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そして、いつしか人影が他には見られない、うら淋しい住宅街の裏道に入り込んだ時のことだった。
オレンジ色だった世界が今度は薄紫色の夕闇に染まり始める中、ふと見ると向こうからカーキのトレンチコートを着た若い女性がこちらに向かって歩いて来る。
スラッとした痩せ型でスタイルがよく、おそらく僕よりも一回り背が高いだろう。足を踏み出す度にカツ、カツと軽快な音を刻む赤いハイヒールが、そのモデル体型をなおいっそう際立たせている。
長く美しい黒髪を夕風に靡かせ、顔は大きな白いマスクをしていてほとんど見えないが、窺える目元だけでも涼しげ瞳をしたけっこうお綺麗な方だ。
それゆえになおのこと、僕は他人と違う自分の容姿がいっそう恥ずかしくなる。
それまで同様、僕は顔を見られないようフードの端を引っ張って目深にかぶり直すと、俯き加減にその女性とすれ違おうとする。
……だが、その瞬間。
「ねえ、わたし、きれい?」
体を横にずらし、僕の進路をわざと遮った彼女が不意にそう尋ねてきた。
「……え?」
僕は思わず立ち止まると、彼女の顔を見上げてしまう。
「ねえ、わたし、きれい?」
沈みゆく夕陽を背負っているため、彼女にとって僕は逆光の位置にあたり、深くなった影のおかげで幸い僕の顔は見られなかったようである。
だが、想像していたのとは違うハスキーな声で、彼女はもう一度、まったく同じ質問を投げかける。
「え、ええ、お綺麗だと……思いますよ……」
突然に問い質され、僕はどぎまぎしながら慌てて率直な感想を口にする。
反射的に答えてしまったが、そういえば、こうして人と言葉を交わすのもずいぶんと久しぶりだ。
なぜ唐突にそんなこと訊いてきたのか知らないが、思いがけず外で人とお話をしてしまった……この人には僕がどう見えているのだろう? イントネーションとか、今の話し方は変じゃなかったろうか?
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