年賀状

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年賀状

※今回はこのお話中の一番ディープなところに触っています。過去の犯罪行為、体調不良の描写があります。ご注意下さい。  神田幸彦  高橋雅治  北見律  三田村敦史  この家の住人は皆、名字が違う。  郵便屋さんは何て思っているんだろう、なんて、この時期はいつも思う。  四人宛てそれぞれの年賀状。  元旦、それを仕分けするのは敦史の仕事だ。  リビングのローテーブルに何故か正座をして、届いた年賀状を几帳面に並べてゆく。  今時はメールだのメッセージアプリだの個人情報だのの関係で数は減ったが、それでも毎年ある程度の数は届いているのだ。だいたい幸彦さんと雅治さん宛てだけど。  俺はというと、雅治さんとおせち料理の準備をする……というのが毎年のことだったんだけど、今年は雅治さんの「病み上がりは休んでなさい」の一言で、俺はソファに転がって敦史が年賀状を分けるのをぼんやりと眺めていた。  年末、同じようにインフルエンザに罹ったはずだけど、敦史はもう通常運転に戻ったのに、俺はまだ体のだるさを抱えてダラダラしていた。 「敦史、もう体何ともないの?」  敦史の背中に話しかけると、敦史は振り返らないまま 「うん、まぁ。日頃鍛えてるからね」 としれっと答える。  悪かったな。軟弱で!  確かに俺はバスケ部のエースさんと違って日頃運動らしい運動なんてしてないよ。けど家事だって結構重労働なんだぞ。  と、敦史に言い返してやろうと頭を巡らせていたら、目の前の敦史の背中がピリッと固まるのが見えた。  ピクリ、じゃなくて、ピリッと。そういう表現が一番合う、緊張の走る背中。 「ど、」どうした?  と声を掛ける前に敦史が一枚の年賀状を手に取り、ぐしゃぐしゃに丸めて部屋の隅へ向けて鋭いモーションで投げつけた。  ヒュンッと勢いよく飛んだ塊は、見事ゴミ箱に収まった。  敦史は背中を向けたまま無言。でもその背中から、ものすごい怒りと嫌悪感が伝わってくる。敦史がそんな感情を向ける相手はこの世で一人しかいない。  俺はすぐに起き上がってソファに座り直し、敦史に声を掛けた。 「あつし?」  だけどみっともないことに少し声が震えてしまった。  俺だってあの人のことは嫌いだ。思い出しもしなかったのに、思い出したら……体の奥からじわりと猛毒みたいに重くて冷たいものがにじみ出してきて、体が思うように動かなくなる。  敦史はそんな俺の異変にすぐに気付いてパッと振り返ると、両手を伸ばしてソファの上から俺を引き吊り下ろして腕の中に抱え込んだ。 「律、大丈夫。ごめん……」 頭蓋骨に響く声。  だけど俺は息をするのも苦しくなって答えるどころじゃなかった。  息を吸い吐くという単純作業のリズムが狂い始める。  けくっ、けくっ。  自分の口から洩れるおかしな呼吸音。  ドクッ、ドクッ。  心臓が嫌に大きな音を立てて脈打つ。  マズい。最近は発作なんて起こしてなかったのに……。      俺は咄嗟に両手を口元にあてて息を整えようとした。が、その手を敦史に無理矢理引きはがされて頬を両手で包まれた。  額と額をを合わせ、じっと目と目を見合わせて 「大丈夫、大丈夫、律、俺はここにいる。律をどこにもやらない。俺も律の側を離れない」  と敦史はまるで呪文のように繰り返す。  声と、触れる温もりと、それらに俺の緊張も少しずつ溶ける。 「…あ…つし……」  呪文が聞いたのか、ようやく息を整え、かすれた声を出すことが出来た。 「…律…律…りつ…」  名前を呼ばれる度に変に力の入っていた体の力が抜けて行く。  その頃になって、雅治さんと幸彦さんがリビングに飛んできた。 「どうしたの?」「どうした?」  ソファの傍らで抱き合う俺たちを見て、すぐに二人とも俺たちの側に膝をついて寄り添ってくれた。  雅治さんは俺の手を取って脈を測り「薬飲む?」と聞いてきたが、俺は首を振って断った。 「大丈夫、だと思う」  そう言いながらも俺は敦史からは離れられないし、敦史も俺の背中に手を回したまま離れようとしない。 「何があった?」  幸彦さんの冷静な声に俺と敦史はホッと息をついた。  ああ、そうだ。ここには幸彦さんも雅治さんもいるし、俺たちだってあの時みたいに子供じゃない。  幸彦さんの問いかけに、敦史はゴミ箱に視線を向けただけで答えた。  幸彦さんがすぐにゴミ箱に歩み寄り、中に落ちていた塊を拾い上げ、広げ、中を見て顔をしかめて舌打ちをした。  それを立ち上がった雅治さんにも見せると、雅治さんも眉をつり上げ幸彦さんと同じく舌打ちしてみせた。     年賀状の差出人は見なくても分かる。  三田村春信。敦史の父方のお祖父さんだ。  だけど俺たちは皆、あの人のことが大嫌いだ。  敦史のお父さんの実家は、地方ではちょっと有名な旧家らしい。  そこの当主であるお祖父さんという人は、お家第一でお金と権力さえあればなんでも出来ると思っている人らしい。敦史のお父さんはそんなお祖父さんを嫌って、生きている時は絶縁状態だった。  だからお父さんが亡くなるまで敦史もお祖父さんの存在を知らなかった。  それでも亡くなった時、お父さんに身内がいると分かって、幸彦さんが連絡を取ってくれたんだけど、返ってきた返事は 「もう三田村家とは関係のない人間だから」 とお葬式にも来なかった。  それなのに両親が亡くなって1年くらいした頃、突然あの人から連絡が来た。  敦史を引き取ってやる、と。  それが孫への愛情ということなら雅治さんたちだって無碍にはしなかったはずだ。  だけどその理由が、ただ家を継ぐための男児が必要だからというものでは、本人の敦史も雅治さんも幸彦さんも俺も、受け容れられるはずがない。  何でもたった一人の直系の男の孫が問題を起こして後継者候補から外れてしまったらしい。  女の子の孫はいるのに男系にこだわるあの人はどうしても敦史を手に入れたがった。  そのためにあの人は手段を選ばなかった。   結果、俺たちはめちゃくちゃに傷つけられた。   誹謗中傷。嫌がらせ。脅迫。つきまとい。  幸彦さんは同性愛者であることをアウティングされ会社を辞めざるをえなくなり、雅治さんはストーカー行為に悩まされた。  そして俺は……………。  敦史と間違えられて、誘拐された。  だけどその途中、人違いに気付いた犯人に山の中に置き去りにされた。  幸い生きて帰ってこれたけど、俺は未だに知らない人間が苦手だし、人混みが苦痛だし、家族の誰かと一緒じゃ無いと暗い所も狭い所もダメだ。   でも。  これが敦史じゃなくて良かった、と俺は心から思ってる。  敦史は自分と俺が間違えられたことを気に病んでいたけど、もし攫われたのが敦史だったら間違いなく帰って来れなかっただろうから。  あの人は一度手元に置いた敦史をどんな手を使っても手放さないだろう。そうなれば今、俺にぴったりくっついて離れない温もりがここにはないんだ。そう考えるとゾッとする。  だから俺たちはあの人が嫌いだし、特に血のつながりがある敦史はほとんど憎しみと言っていい感情を抱いている。 「敦史」  戻ってきた幸彦さんが敦史の前にしゃがみ、大きな掌を敦史の頭に置いて言った。  雅治さんは俺の背中から腕を伸ばして俺ごと敦史を抱き締める。俺は雅治さんと敦史に挟まれていた。 「これは生島に渡しておくから、いいな」  幸彦さんの言葉に敦史が頷いた。  生島さんというのは幸彦さんの知り合いの弁護士さんだ。  俺の誘拐事件の犯人はわりとすぐに捕まった。金で雇われただけのチンピラだった。だけど雇った側は捕まらなかった。いや、捕まったんだ。三田村家の分家の男が。その男は三田村家のため自分一人の考えでやったと主張し、結局あの人が罪に問われることはなかった。   だけど幸彦さんと雅治さんは泣き寝入りしなかった。俺たちを守るため、ありとあらゆる伝手を使って方策を講じてくれた。  その一つが弁護士の生島さんだ。見た目は小柄で優しそうなおじさんなんだけど、いろいろつながりがあるらしく、この人に三田村家との交渉を引き受けてもらってからは嫌がらせどころかあちらからの直接的な接触は今はない。 「ごめん、もう大丈夫」  呼吸も鼓動も落ち着いて、俺は敦史の胸から頭を離して雅治さんと幸彦さんを見上げた。  笑おうとしたんだけど、まだ頬が引きつって上手くいかない。 「律、少し休みなさい」  俺の頭を撫でながら、雅治さんが優しく言った。その手の温かさにうっかり泣きそうになって、それを誤魔化すために俺はまた敦史の肩に額を押しつけた。  大丈夫、と言いたいところだったけど、俺が答えるより早く、敦史が俺の背中と膝下に手を回して俺を横抱きにして立ち上がってしまった。 「ひぇっ」  急な浮遊感に思わず敦史にしがみつくと、敦史の口からクスッという笑いが洩れた。 「ごめん、りっちゃん、でも少し横になろうね」  子供に言い聞かせるような口調は、普段の俺なら絶対怒り出しただろうけど、今はそんな元気もない。 「……うん……」  俺の返事も子供じみたものだった。  だけど、敦史と離れるのが嫌だったんだ。 「じゃあ」  敦史が雅治さんと幸彦さんに一応声をかけ、俺の負担にならないようゆっくりと歩き出した。  俺の部屋に入った敦史は、静かに静かに俺をベッドに下ろした。  俺に布団を掛けて「おやすみ」と出て行こうとするその袖を俺は思わず掴んでいた。 「…あ…」  言葉が出てこないけど、俺が言いたいことを察したのか敦史の口元がフッと綻び、「うん」と返事をして俺の横に滑り込んできた。  二人で向かい合って横になる。 「敦史、手」  両手を胸の前に差し出し俺が言うと、敦史も両手を出して俺の手を包むように重ねる。  足を伸ばして、足を絡ませ、顔を寄せ合って額をくっつけた。   「律」 「敦史」   今、ここに敦史がいる。  声を聞いて、伝わる体温に実感する。  実感して、安心する。      俺はいつの間にか、眠りに落ちていた。  何だか、温かい幸せな夢を見ていた気がする。目が覚めた時、覚えてなかったけど。
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