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アルウ
エジプトの首都テーベに春の砂嵐の季節がおとずれるころ、ハレムイアの妻、ヘヌトミラは初めての出産をむかえていた。
「神よ来たれ、神よ来たれ……」
ヘヌトミラの出産を手伝うために訪れた三人の助産婦は、ベッドで苦しそうに横たわる彼女のまえで激しく踊り、神に捧げる歌を歌いながら、お産の無事を祈った。
「神よ、神よ、悪霊から母と子を守り給え……」
ヘヌトミラが強い産気に襲われると、それまで踊っていた三人の助産婦たちは、急いでベッドに駆けつけ、彼女の両脇を抱きかかえた。
ヘヌトミラは助産婦たちに助け起こされ、ベッドを降りたところの土床に肩幅より幅広く敷かれた二枚の赤煉瓦、お産の神メスケネトの化身〝誕生の煉瓦〟に大股で跨がり、ゆっくりしゃがんだ。
「余は汝の授かり物を……」
三人の助産婦は儀式に従って再び踊り始め、子供が早く生まれヘヌトミラが苦しまないようにと、頭の上に巻いた長い黒髪をほどいた。
パチン
へヌトミラの股からツーッとあたたかな水が床に流れ落ちた。
「破水したわ」
助産婦たちは歌うのをすぐにやめ、
「もうすぐよ!」
二人の助産婦が素早くヘヌトミラの両脇に立ち彼女を支える。
残る一人は生まれ落ちる赤ん坊を受け止めるため、母親の正面に座り待ち受けた。
「リキんじゃダメ。短く呼吸して」
助産婦がヘヌトミラの呼吸を整えさせる。
「ハッハッハッハッ」
ヘヌトミラの顔は苦痛に歪み、両目をきつく閉じた。
「頑張って! 頭が出てきた。生まれるわ!」
助産婦が赤ん坊の頭を片手でささえながら、ゆっくり滑り落ちる子どもの体を母胎から引っぱり出した。
「おめでとうございます!」
助産婦は受け止めた赤ん坊から、手際よくナイフで臍の緒を切ると、途端に赤ん坊の元気な鳴き声が部屋中に響き渡った。
「……」
ヘヌトミラは二人の助産婦に抱きかかえられ、ベッドに寝かされた。
「とても元気な男の子ですよ」
助産婦が赤ん坊の汚れを柔らかな布で拭き取り、ヘヌトミラの真横にゆっくり寝かせる。
「ヘヌトミラ、頑張ったな」
ハレムイアは妻と我が子を目の前に涙ぐむ。
「はい……」
ヘヌトミラは慈しみ深い眼差しで我が子を見つめる。
「息子よ、私たちの元に来てくれてありがとう」
ハレムイアは嬉しさのあまり目を細めた。
狭い部屋の小さな窓枠には出産の神であるハトホル、タウェレト、ヘケトを奉る祭壇が設けられている。
父親となったハレムイアはその祭壇の前まで来て跪くと、目を瞑って頭を下げ、神々に感謝の祈りを捧げた。
「息子を無事授かりました。妻も子も元気にしています。本当に有り難うございます」
身繕いを済ませた三人の助産婦は、もう一度、母子が寝ているベッドの所まで来て祈りを捧げる。
「神々の愛が母と子を包み、祝福の光が永遠にこの家族に降り注ぎますように」
三人の助産婦が玄関に向かうと、ハレムイアは慌てて棚から小麦を入れた袋を取り、彼女らに手渡しながら「ありがとうございました」と一人一人に丁寧に労いの言葉を添えた。
「神々がいつもご家族の傍にいて、家族を助けて下さりますように」
助産婦たちは帰り際にもう一度家族の為に祈り、微笑みながら帰って行った。
ハレムイアが妻と赤ん坊の寝ている部屋に戻ると、妻がベッドの上に左膝を立てて腰掛け、左手を赤ん坊の頭に優しく添えながら乳をあたえていた。
「もう乳を……」
ハレムイアはとても驚き感激した。
「はい」
母と子の姿が、まるでホルスに乳を与えるイシスのように神聖に思える。
「まるで聖母と天の子のようだ」
「この子を見ているとじっとしていられないのです」
ヘヌトミラは微笑み、母の慈愛に満ちた眼差しで赤ん坊を見つめ乳を与えつづける。
「アルウだ。アルウにしよう。千年に一度、オシリス座(オリオン座)の三つ星の頂点に輝くという幻の星、アルウー星にちなんで」
そう言ってハレムイアは我が子を見つめた。
「アルウ、オシリスに愛されし我が子よ」
ヘヌトミラは小さく呟いて、優しくアルウを抱きしめた。
「お父様にアルウのこと知らせないのですか?」
「父アメンナクテとは絶縁した」
「でもお父様にとってアルウは初孫。きっとお喜びになると思います」
「おまえは父と私を仲直りさせたいのだろう」
「あれから、もう五年以上経っているのですよ」
「おまえの優しい心遣いはとても有り難いのだが、父はあのとおりエジプト一の頑固者だ」
「そういうあなた様もお父様に負けないくらい頑固者だと思います」
「わかった。近いうちに父に知らせよう」
「あなた、ありがとう。この子はわたしたちの宝。きっと愛溢れる子に育つわ」
それを聞いたハレムイアは妻と息子がたまらなく愛しくなり、妻と息子の額に接吻した。
日が暮れるとハレムイアは窓から夜空を見上げた。するとオシリス座の三つ星のすぐ上に、金色に輝く大きな星、アルウー星が瞬いていた。
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