プロローグ

1/7
前へ
/121ページ
次へ

プロローグ

「先生が好きです」 ずっと胸の中で眠らせていた想いを口に出したのは、高校最後の冬を迎えた頃だった。 本当は放課後まで待つつもりだったけれど、どうにも気持ちが走ってしまい、彼を呼び出したのは昼休み。 私のクラスの担任であり、古典の教師を務める吉岡紫苑(よしおかしおん)先生は、生徒一人一人に寄り添ってくれる、とても優しい人だ。 到底叶わないと思っていた夢も、彼のおかげで随分と現実味を帯びた。 両手で差し出す手紙が緊張を読み取って震える。 突然の告白に驚いていたのか、しばらく動かずにいた彼は、ようやく手を延ばして手紙を受け取ってくれた。 しかし、彼は封筒を眺めるだけで中身を確認しようとはしない。 やがて、小さな溜め息を一つ零した。 「……冗談だろう?」 彼が零した最初の言葉はそれだった。 一瞬、何を言われたのか分からなかった。 雰囲気は重いまま、先生は言葉を並べていく。 「何を考えているんだ。大学入試までもう一ヶ月しかないんだぞ。集中力が足りないんじゃないのか」 「……っ」 「恋だの愛だのにうつつを抜かしている暇があったら勉強をしろ。優先順位を間違えるな。 くだらない事に時間を費やすな」 これは返しておく、と最後に付け足された言葉は辛うじて耳に入ってきた。 自分のものではなくなったように動かない手に手紙を差し込むと、彼はその場を離れて行ってしまった。 あぁ、そうか、と空っぽになった脳が呟いた。 そうだよな。当たり前か。 大事な受験を前に、生徒が教師に告白するなんて。 そりゃ、怒るよな。 悲しいはずなのに、涙は出てこなくて。 ただただ、頭の中で何度もそうか、そうだよな、と繰り返した。 返された手紙を弄びながら、廊下をとぼとぼと歩いた。 この後に控える授業が古典である事に、少し気が重くなる。 帰りたい、と心が呟くけど、結局私に授業をサボる勇気なんてない。 それに、彼の授業を放り出してしまったら、その程度の人間なんだと思われる。また、嫌われてしまう。 これ以上吉岡先生の評価を下げないために、今にも止まりそうな足に力を入れた。
/121ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加