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この日は、木村先生がお相手に確認してきてくれたことを基に、曲目や伴奏などを決めた。
曲目は、木村先生の川上小は、お相手の意向で『向日葵の約束』になった。
私が、西端小は『はなみずき』にすると言うと、木村先生は、
「『はなみずき』っていい曲ですよね?」
と、軽く鼻歌を口ずさむ。
そのテノールの歌声が、とても優しく温かく響いて、胸の奥でトクン…と心臓が音を立てた。
その小さな音は、鼻歌が止んでも止まることはなく、木村先生が話すたびに、トクトクと主張し続けた。
そうこうしていると、木村先生は手際がいいので、決めることなんてあっという間になくなってしまう。
そうすると、このトクトク忙しなく鳴り続ける心臓を抱えて、木村先生と2人で世間話をしなければいけない。
私はこの時間が、苦しくて仕方ない。
おいしいはずのお料理も、味がよく分からない。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
木村先生にそう言われた瞬間、どんなにほっとしたことか。
私は、木村先生に続いて席を立つ。
すると、店の出口付近で何かトラブルが起きているようだった。
出口に向かう私たちが近づいていくと、レジの中にいる店員さんが困った顔をしている。
相対しているのは、外国人らしき人。
それを見た木村先生は、
「ちょっと待っててください」
と私に声を掛けて、間に入って行った。
「Can I help you with something?」
ペラペラと英語で会話する木村先生。
かっこいい…
どうしよう。
すごくドキドキする。
木村先生は、店員さんに内容を伝える。
「さっき飲んだ日本酒が美味しかったから、
お土産に買って帰りたいそうです。
代金は払うから、3本売って欲しいって
おっしゃってます」
事もなげに通訳して、店員さんはほっとしたように日本酒を取りに行く。
それを見送りつつ、私たちも会計に並ぶのかと思ったら、
「お待たせしてすみません。
行きましょうか」
と店外に促された。
「あ、あの、お会計は?」
私が尋ねると、
「大丈夫ですよ。
松井先生、そんなに召し上がってない
でしょう?
いつもそんなに小食なんですか?」
と言われてしまった。
また、いつの間にか会計を済ませていたらしい。
私は決して小食なわけじゃない。
目の前にあなたがいるから、食べられないだけで…
でも、そんなことは、口が裂けても言えず…
「いえ、
そう言うわけじゃないんですけど…」
と言うに留めた。
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