百2)5月の扉

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百2)5月の扉

 駅を降りると、真っ白いYシャツの学生で溢れていた。  抜けるような青空とのコントラストで、目が眩むような感覚を覚えた。 「そうか、もう衣更えの季節か。」  隆弘は心の中で呟くと、キャンパスへと向かった。  昼は法律の勉強をし、夜は塾の教師をしていた。睡眠時間を削った生活は、体のダルさを残しながらも充実していた。やっと前に進んでいる実感を得られた。  10年前、姉が行方不明になった。悪質なストーカーによる連れ去り事件。犯人が自殺してしまった為、姉がどこにいるのかも分からなかった。  たぶん、生きては居ないだろう。口には出さないけれど、両親も分かっているはずだ。  それより、姉がどんなに恐い思いをしてどんな風に傷つけられたか…隆弘はその事がずっと胸にあった。  優しい姉だった。  寝る前には母にかわって本を読んでくれた。幼い頃は留守番の時、姉と一緒なら怖くなんてなかった。  力が欲しい。  家の中はあれ以来、時が止まっている。我が子を失った哀れな両親は、一気に活力を失い、髪は真っ白だった。姉の部屋も、当時のままだ。 思春期をそんな環境で育った隆弘は、同級生とは纏う空気感が異なり、いつも一人だった。  力が欲しい。  法律の勉強をしようと思ったのは、ある人の言葉に触れてからだ。「一人の生命は地球一個分よりも重い」 救われた気がした。進むべき道は、ここだと思った。 人間ばかりが尊い命だとは思わない。ただ、人は人を想う。 突然に大切な人を失ったとき、人の時間はそこで終わってしまう。 姉のような、また両親のような、弱い存在を守れる人になりたい。 隆弘は、肩にかけた鞄を握りしめると、講堂の扉を開けた。 申し訳ないほどの光が、溢れていた。 【春過ぎて 夏来にけらし 白妙の衣ほすてふ 天の香具山】
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