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事務所への帰り道、少し遠回りをしてチヅルのいる工事現場に立ち寄ると、現場監督の木村義弘が屋根に向かって「チビ、降りてこい」と叫んでいた。
「木村さん。どうしたの?」
「あぁ、みっちゃん。チビが上にいるんだ」
「知ってるわ。東公園から見えたもの」
「飯は下で食えって言っているんだけどなぁ。チビはいつも屋根の上だ。猫じゃあるまいし……」
木村は見上げて短い髪をかきむしった。
「チヅルさん!」
美智が大声で呼ぶと、軒先からチヅルの顔がにょきっと現れた。
「美智さん。大丈夫?」
微笑ながら手を振っている。
「大丈夫って?」
「二日酔いですよ」
訊かれて初めて、頭痛が治まっているのに気付いた。
「ええ、大丈夫よ。チヅルさんは、いつも屋根の上にいるの?」
「はい。高いところ楽しいじゃないですか。色々なものが見えるし、煩いおじさんもいないし……」
「誰がおじさんだ。チビ、落ちたらどうする。降りてこい!」
木村が怒鳴ると、「ボクは落ちましぇん」とチヅルはひょうきんに応えて姿を消し、「美智さん、またねぇー」と、声だけが降ってきた。
美智が事務所に戻ったのは昼休みが終わる直前だった。いつも最後に帰ってくる容子と二宮も既に席に着いていた。
「美智さん……」
希美がやってきて頭を下げた。泣いたのだろう。その眼は赤かった。合併問題でやりあった時の刺々しさは全くなかった。
「全部聞きました……」
美智は、希美が何を言おうとしているのか分からず首を傾げた。
始業時間のチャイムが鳴る。
「もう時間ですよ」
美智が教えると、希美は潤んだ瞳で微笑み、自分の席に戻った。
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