ぼくが天使に出会った日

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自分が生きるうえで大切にしたいものなんて――結局は数えるほどしかない。 日々の生活の中で、色んなものを求めたり、捨てたり、また新たに出会ったりする。 それはときに人間であったり、創作物であったり、感情であったり。 そのすべてに意味があり、本当の意味で代わりになるものなど、ない。 「はるちゃん? なに難しそうな顔してるの?」 集中して本を読んでいる波留(はる)の視界に、一人の男が入り込む。男は子犬のようにきゅるんと綺麗な瞳を潤ませて、彼女をじっと見つめている。 「んー……なんでもない」 波留は本を閉じた。最近話題の本だからとネットで購入してみたものの、どうも著者との相性が悪いらしい。妙に理屈っぽい文章を嚙み砕きながら読み進めるのに骨が折れる。 「これはるちゃんが買ったの?」 「うん」 男は本を手に取ると、波留のすぐ横に腰掛けた。ソファの軋む音がする。 「なんか内容が小難しくってさ、読むの疲れちゃった」 「ふぅん」 「(のぞみ)だったらすらすら読めるんじゃない?」 はんば投げやりな気持ちで言ったつもりだったが、隣に座る男――望は既に本の世界へ意識を飛ばしていた。鼻が触れるんじゃないかと思うほど本を顔に近付け、瞬き一つせずに紙面を凝視している。 (あぁ、またはじまった) 出会って10年経つが、望の行動原理は未だよく分からない。予測不可能で好奇心旺盛。外見は見目好い青年だが、中身は小学生男児と大して変わりない。 波留が一人で何かをしていると構ってとばかりにすり寄ってくるくせに、本人の心に引っかかるものがあると、周りなんかお構いなしに自分の世界に入っていってしまう。 きっと今彼の意識下では、真隣にいる波留のことなどすっかり消え去っているに違いない。 たっぷり30分経って、望はようやく顔を上げた。 「読み終わったの?」 「うん」 満足げに笑みを浮かべる望。しかし直後、あれ、と呟く。彼の視線が壁掛け時計に注がれている。 「時計壊れてない? 30分もずれてるよ」 「ずれてないよ。合ってる」 ずれているのはだ。 「……え? ぼく、30分も本読んでたの?」 「うん」 望の顔が一瞬で真っ青になる。 「ごっ……ごめん!!! ぼくってばまたはるちゃんのこと放置して……っ」 「いいよいいよ」 いつものことだ。こうして放置されることにも慣れてしまった。彼と一緒に生きていくには、彼のこうした突発的で予測不能な行動も受け入れなくてはならない。 「それよりもうすぐ18時になるから出かける準備しないと」 「あっ! そうだね! ぼく着替えてくるっ」 望はバタバタとリビングから出ていった。波留もソファから立ち上がる。 普段二人が一緒に出かけることはほとんどない。でも今日は違う。今日は二人にとって大切な日なのだ。
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