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永遠の抱擁 ~君の名は~
俺、木村(きむら)和正(かずまさ)のばあちゃんが死んだ。俗名三原(みはら)ハル。享年九十七歳。戒名は優明(ゆうめい)春光(しゅんこう)信女。優しくて明るかったばあちゃんらしい名前を貰った。死因は老衰。
ばあちゃんが荼毘に付されて、初七日の法要のお経を聞きながら、俺はこれまでの、ばあちゃんとの色々な出来事を思い出していた。
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子供の頃、俺は茨城県に住んでおり、母方のばあちゃんの家には良く遊びに行っていた。ばあちゃんも俺の事を可愛いがってくれて、はっきり言うと俺はおばあちゃん子だった。俺の名前「和正」も、ばあちゃんが付けてくれたらしい。
幼稚園の年長組くらいの時に、親父の仕事の都合で東京に引越してからは少々疎遠になってはいたが、年一くらいは逢っていたと思う。
俺が小学校五年の時に、ばあちゃんの行動が変になって来て、医者に診て貰ったところ、アルツハイマー型認知症と診断された。長女夫婦が在宅で面倒を見ていたが、症状は徐々に進行して行った。
俺が中三になった平成二十七年には、ばあちゃんが徘徊するようになり、デイサービスに行くようになった。
俺はその頃から、奇妙な夢を見るようになった。
その夢では、俺はいつも同じ川の河川敷で散歩をしている。すると、必ず青いストライプのワンピースを着た少女と出逢う、というものだ。肩に掛かるくらいの髪、くりっとした眼、少し丸みのある頬の、可愛いらしい感じの娘(こ)だった。
始めは月に一回見るか、という程度だったが、一年くらい経つと、その頻度が上がって来て、俺が高校に入るぐらいには、少なくとも週一回はその夢を見るようになっていた。
俺、欲求不満なのかな?
思わずそう考えてしまうほどだ。
どちらかというと人見知りで、女子との会話は苦手で「彼女居ない暦=年齢」の俺だったが、どうせ夢の中なのだから、とある時思い切って彼女に声を掛けてみた。
「こんにちは」
彼女は目を丸くして俺を見たが、すぐに笑顔を見せた。
「こんにちは。良いお天気ですね」
そう答えた彼女の声は、とても澄んで心地良かったが、少しアクセントが気になった。
「違ってたらゴメンだけど、もしかして関西の人?」
俺が尋ねると、彼女はばつが悪そうに笑った。
「やっぱり判ります?四年前までは神戸に居たんです。だいぶ直って来た思てたんですけど…。やっぱり変ですか?」
「あっ、いや別に変とかそんなんじゃなくて。俺関西弁の女子好きだし」
俺は言わなくても良い事まで言ってしまった。引かれるかな、と思ったが、彼女は軽く笑って流してくれた。
「ふふ。面白い人ね」
俺はそこで目を覚ました。俺としては珍しく、夢をはっきりと覚えていた。
また逢えるかな?
俺は彼女の姿を思い出しながらそう思った。
それからも、週一くらいのペースで彼女の夢を見た。夢はちゃんと続き物になっていて、前回の内容は必ず次の夢に持ち越されていた。
彼女の名前は堀内ハル。今年で十五歳になる、というから、俺の二歳下だ。でも、話し方も話の内容も態度もしっかりしていて、何だか自分の方が子供だな、と思えてしまう。まあ、毎回話しをするのは他愛のない日常会話なのだが。
「私、女学校に入る年にこっちに越して来たんやけど、言葉がこれやろ、結構いじめられたんや」
ある時、ハルがそんな話を切り出した。
「ひどい奴がいんだな」
「その子、近所の庄屋さんトコのお嬢さんでな、みんなにチヤホヤされるんが当たり前やったんや。成績もええし。私、それを解ってヘんかって、普通に接してたんや。そしたら、彼女が取り巻きを使(つこ)て、段々と嫌がらせして来るようになって」
「どこにでもいるんだ、そんな嫌なヤツ」
「ただ、私も黙ってやられるの嫌やったから、ある日、彼女に決闘を申し込んだんや」
「決闘!?」
「うん。そこの河原で」
ハルはすぐ横の河原を指差した。
「凄い思い切った事したね」
「私、中等学校から薙刀やってたから、自信はあったんや」
「薙刀かあ」
「彼女も負けるとは思ってへんかったんやろね。ちゃんと決闘場に現れたわ」
「で、決着は?」
「私がコテンパンにしたった」
「うわあ」
「次の日、校長先生に呼び出されて、こっぴどく怒られたけどな」ハルはそう言って肩をすくめた。「そんなんじゃ、嫁の貰い手も無くなるぞ!とか言うて。大きなお世話や」
ハルはそこで一端言葉を止めると、上目使いに俺を見ながら尋ねて来た。
「カズくんは、そんな乱暴な女の子は嫌い?」
「い、いや、別に嫌いじゃねえよ。むしろ、なんかこう、芯が通ってて、好き…かも」
俺は照れ隠しにもごもごと小声で答えた。
「ちょっと何それ?そんな夢をもう一年も見てるっての?カズ、あんた欲求不満なんじゃないの?」
俺が入っている「文芸部」の部長である井口ひとみパイセンは、俺の話を聞くとあきれ顔でそう言った。
「女の人がそんな言葉使わないで下さいよ」
俺は溜め息混じりに言った。
「あんたは、その女の子に本っ当に見覚えないの?」
パイセンは腕組みしながら尋ねて来た。
「だから、本当に知らないんですよ、堀内ハルなんて娘(こ)は」
「普通夢って言ったら、知ってる人が出て来るか、理想的なキャラを作り上げるかよねえ」
「うーん、まあ可愛いとは思いますけど、理想的ってのはどうかと」
「何よ、満更でもないんじゃない」
パイセンに冷やかされて、俺は首を振りながらその場を離れた。机に着くと、ルーズリーフを開く。
文芸部は、年に二回、部員達の小説や詩などの作品を集めた部誌を上梓する。夏休み開けにコピー本、年度末に印刷本を作るのだが、俺はまだどちらもプロットが出来ていなかった。
プロットを考える振りをしながら、俺はハルの事を考えていた。
彼女は頭も良いし、性格もさっぱりしていて、話していても余計な気を使う事もない。話題も豊富で、知識も多い。しかも謙虚で良く気が付く。ちっちゃくて、元気で、優しくて…。
いつの間にかハルの良いトコを探している自分に気付いた。気付いて、俺は顔が熱くなるのが判った。両手で頬を隠しながら周りをうかがうと、ひとみパイセンとバッチリ眼が合ってしまった。パイセンはニヤリと笑った。
今回の夢は、ハルが弁当を持って来てくれた。梅干しのおにぎり、玉子焼き、里芋の煮っころがし、たくあん。
「美味しそう。昭和なお弁当だなあ」
俺の言葉に、ハルは笑って答えた。
「私にお料理を教えてくれたお祖母ちゃんのお弁当は、もっと地味やったよ」
俺はおにぎりを頬張りながら、猛烈に頭を働かせた。
何か話題は無いか?
「そう言えば、再来年、東京オリンピックがあるよね?ハルはスポーツに興味ある?」
そう振ってから、俺は絶望感に囚われた。俺、スポーツほとんど興味ないのに、何やってんだ!?
俺の苦悩を知ってか知らずか、ハルは屈託のない表情で答えた。
「そうね。私もそれほど判る訳ちゃうけど、前のベルリンの時は、ラジオの前で『前畑がんばれ!』って言うてもうたし。東京でやるてなったら、やっぱり盛り上がるやろね」
「だよね。きっと盛り上がるよね」
俺は無難に話を進めた事にホッとしつつも、小さな異和感を拭えなかった。
前回のオリンピックって、リオデジャネイロじゃなかったっけ?
夏休みの終わり頃、ばあちゃんが徘徊中にコケて、左足を骨折した、と連絡が入った。
お見舞いに行くと、ばあちゃんはベッドの中で小さくなって横たわっていた。久し振りに会ったばあちゃんは、だいぶ痩せて、随分とちっちゃく見えた。
すっかり眠り込んでいたので、翌日改めて見舞いに来る事にして、この日は実家に泊まる事になった。
その日の夜、また夢を見た。
ハルは左足を引きずってやって来た。
「どうしたの、ハル」
「ご免ねカズくん、心配掛けて。足首ぐねってしもて」
「そんな時に無理して来てくれなくても良かったのに」
「でも、カズくんに会いたかったし」
ハルに言われて、俺はドキッとした。
「俺も」言葉が自然に出た。「俺もハルに会いたかった。来てくれてありがとう」
ハルと俺は並んでベンチに座り、川面を眺めていた。山の端に夕日が掛かり、空全体が燃えているようだった。ハルは俺の肩に小さな頭をちょこんと乗せて、夕焼けを見つめていた。
「私ね、カズくんといると、凄く楽しいし、心が安まるんや」
ハルは一人言のように言った。俺も同じ気持ちだったので、黙って頷いた。
「私、これが夢やて判ってるんよ。でも、判ってても、こうやって会えたら嬉しいんや。いつまでもこの夢が覚めへんかったらええなって思てるんや」
俺はそっとハルの手を握った。少し躊躇ってから、ハルは指を絡めて握り返して来た。
ハルと俺は、空が暗くなるまで手を繋いだままベンチに座っていた。
ばあちゃんは、寝ついてしまった事により、とんどん体力が落ちていった。食事もあまり採らなくなり、一段と痩せて来ていた。
十一月に入ると、アルツハイマーも悪化が進んで、日がな一日うつらうつらしている事が多くなった。
夢の中のハルは、足も治って少し元気が戻って来たようだった。この所、ほぼ毎日のように会えていた。
ところが今日は、何だか様子が変だった。何かを言いたそうに
しつつ、なかなか言い出せないような、そんな感じだった。
「どうしたの?何かあったの、ハル」
声を掛けた俺に、ハルは哀しげな表情を向けた。
「うん…。あのね…」
言いかけて、またハルは口を閉じた。何かとても言い難そうだったので、俺はハルが言えるまで待った。
「あの…。実は、また引越す事になって…。もう、お別れせなあかんの」
ハルは辛そうに言葉を絞り出した。
「どこへ?」
「判らへん。どっか遠いトコ」
それを聞いて、俺の心の中に溜まっていた何かが一気に溢れ出した。俺は、座っていたベンチから勢い良く立ち上がった。ハルも一緒に立ち上がる。
「ハル。俺、ずっと言おうと思ってたんだけど、勇気が出なかった。だけど、是非聞いて欲しい」
ハルは、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「ハル、好きだ」俺は勢一杯の気持ちを込めて言った。「夢の中の君でも構わない。俺、ハルが好きだ」
ハルは瞳を潤ませたまま少し間を置いて、大きく頷いた。
「カズくん、私も好きよ」
俺はその答えを聞いた瞬間、ハルを抱き寄せていた。その小さくて、華奢で、柔かくて、温かくて、愛おしいその体をきつく抱き締めた。そして、どちらからともなく互いの唇を求めた。
ハルの柔らかな唇は温かく、かすかに震えていた。
俺は唇を離すと、ハルの顔を見つめた。
「何て事してくれたん?私のファースト・キッスやったんよ」
ハルははにかみながら言った。
「俺も初めてだよ」
俺はぶっきら棒に言った。
「私、行かなきゃ」
ハルは俺の胸に頬を押し当てながら言った。
「また逢えるかな?」
俺はかすれ声で尋ねた。胸が苦しくて、声が思うように出なかった。
「うん」ハルも涙声で答えた。「カズくん、また逢おうな」
俺達はもう一度抱き締め合った。
その二日後、ばあちゃんの容態が急に悪くなった、と連絡が入った。突然、内臓の機能が低下して、いつ息を引き取ってもおかしくない、と医者に言われた。
俺が病室に着いた時には、既に意識は無く、医者は「最後に少しでも多く声を掛けてあげて下さい」と言い残して病室を出ていった。長女(叔母さん)や次女(俺の母親)は、半泣きになって色々と話し掛けていた。
家族みんなが声を掛け疲れて一息入れた所で、俺はばあちゃんの横に座った。小さい頃には、ばあちゃんにとても可愛いがって貰った。そんなばあちゃんが、今目の前で寿命が尽きかけて眠っている。
「ありがとな、ばあちゃん」
俺は静かに語り掛けた。
「俺、ばあちゃんによく遊んで貰ってたよなあ。何か、凄く大事にして貰ってた気がするよ。引越してからあまり会えなかったけど、心配してたんだぜこれでも」
と、その時、ばあちゃんがゆっくりと目を開けた。
ばあちゃんは、目に涙をためて、俺を見つめた。手が少し動いたので、俺はその手を取った。
ばあちゃんは微笑むと、かすかな声で言った。
「カズくん、さよなら。また逢おうな」
俺は、その言葉で突然全てを理解した。
「うん。また逢おうね、ハル」
俺の目から、涙が溢れた。
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「うーん、それって、『いい話』って言っていいの?」
ひとみパイセンは腕組みをして渋面を作った。
「パイセン、可愛くないっすよ」
「うるさい」
パイセンは、丸めた部誌で俺の頭を叩いた。
「でもそれって『タイムリープ』物なの?」
頭を抱えた俺に、パイセンが尋ねて来た。
「判りませんよ、俺にも。十五歳のハルなのか、十五歳に戻ったハルなのか」
「大体あんた、自分のおばあちゃんって判んなかったの?」
「判る訳ないじゃないですか。俺の知ってるばあちゃんと八十二歳も年が離れてるんですよ。俺、しわしわのばあちゃんしか知りませんから。それに、俺の母さんの旧姓でもない、ばあちゃんの旧姓ですからね、名前からでも判りませんよ」
「それもそうか」
パイセンは一応納得してくれたようだ。
「あんたも複雑よね。初恋の相手が実のおばあちゃんじゃあねぇ」
パイセンはそう言って俺の肩をポンポンと叩いた。
パイセンは慰めてくれたが、俺は、好きだったばあちゃんの知らない一面が見られて、良かったと思っている。
初七日の後、実家に帰ってばあちゃんの遺品を片付けていた時、一枚の白黒写真を見つけた。それには、俺が夢の中で見た、ストライプのワンピースを着た若かりしばあちゃんが微笑んで写っていた。
ハル、写真映り悪いな。
俺はそう思いながらも、その写真を貰っておく事にした。
その写真を見ながら、俺はある事を思いついた。
年度末の部誌の作品は、この体験を小説にしよう。タイトルは『永遠の抱擁 ~君の名は~』かな。
おわり
20191109
※この作品は、実は米津玄師の『Lemon 』にインスパイアされて生まれました(笑)。
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