第一話 ホッピー

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     4 「お疲れ様です」  オールバックの白いシャツを着た、バーテンダーの青年より少し歳が上に見える男が、声を掛けながら現われた。同時に、倒れた安生を抱え上げていた青年の元に、バックバーの裏手から続々と人手が現れてきた。  総勢五名。青年を合わせて六人が、この〝バー・シックス・ディメンション〟のメンバーだった。 「仁サン、この人、どうすんの?」  椅子に座らされ、カウンターに突っ伏した安生を突く小柄の愛らしい表情を見せる少年のような青年が、オールバックに聞いた。彼は、〝仁〟というらしい。 「どうもしませんよ。ここで眠って頂くだけです」  仁が苦笑して安生のジョッキを片付ける。 「そんなこと言って、今回も何か企みあってここで開店したんでしょー?」 「それは、全てがわかってからのお楽しみですよ、兎川君」  仁は目を丸くさせた愛くるしい青年にウインクをしてみせた。青年は、頬を膨らます。 「むう。僕等を巻き込まないためとはいえ、もうちょっと教えてくれてもいいのにさあ。ねえ、アイコちゃん」 「愛孝、です、兎川さん。それより兄さん、次の予定は大丈夫なんですか?」  さらりとした黒髪に眼鏡を掛けた理知的な瞳をした青年・愛孝が、対照的に金髪で裸眼の鋭い瞳をした青年に声を掛けた。その青年は、対照的なのは今挙げた部分だけで、なんと後は愛孝と全く同じ顔・背格好をしている。 「当たり前だ。俺より、このがさつで何も考えてない図体だけの奴を心配してやれ」 「ああ? それは俺のことか」 「お前以外誰がいる」 「狂信君、狼谷君」  ふたりが睨み合い、胸倉を摑まんばかりに迫っていたが、仁のひと言で舌打ちをしながらすぐさま離れた。  狼谷、と呼ばれた、確かに体の大きい、狼のように髪を逆立てた青年は、最後のひとり、静かに仁の片付けを手伝っていた中肉中背、マッシュルーム頭で目元まで前髪が掛かっている、少々暗めの青年、つまり安生の相手をしていたバーテンダーに近付き、肩を抱いた。 「馬屋原は、俺のことわかってるもんな」 「え。あ、はあ……」  肩を抱かれた馬屋原は、困惑気味に首肯した。その反応に、狼谷が唇を尖らせる。 「何だよ何だよ、大丈夫だって!」 「いや、別に大丈夫じゃないとは……。僕、皆さんのこと、信頼してますから」  馬屋原の静かな言葉に、思わず狼谷も黙らされ、頬を掻きながら「お、おう」と応えるしかできなかった。 「さて、それでは動きますよ!」  にっこりと笑った仁が手を叩き、虚を突かれた形だった全員に喝を入れ、バーの裏手へ消えた。  エンジン音が聴こえた。  と、バーの床がせり上がり、カウンターごと後方へと浮き上がっていく。  がしゃん、とどこかに収まるような音とともに、床が畳まれていく。そして、車体の側面となった。  運転席には仁が乗っていた。 〝バー・シックス・ディメンション〟の正体は改造キャンピングカーだったのだ。  五人はテーブルセットを片付けて、後方から客室へと乗り込む。  仁がクラクションをひとつ鳴らし、土の地面に置かれた安生ひとりを残し、照明もないグラウンドを跡にした。  白いキャンピングカーが去っていくと、辺りは急に静かになった。  ひとり仰向けで寝ている安生の鼾が聴こえ、虫の声が密やかに鳴った。  夏の朝は早く、日射しも暴力的だ。  安生はまた、早朝から陽の光に当てられて目を覚ました。  軽く頭を振りながら、周辺を見渡す。 「……」  無言で寝惚け眼を擦り、立ち上がった。大きく伸びをして、息を吐く。  土に足跡を付けながら、のんびりと競技場跡を見て回った。  もうここからは、自分のできることは少ないだろう。デザインがどうなるかわからないし、それを安生の会社に任せてもらえるかもわからなかった。  ただ、完璧な状態で次の人間に渡せる、という自負と満足感はあった。  また、昨日の記憶はない。  幻のような、あのバーは、本当にあったのだろうか。  あってもなくても、もういいような気がしていた。  バーとの、酒との出会いは、その酔いと、心地良さで決まる。だったら、それを心が覚えているなら、記憶が曖昧でも、良い出会いだったのだろう。お蔭で、仕事も上手くいった。  安生は競技場を出て、しっかりと戸締りを確認し、フェンスを見上げた。  眩しい太陽が輝いている。  廃墟になんかさせない。最高の競技場がここに建つよう、自分にできることはこれからもやり続けよう。  そう決意し、安生は踵を返し、競技場と太陽を背に、歩き出した。  陽に照らされた木立の緑葉が、星のように瞬き煌いていた。
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