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1.大豊神社の狛鳶
大好きな人がいた。
その人と離れるのが嫌で、わたしは俯いて泣きじゃくっていた。
今でもはっきりと覚えている。青く晴れた空の下で、桜が爛漫と咲き誇っていた。
その人はわたしの前にしゃがみ込み、視線を合わせると、
「ほら見てみ?桜が綺麗やで」
と優しい声で促した。けれどわたしは首を振って、かたくなに唇を結んでいた。
「杏奈」
背後から母親が呼ぶ声が聞こえた。
「もうそろそろ出発しないと、飛行機に遅れてしまうわ」
わたしは母親の声に逆らうように、その人の体にぎゅっとしがみついた。その人は少し弱った顔をすると、
「杏奈、お母さんが呼んではる」
と言ってわたしの両肩を掴んだ。わたしの顔を覗き込むようにして、
「そんなに泣かんでも、また会えるで」
と微笑んだ彼に、わたしは涙声で、
「またっていつ?」
と尋ねた。
「そうやなぁ……杏奈が大人になったら、かな」
とても不確かな答えだったが、わたしはそれなら急いで大人になろうと思った。
「杏奈がおとなになったら、そのときは、杏奈を『こいびと』にしてくれる?」
「ええよ」
――わたしは、あの時の約束を、忘れたことはない。
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