ミューズの気まぐれな贈り物

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「今日はお越しいただきありがとうございます。最後の演奏になります。『Spain』どうぞお楽しみ下さい」  リズミカルな旋律で始まるこの曲は、どこか哀愁を帯びている。曲調の変化に富んでいるので、おそらく難しい曲だと思うのだが、そんなことを感じさせることなく、彼らは息の合った演奏を聴かせてくれる。演奏が進んでいくうちに、各パートの即興演奏になる。即興演奏の掛け合いになったとき、ドラムの繰り出したリズムにサックスが演奏で応じていく、そして、その演奏が他のパートも巻き込んでさらなる高みに向かっていく。 ーーえ?何なの、これ??ーー  まるで心臓を鷲掴みにされたような高揚感。音楽に酔いしれるとはこの瞬間を言うのか?  気がつけば演奏はテーマの終盤にさしかかり、最後には観客の熱い拍手に包まれて彼らはステージを降りていった。   「ねえ、浅田、お前、大丈夫?」  一瞬魂を抜かれてしまったようになってしまった自分を松島が心配そうに見つめる。 「いや、あんまりにも演奏がすごすぎて、一瞬意識が飛んでた」  それを聞いて松島が笑い出す。 「いくら何でもそれは大げさでしょ。でも、気に入ってくれたならよかったよ。ライブも終わったし、帰ろうか?」  カウンターのところで支払いをしていると、「今日はありがとうございました」と声をかけられる。顔を上げると、先程のステージに立っていたミュージシャン達がカウンターで休憩していた。  声をかけてきたサックス奏者におもむろに自分から話しかける。 「あの、僕は今日初めてジャズのライブに来たんですが、演奏、本当に素晴らしかったです。感動しました」  サックス奏者は僕の勢いに、一瞬驚いたような顔をしたものの、フッと笑顔を浮かべる。 「気に入っていただけて良かったです。このライブハウスには時々出演していますので、またお越しください」 「はい、また来ますーー」     あれから5年が経ち、仕事での役職がついたりと忙しい毎日を送っている。それでも、その合間をぬって僕はライブハウスに足を運ぶ。  いろんなミュージシャンの演奏を聴いたけれど、やはりあの日のライブが一番で、あの時のサックス奏者とは顔見知りになるくらいに何度も演奏を聴きに行っている。  ジャズは同じ曲であっても演奏者や編成でも変わるし、同じミュージシャンの演奏でもその日によって変わってくる。ジャズを聴いていると、音楽は生ものだとつくづく思う。音楽の女神ミューズが気まぐれに与えてくれたあの日のような感動は、まだ片手で数えるくらいしかないけれど、一度知ってしまえば忘れられない。だから、何度もライブハウスへ通う。あの日味わってしまった感動をまた味わいたくて。  (おわり)     
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