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決戦当日。
「いや、決戦とかそんな大それたものじゃないぞ?」
「その方が、気分が乗るの!」
おかゆと俺は、決戦の地、そして俺たちが出会った場所でもある、バス停へ向かった。あの日のまま、畳が一枚立てかけられていた。
「うん。停滞期に入ってる。しばらくは暴れないから、ゆっくり確実にな」
「了解」
おかゆが鍵を渡してくれた。マッチ箱くらいの大きさで、内部に回路を張り巡らせている。透明な電子基板みたいだ。
その鍵に直に触れて初めて、ああこれは、幻覚ではなく、現実なのではないかと感じた。だとするともうすぐ、終わりが来てしまうのか。
「じゃあ、数えるね」
無言でうなずきあう。
「1、2、3、4……」
記憶が、よみがえる。あの、どうしようもない日々の記憶だ。今となってはちゃんちゃらおかしいが、命を絶つことも考えた。自分の存在価値が見つけられなくなると人は、生きる事に疑問を抱いてしまうのかと、身をもって体験した。
「101、102、103……」
おかゆが料理を褒めてくれた。ただそれだけで、風向きが変わった。
「なんか数えにくいな」
俺は畳をそっと地面に置いて、その上に転がる。いつものスタイルだ。
後ろから「ぎゃっ」と声がする。そういえば、おかゆにはこの畳が、ドブ水のゼラチン固めに見えているんだった。そうすると今の俺は、ドブに寝転ぶヤバいやつだ。
「 431、432……」
別れの時が、近付く。よくあるパターンで、関連する記憶がごっそりなくなってしまうとかだったら、寂しい。
「636、637!ここだ!」
637番目を指で強く押すと、その部分が四角く広がった。そこへ、鍵を差し込む。ぴったりはまった。
「ありがとう、ウメ」
その瞬間、四方から風が吹き荒れる。飛ばされそうになるのをなんとか耐えた。空間に割れ目が出来て、おかゆがそこへ向かう。
「おかゆ!また会えるか!?」
強風の音に負けないように、叫ぶ。
「次元が違うモノが交わるのは、あまりよくないんだ。でも……」
向こう側の光の中で、おかゆが俺に微笑んだ。
「忘れないよ」
その日の夕方、一次面接合格の通知が来た。それから順調に入社試験を突破し、最終面接に辿りついた。相手はあの、昔の上司に似た圧迫面接官だ。どうしても震えが止まらず、上手く自分が出せない。俺は、おかゆの言葉を思い出した。にやりと笑いがこみ上げた。面接官は、もうジャガイモにしか見えない。おかゆのおかげで、最終面接を乗り切り、俺は合格を掴み取った。
1年後。
「梅原君、今日新しい人来るから、案内お願いね」
「はい、課長。了解です」
「ねえ、梅原君。今晩一杯どう?」
「おっ、いいですねー。いつものとこ予約しておきます」
仕事にもずいぶん慣れ、上司にも恵まれた。あの圧迫面接官が直属の上司だと分かった時はさすがにびびったが、今ではよく飲みに行く仲だ。
人は、一人では生きられない。いろいろな出会いの中で、悩んだり、成長したり、有り得ない体験をしたり。もう他人と関わりたくないと拒絶したり、他人にかけられた些細な言葉で救われたり。それに気付けた俺は、もう何も恐れない。
「はじめまして、今日から配属されます、岡谷祐樹です!」
「こんにちは、課長でーす。よろしくね」
「こんにちは、梅原です。よろしく……ん?」
例えばこんな再会も、きっと意味のある事なのだ。
「岡谷祐樹……岡谷、ゆうき……おかゆじゃん!?」
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