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1
彼らは遠くを目指した。
前世に残した未練を払拭するために。
*
小さな唸り声と共に飛び起きた。百メートル走でも走ったかのように心臓は激しく動いている。びっしょりと全身が濡れていて、今すぐにでも服を脱ぎたかった。淡い水色のカーテンから射し込む光は和馬の頬を照らす。ほんのりとした温かみをもたらす光を睨んだ。
また、憂鬱な朝が始まる。
階段を上ってくる足音に、和馬は再び布団の中にもぐりこんだ。今日は機嫌が悪そうな足音だ。余計な言動で気持ちを逆撫でるようなことだけはしないでおこう。
ノックもなく勢いよくドアが開けられる。
ため息が聞こえた。
「で、今日は学校どうするの?」
やはりその短い言葉の中に怒気が含まれている。
和馬はわざと見せつけるように首を横に振った。
前までなら、どうしてなのとヒステリーを起こしていたのだが、最近はそういうことも少なくなった。何をしても無駄だと学んだのかもしれない。
母は諦めた雰囲気だけを漂わせて部屋を出て行った。
全身硬直していた体をゆっくりと弛緩していく。いつから、こういうやり取りしかできなくなったのか、少なくとも中学に入る前までは活発で何の問題もなかった。明確にいじめがあったとか、そういう物差しがあれば、母の気持ちを少しばかり収めることができたのだろう。でも、和馬には学校に行けなくなった理由に心当たりがない。
ぱったりと行くことをやめた。
ただ、それだけだった。
*
不登校って病気なのだろうかという疑問は未だに晴れない。もし、不登校が病気なら、いい歳になっても職に就かず、家でゴロゴロしている人も病気だろう。
和馬はため息をつく。
曇り空をそのまま背負ったような憂鬱が離れない。やはり、カウンセリングは苦手で嫌いだ。何でも分かったように頷き、大したこちらの事情も知らないくせに大変だったねとか言い始める。その浅はかさが嫌いだ。それは病院にも通ずるところがあるかもしれない。あの空間全てが和馬にとって重荷だった。
橋の上から街並みを見つめる。窮屈に並んだビルたちが、我が一番だと空に向かって伸びていて、その周りには人々が忙しなく動き回っている。
本来いる場所はここじゃないと分かっている。こんなビルも、大勢の人もいない静かなところにいた。自然の匂いを運んでくるあぜ道を懐かしく思う。
墓場まで持っていくつもりだった秘密をめくる。そういうものがいつから自分の中にあったのかわからない。でも、気がついたら、そればかりを意識するようになった。
中学生にもなって、前世の記憶があるなんて言ったら笑われるだろうか。それとも、おかしくなったと思われて心配されるだろうか。
前世の記憶を辿るように毎日夢をみた。夢は澳田和馬よりもしっくりとくる名前を呼ばれ、母親とひどく喧嘩したところから始まる。むかついていた少年は母親の言葉をろくに聞かずに、ある場所へと向かった。どこまでも続くあぜ道を自転車で進んでいく。そうすると、白い大きな建物が見えてきた。ペダルを踏む力がより一層強くなる。前だけを見ていた。だから、赤い軽自動車の存在に気がつくのが遅れた。けたたましいクラクションと共にいつもそこで夢は途切れた。そうして戻ってきた現実では、言いようのない虚しさに襲われる。
後悔の念なんて言葉で片づけられないほどの蟠りとなって、ずっと身体の中に残っていた。
家に帰ると、母が待ち構えていた。どこか吹っ切れたような表情を浮かべて、旅行雑誌を両手に引っ提げている。
「久しぶりにどこか行こうか?」
どこか遠くへ行きたい。その想いのまま、和馬はとある風景を無意識に思い浮かべていた。
――佐切村にいきたい。
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