちら見ながら言うその姿は、とてもトップモデルとは思えない。
「仕方ない、か。あなた達って本当に似てるんだ。今思った」
「あたし達?」
「そ。ガヴィとジェル、ガヴィとクレア。ジェルとクレアは似てるようで似てないのにね。ガヴィはどちらにも似たとこがあるんだ」
「あの二人に似てるの?」
信じられない、とガヴィは困惑顔になってしまった。
「似てるよ。ガヴィもクレアも年令不詳なとこがそっくり。なにか訳の判んないとこもね、あの二人に似てる」
くすくすとメアリーは笑いながら言った。困惑顔になったガヴィの顔、これがまたなんとも言えず妙にかわいい。
「それでも、あたしはあたしだわ」
困惑顔のままガヴィが言う。
「そりゃそうよ。あったり前じゃない。同じ人が二人もいたら気持ち悪いって。ねぇ、もう行くよ? ガヴィのポスター、じっくり見せてもらおうっと。そうだ、記念に一枚もらっちゃおうかな」
そう言ってメアリーはガヴィの肩を叩いて歩き出した。出遅れているガヴィを呼ぶ。信号が青になって人波が動き出す。そこを二人ははしゃぎながら駆け抜けて行く。通りは大きく長く、高層ビルの間にできた陥没地帯のようだ。今日は『天井』が開いているので、自然の空が見えている。グレイッシュ・ブルーも気のせいか明るく見える。
彼は椅子に深く座り直して大きなため息をついた。目頭を押さえた後、手を離してぐっと目をつぶる。目を開くと、手に持っていた雑誌をぽんと机に放った。それはビデオカードに当たって、カードは小さな音をたてて少し動いた。
いつものことながら、新人の研修には手を焼くものだ。どこでもそれは同じだが、開発局の場合、特に手間がかかる。他の企業体には猫のようにおとなしい人間ばかりが行くが、開発局にはM・システムに選ばれた特に元気のいい人間が集められてくる。元気なだけならいいが、これがまたひとクセモふたクセもある人間ばかりなのだ。
ジョンは次期配属の新人資料を見ていた。ジェルのグループの雲行きが怪しくなり始めているし、M・システムの急な動向も不可解なので、できるだけ手のかからない新人が欲しかったのだが、すべての条件を兼ね備えた、などという風にはやはりいかないらしい。観測技師はもう出入りを始めているから手はかからないだろうが他はかかるだろう。特にこの娘。ガヴィエラ・メイジャー。アカデメイアにジュニア・スクール卒業と同時に入学、これは開発局では普通だ。問題なのはその後で、二二才の今なお在席中。ただし留年なし。アカデメイアの学生の中でも単位の取り方が早い。優秀なのだろう。この辺りはジェラール・モンフォールや往年のウィリアム・イアハートを連想させる。が、彼らも七年もアカデメイアにはいなかった。その年数だけでも特異であると言えるのに、更に特異なのは、彼女がトップモデルであることだ。マスコミメディアで流れるものにはまず出ないが、それ以外の有名どころではまず必ずと言っていい程出てくる。だから一般的には無名でも、その筋には名前も顔も売れている。資料として渡されたこの雑誌にも。彼女の写真が山のように載っている。業界用のもので市販されていないのが幸いだ。モデルというからには根性はあるし意志も強いだろうが、おそらく気もかなり強いだろう。せめてもの救いは、彼女の経歴が業界に知られていないことだ。知られていたら、電話やらなにやら、問い合わせの応対に一日終始してしまって、仕事にならないに違いない。
まったく、手のかかりそうな新人だ。
もう一度ため息を、今度は小さくつきながら、いつものクセでつと時計を見ると、行かなくてはいけない時間になっていた。全体的になにやら雲行きがおかしくなりだした時期なので、特に進捗会議には出席したくないが、そうも言っていられない。まぁ、ミュージシャンを抱えているところよりはましかも知れない。
いや、同じか。
彼は苦笑してゆるゆると腰を上げた。
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