旭豆

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旭豆

買い物公園通りの古いビルの前に停めて自転車に鍵をかける。 風は冷たいけど日差しは暑い。 北海道独特の夏の終わり。街中にはあまりいないけど、駅裏の北彩都ガーデンに足を伸ばせばトンボがちらほら飛んでいる。あそこは花が多いから、ハチも沢山飛んでいる。 買い物公園はお洒落な石畳になっており、人通りはそこそこだが外国の人が沢山スーツケースを引いて歩いている。信号機の音くらいしかせず、落ち着いた雰囲気だ。 私は駐輪場を後にし、ビル内にある喫茶店「優(ゆう)」に向かった。高校2年に進学してから家計を助ける為にこの喫茶店のアルバイトを始めて2ヶ月が経つ。 身体にも馴染み始めた白ブラウスと黒リボン、そして茶色のカフェエプロンがお気に入りだ。仕事をやるには制服の可愛さが重要だと思う。体格が良く厳つい見た目の金山(かなやま)店長は気難しい一面もあるけれど、時々北海道の銘菓を差し入れしてくれるので私は随分と道内のお菓子に詳しくなったと思う。 時々持って帰ろうかと魔がさすけれど、結局初バイト代で家族に買ってあげた。弟と妹に人気なのはやっぱり白い恋人。私はき花が一番だと思うんだけど。母が好きなのはバターサンド、父はお菓子をあまり食べないからよく分からない。 バイト先の喫茶店は駅前近くにあり私の家はバスで20分くらい離れている。夏と秋は自転車、春と冬はバスを利用してる。 高校から自宅に帰宅するには駅前のバス停で乗り換える必要があるので、それもありバイト先は駅前近くにしたのだ。 だけど旭川は何でもあって何もない、とよく市外にいる従兄弟達に言われる。 まぁそうかも。 北海道第二の都市と言われてるが、確かに旭山動物園以外はパッと出てこないかもしれない。 だんだんと人口は減少して建物も減っているし、せっかく進出してきた新しい店は一年二年でフッと消えていく。デパートの類はほぼ無くなり、郊外のショッピングモールだって店舗の入れ替わりが激しい。 私の同級生達もとにかく札幌に出たがってる。若い子には物足りない場所のようだ。 旭川はどうやら人の通過点なんだな、と私は思う。実際観光客も札幌から道東(道外の人には阿寒、釧路、北見、網走がある方といえば分かるかな。あっ道外って言葉がそもそも分からなかったりして…北海道の外、つまり北海道じゃないって意味ね)への休憩地点か空港があるから帰路に組み込まれてる事が多い。 何でもある反面何もない街になったのは環境の背景も一因であるわけだ。 昔も今も、旭川は多分通過点、休憩地点なんだろう。 私はというと、そもそも札幌に進学する経済的余裕もなく高卒で旭川に就職するつもりだ。家庭の事情も勿論あるけど、札幌に幼い時行ったきりで憧れが特に無いからだ。そもそもなんで行ったんだっけ。確か親戚の結婚式とかだったかな。 「神川(かみかわ)さん、今日もよろしく。これ、良かったら食べてごらん」 「わー、ありがとうございます店長!…なんですか、これ。コーティングされた…豆??」 「旭豆だよ。てんさい糖で大豆をコーティングしてる。食べた事ないのか…もしかして」 「あったような、ないような。甘納豆みたいな見た目ですね〜。休憩時間にいただきますね」 店長は私がお菓子を受け取ると笑いはしないけど、いつも嬉しそうだ。唯一の学生バイトだから余計に可愛がってくれてるのかもしれない。 お世辞にもあまり繁盛してるとは言えない喫茶店「優」は半分店長の趣味みたいな物らしく、店長は自室で本職の仕事をカタカタやっている事が多い。 先代から受け継いだという店は一度リニューアルしてるらしく、所々古く、所々新しい。 例えば古い物は動かない柱時計があったり、優佳良織の「摩周湖」と題名が書かれた額が飾ってあったりする。新しい物は壁に掛けられた丸いアナログ時計、フカフカの座席や綺麗な壁紙だ。今は分煙が当たり前の風潮なので、喫煙可の座席壁紙は茶色基調、禁煙の座席壁紙はアイボリー基調に分けられている。個室風に一つ一つの座席が仕切られており、長居しやすくなっているので若い人の利用者がそれなりに多い。ネットカフェを参考に作られてる構図だなと思う。 先代の頃は洋食屋で開放的であり禁煙だったらしい。店長のお父さんが煙草の煙が苦手だったそうだ。だからか店内の古い物達も比較的綺麗なままだった。 私は当初禁煙座席やカウンター主に担当する予定だったけれど、今や肩身の狭い喫煙者の来客はとても多かったので結局全部の座席を担当している。店長は女の子に煙草の匂いがつくのは申し訳ない、と思ってるらしく休憩室に消臭剤やら消臭スプレーを色々用意してくれている。 喫茶店「優」のメニューはコーヒーやドリンク類が主で、軽食はサンドイッチやミニパフェくらいしかない。コーヒーは店長が必ず淹れるし、軽食はほとんど店長が仕込んでるので仕上げだけなら私でもすぐに覚えられた。こんなに楽で良いのかな、と思ってしまうけど店長曰くカウンターにいる店番が必要だったから充分助かるのだそうだ。 のんびりした雰囲気の中接客をこなしていると、フロアにポーチが落ちているのに気付いた。 お客さんの落し物だ。 拾い上げると、それは優佳良織(ゆうからおり)の小さなポーチで振るとカサカサ音がした。何か入ってるらしい。 店内のお客さんに聞いて回ったが、該当者はおらずもう出て行ってしまったお客さんの物らしい。 すぐに休憩時間がやってきたので店長に報告した。 「うん。預かっておこう。休憩行っておいで」 「はーい」 店長にポーチを預けると、休憩へ行った。 休憩所はカウンターと店長の自室の間にある。 古めかしいテーブルと椅子が1組あり、それは先代が使っていた物と聞いた。濃い茶色基調の木製で埋め込まれた座面のクッション部分が擦り切れている。 どれだけの人がここに座ったのかな、とこの椅子の歴史を思うと少しどきどきする。 カウンター内のシンクで自分専用のマグカップに水を入れ、休憩場所に引っ込むとオヤツに店長から貰った旭豆をつまんだ。 カリカリで一つ一つが小さく食べやすくて美味しい。時々緑の粒があり、何だろうと口に入れると緑茶味だった。 ちょっと眠気が襲ってきてウトウトきた。まだ20分もあるし、ちょっとだけ寝よう。 私はスマホのタイマーを15分後に設定した。 しばらく気持ちよく眠っていたが、肩を揺すられた。 「お客様、大丈夫ですか?随分長い事テーブルに伏せてましたが…お身体の具合でも悪いのでは」 お客様? 私は目をこすりながら、 「店長〜変な起こし方やめて下さいよ〜」 とふざけた口調で笑いながら言った。 あ。 れ? 目の前にいるのは、見た事の無い男の人だった。 白シャツに黒ネクタイ、そして肩からかける黒エプロンを身につけている。色素の薄い人だった。男の人の割に少し長めの髪もクリクリした困ってる目も眉も栗色で、何より肌が白い。雪のように白くてきめ細かい。いや、それよりこの人は誰なんだろう。新しいバイトの人?店長が私に黙って雇ってサプライズをするような人には見えなかったけど…実はかなりお茶目だったとか? だけど、どことなく私と似たような格好をしてるなぁ、と男の人をまじまじと見ていたら私のスマホがアラームを知らせた。 スマホを手に取ってアラームを止めると、テーブルの上にメニューが置いてあった。 [メニュー おすすめランチ オムライス 400円 ナポリタン 400円 ハンバーグ定食 500円 エビフライ定食 500円 +100円でドリンク付き] え、何これ。 私こんなの作れないけど… ついメニューを手に取ると、男の人が 「ご注文ですか?」 と聞いてくる。 「いつメニューが変わったんですか?」 「えっ。多分しばらく変わってないですよ」 私が黒エプロンの男の人を怪訝な目で見てると、店長がやってきた。 「店長!」 私はホッとして立ち上がり、だけど同時に動揺もした。顔や体格は確かに店長なんだけど随分と背が低い。そしてニコニコしてる。店長はニコニコしたりしない。似ているけど、違う人だとすぐに分かった。 「店長。知り合いですか?」 「うーん。こんな可愛いお客さんがいたら忘れる訳ないんだけどね。で、一体どうしたんだ、雪(ゆき)」 「いつのまにかいらっしゃってたんですよ。ドアが開いたら気付く筈なんですが…一時間は軽くテーブルに倒れ込んでました。だからてっきりお客様の具合が悪いのかと」 「そうだったのか。大丈夫ですか。お水お持ちしましょうか」 店長そっくりの人が聞いてくる。 私は「大丈夫だからちょっと放っといて下さい」と身を引いて断った。 二人は顔を見合わせて不思議そうにしてから 「何か困った事があればお呼び下さい」 と丁寧に頭を下げてからいなくなった。 私はキョロキョロ周りを見回した。 店内は濃い茶色基調のテーブルと椅子が開放的に設置されており、離れた席のお客さん達はハンバーグやパスタを食べている。先程の男の人がドリンクを運んでおり、店長そっくりの人はフライパンを回していた。 店内も喫茶店の香りではない。洋食屋の香りだ。 店のドアが開き、新しいお客さんがぞろぞろと来た。 男の人と店長そっくりの人が注文を受けて忙しそうになった隙に、私はコッソリ早足で店を出た。 注文はしてないから無銭飲食にはならないだろう。 でも、どういう事? これじゃまるで店長から聞いた先代のお店に迷い込んだみたい… 私はビルの外に出て、周りを見渡した。 日差しも冷たい風も一緒だ。 だけど私の自転車が無い。 ガガガ、と音がして買い物公園がフェンスだらけで工事真っ最中だった。 たった数分で全面工事が始まったなんて有り得ない。 そして無くなった筈の駅前のデパートがあった。 それも、まだ綺麗だしお客さんがかなり出入りしてる。というか。買い物公園自体に人が多い。信号機の音も聞いたことの無い音だし、第一信号機が違う。 待ち時間カウント式じゃ無い、ただの信号機だ。 私は困惑しながら出て来た店を振り返った。 [洋食屋Your Color] その隣に、お祭りのポスターが貼ってあった。 日付は、2002年。平成14年になっていた。
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