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7
少年はいつの間にか消えていた。
辺りには霧が立ちこめている。
郁美はぽつんとある廃病院の前に立っていた。
ここがどこなのかわからない。けれども、嫌な感じはせず、胸の奥からせり上がる感情に戸惑っていた。
ここで誰かをずっと待っていた。
「やっと会えたね」
少年の声とも違う。声変わりしたばかりのような声だった。
郁美は振り向く。
「ずっと待っていた」
その言葉は無意識に郁美の外へとこぼれた。
「元気になれたんだね」
中学生くらいの小太りな男の子が立っていた。
涙が郁美の頬を伝う。
「やっときみとここに立てた」
病室から見ていた景色はいつも同じだった。いつかあの窓の向こうの世界へ飛び出したかった。病院の中に閉じ込められて死ぬだけの運命を変えてくれたのは彼だった。
世界が色づいていく。
霧は風と共に消えさり、現れた新緑が海のように果てしなく続いていて、そこに日の光が輝く。
「ずっと私の中にもう一人の私がいるような気がしたの。その理由がわからなかった。でも、今ようやくわかった」
郁美はこの景色を噛みしめた。
おそらく、もうここには来ないだろうし、彼とも二度と会うことはないだろう。
彼は穏やかに手を振った。
――おばあちゃんも喜んでいたよ。
その短い時間に、今まで生きてきたすべてが集約されているようだった。
――またどこかで。
彼の言葉に頷く。
郁美と彼は別々の道を歩み始めた。
病魔に飲み込まれて消えていく寂寥感は次第に薄れ、もう郁美の中に何も残っていなかった。
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