肉とビール

2/2
前へ
/7ページ
次へ
「井口!」 崩れかける母の右腕を引っ張る。うなだれたおばさんの隣には、スーツ姿のおじさんがいた。顔を上げたおじさんに、静かに一礼する。 「涼子ちゃんはどうなの、ねえ」 手をとられたおばさんは、じっと母を見て、視線を上げた。捕らえたのは、母の後ろにいる、俺の方。 「帰って」 お願い。 これは、懇願ではなく命令だ。だから小さな声は、母のわめき声より、重く廊下に響く。 「わかりました。失礼しました」 耐えきれない俺が力ずくで母の腕をひくと、いとも簡単についてくる。 「やめて、離しなさい、遥輝(はるき)」 自分だって、叫びたかった。  「帰って」 あんなに冷たい目で見られたのは、初めてだった。 それも、  「ハルくん」 いつも優しくしてくれるおばさんに。 いつか覗き見たアルバムの写真みたく、綺麗に微笑んでいた女性(ひと)に。 「俺、来ない方がよかった?」 代わりに、全力でアクセルを踏む。 「そんなことない。事故増やして迷惑掛けるより、ずっとよかった」 帰宅後の記憶はない。 翌朝、父はビール缶と食い荒らされた鍋を前にして 「カオスだったぞ」 なんて慣れない片仮名を使っていた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加