プロローグ

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荷物を集めていると、手の平くらいの大きさの紙が落ちていることに気付いた。 裏返った紙を拾うと、小さな枠の中で笑う女の子と、女の子を抱きしめる男女がいた。 見慣れないこの紙きれが何なのか、あたしは知っている。 これは、写真だ。 ここの港から海を渡った先にある知識の国カルダルシアにある、絵よりも精巧に人の顔や風景を映し出せる技術だと、本で読んだ事がある。 写真を見ていると、女が気付いてああ、と声を漏らした。 「それ、娘なの」 「娘?」 「そう、真ん中の女の子。ひと月前にようやくカルダルシアに逃がしてやれてね。ママも早くおいでって、手紙をくれたの」 自分に関係のない話なんて興味ない。 他人の幸せや楽しい話を聞いたところで自分が惨めになるだけだから。 だけど今は、それよりも興味を惹く言葉が混じっていたことに気が付いて、顔を上げた。 「カルダルシアに、逃げた?」 女は一瞬止まってあたしを見ると、ふ、と頬を緩めた。 「ええ。夜になると、この港にカルダルシアから船が来るの。一晩に一艘だけだから乗れる人数は僅かだけど、乗れればカルダルシアまで逃がしてくれる」 心の中で、何かが弾けた気がした。 どうして、今まで気づかなかったんだろう。 どうして、いつから。 この国の中で生きなきゃいけないと思ってしまったんだろう。 生きられるなら、ここじゃなくてもいい。 この国にこだわる必要なんてないんだ。 闇の中に光が見えた気がした。 最後の荷物を袋に突っ込み、弾かれたように立ち上がる。 こんな事をしている暇はない。早く家に戻って、みんなに教えてやらなきゃ。 女が何か言っていたけど、その言葉ももう聞こえなかった。 「シオン!シオン!」 家に駆け込み、リーダーの居そうな場所を見て回る。 部屋にもリビングにも、書庫にもいなかった彼は、中庭に腰を落としていた。 カルダルシアに行けるんだって。 こんな国、さっさと出よう。 そう、伝えようと思って中庭に出る。 彼に近づくにつれ、足が重くなるのを感じた。 シオンの前に、誰かが横たわっている事に気付いたからだ。 普段なら近付くだけですぐに気配を察して振り返るシオンが、ピクリとも動かずに背中を向けている。 ただ事でないことは理解出来た。 一歩、一歩近付く毎に、シオンの影に隠れていた人の姿が露になる。 それはよく知っている顔だった。 「キョーヤ……?」 この家に一緒に住んでいる、あたしの家族。 強くて、誰よりも優しくて、頼りになる兄貴みたいな人。 音もなく眠るキョーヤの顔は、薄白くなっていた。 「どうした?キョーヤ、具合悪いのか?」 無意識に吐き出した言葉は、随分と演技じみた声色で。 本当は分かっているキョーヤの状態を認めたくないんだと、他人事のように気付いた。 「……そう見えるか」 冷たいシオンの声が、全てを肯定する。 貧血になったみたいに目の前がくらりと揺れ、シオンの横に座り込んだ。 「……子どもが、いたんだ。王国軍とやり合ってる時に迷い込んできて。 何を考えたのか知らねぇけど、兵士が子どもに銃を向けて」 その後は、聞かなくても分かった。 子どもを庇って撃たれたんだろう。 キョーヤは本当に、本当に優しい人だから。 足下に咲いている雑草の命さえ憂うような人だから。 自分の命と引替えても他人を優先するような、優しいバカだから。 「……っ!」 そんなバカが、大好きで。 失いたくない、大切な家族だったのに。 王国軍が、キョーヤを奪ったんだ。 なにが、王国軍だ。 女王の思い通りにならない奴は殺して。 女王のご機嫌取りに人を殺して。 この国は、腐ってる。 自然と開いた口が、心の中に留まりきれなかった言葉を吐き出した。 「……シオン。逃げよう」 「……」 「カルダルシアに行けるんだ。行こうよ。ここにいるよりずっと、幸せになれるよ」 もうこんな風に、突然大切な人を失うこともない。 本を読んでも、知らないことを知りたいと言っても誰も怒らない。 みんなが楽しそうに笑って、昨日のはなしなんかをする。 ここよりずっとずっと幸せに生きられる国が、すぐ隣にあるんだ。 それなのにシオンは、いつもみたいにあたしの意見に賛同はしてくれなかった。 「みんなを放って行く訳には行かねぇだろ」 「じゃあ、みんなを先に行かせればいいよ。毎晩少しずつ送り出して、この家が空っぽになったらあたしとシオンも追いかければいいだろ」 「……チカ」 いつもの静かな声が、今日は少し怖く感じる。 シオンはキョーヤから目を離し、あたしの方を見た。 「みんなってのは、ここに住んでる奴らじゃねぇ。この国に住んでるみんなだ」 「……っ、他人なんかどうでもいい」 「俺達は革命軍だ。国民の希望が真っ先に逃げ出してどうする」 「そんなの、あいつらが勝手にあたしらをそう呼んでるだけじゃんか」 「俺達がこの国を変えられる最後の可能性だからだ。 この国がいつか変わる時、ここに俺達がいないと、」 「いつかっていつだよ!シオンがそんな夢みたいなこと言ってるから、15年も経ってんのに何も変わらねぇんだろ!!」 冷静な話し合いなんて、出来なかった。 胸の中に感情が溢れて、止まらない。 15年間溜めてきた想いが、ここぞとばかりに流れ出して、止まらないんだ。
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