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「――流石正人さん。女性を喜ばせる方法が堂に入っている。俺も見習わないと」
孝平がしきりに頷くので正人が呆れて、
「人聞きが悪いなあ孝平。実際おかあさんは綺麗な方じゃあないか。誉めて何が悪いんだい」
「だからそう、さらっ、とさり気なくというのがどうも上手く行かないんですよ」
「それなら尚更、習ったって仕方の無いことだね」
不毛な言い争いを打ち切るように、玄関の戸が開く音。
「――おーい、帰ったぞー」
重い声が玄関から聞こえる。
佐倉家の主、佐倉枝盛警視であった。露が居ないので店子の二人が出迎える。
「お帰りなさい」
「お疲れ様です」
脱いだ下駄の向きを直していた枝盛が驚いた顔で起き上がった。
「おお、只今。偉い久しぶりに君等の顔を見た気がするな」
「枝盛さん、荷物をどうぞ」
「では僕が羽織を預かりましょう」
甲斐甲斐しく二人に迎えられ、疲れも忘れて微笑む。
「嫁はんより気が利くなあ」
「おかあさんは夕飯の買い物に出かけられましたよ」
「今日も遅く戻られるのではないかと皆で話して居たんです」
「疲れたから早う戻ったんや。明日は久々に休みを貰うたし」
このところ学生の二人が寝静まった真夜中頃戻る状況が続いていた枝盛は、休日返上で働いていたのだ。日の高い内に戻るのは珍しかった。
「火付けの犯人がようやっと掴まってね、肩の荷がひとつ降りた」
「おかあさんが心配してましたよ」
「何やどうせ、私が犯人を捕まえられる訳あるか、とか要らんことを云うてたんだろう。まあ、休み明けにまたひとつ大きな担当事件残っとるからなあ。つかの間の休息て訳や」
居間の座椅子に盛大な溜息をつきながら座った枝盛は、
「孝平君、勝手からこれ、頼む。君達も付き合え」
親指と人差し指で作った円を口元へ傾けた。
籠一杯の茄子や壬生菜、聖護院を抱えた露が戻った頃には既に酒宴は佳境に入っていた。
「お帰りなさいおかあさん、御相伴に預かってます」
「まあまあ、まだ夕飯まで間が在りますのに皆で出来上がってはりますの」
「担当がひとつ解決した祝杯や。町屋の火付け事件のあらましを肴になぁ」
「物騒なお話で悪酔いしませんのがうちには判りしませんわ。すぐ御支度しますから、御酒も程ほどにして、待ってておくれやす」
暖簾を掻き揚げて露が勝手に入る。
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