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6
梶間と書かれた表札の前で立っていた。前世での様々な記憶が走馬燈のように和馬の脳内に流れる。
視界はすでに霞んでいた。
あの老婆はよく考えろと言っていたが、もう綺麗さっぱり終わりにしたかった。和馬、いや、梶間祥吾の未練は母への懺悔である。
呼び鈴を押す。
すぐさま応答があり、祥吾という名だけを告げた。
慌てた様子で玄関から飛び出てきたのは、しわだらけになった母の姿だった。なんの疑いもなく、母は和馬を抱きしめた。目の前にある事実だけを受け止め、ただいまと言い、そこにはもう和馬の面影はなかった。
「ごめん、あの日あんなことを言って」
もう言葉など必要なかったように思う。
「母さんこそごめんね、あんたがずっとおばあちゃんの幻影を追っているんじゃないかと思って怒鳴って。違ったんだもんね」
そう、あの日は祖母が亡くなった次の日の出来事だった。祥吾が自転車を必死に漕いだのは祖母のためではなく、祖母と仲良くしてくれた少女のためだった。それを勘違いした母と大喧嘩になり、そのまま祥吾は帰らぬ人となった。
すっと肩の重荷がおりていった。
それから、母との思い入れに耽り、引っ張り出してきたアルバムを見て、笑ったり、泣いたりした。この時間が永遠に続いて欲しいとさえ思った。でも、老婆の言葉がよぎる。
――前世の記憶が消える。
母は思い出したような口調で言った。
「あの日は、母さんにとっても、この村にとっても最悪の日だったのよね。だって、こんな小さな村で一気に4人が亡くなったのよ」
その言葉に笑顔が消える。
母は言葉を続けた。
「しかも、あなたの事故の相手は殺人犯だったのよ。それを聞かされた時はやるせない気持ちだったけど、今思えばあなたがあの犯人を止めてくれたんだなって思ってね」
そう言って、母は眼の端に溜まった涙を払う。
止めてくれたという言葉には違和感があった。
「もう行くの?」
和馬は立ち上がり、静かに頷いた。
名残惜しさもあるが、あそこへ行かなくてはらない。それが和馬のもう一つの未練だった。
――今度もあの子を守りなよ。
その言葉は夏風に攫われていった。
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