最果ての国

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 *** 「ご先祖様ご先祖様、夏休みがいつまでも続きますように!あとお姉ちゃんが意地悪をやめてくれますように!」 「あのねえ繭子……」 「はは」  呆れた声を出す繭子と、思わず笑ってしまう僕。幼い直子は、どうにも仏壇へのお参りと神社のお参りを混同してしまっているらしい。そうじゃないんだけどなあ、と何度教えても忘れてしまう。しかも願い事がなんともまあ可愛いものときた。意地悪扱いされている繭子は複雑な気持ちしかないだろうが。 「ねえお父さん。お母さんどうだった?」  仏壇にご挨拶が終わると、早速繭子が尋ねてくる。 「いつになったら退院できるんだろうねって、直子とずっと話してたの。お母さんの病気、すっごく長いでしょ。病気の名前も聞いたけど、私達には全然よくわかんないし……どうすれば治るのかもわかんないし。元気になってもらうために、私達にできること、ないかなあ」  面倒見が良く、気が強いがとても優しい姉である繭子。だから僕も、彼女に直子を任せて出かけることができるのである。母の病状を真剣に案ずる彼女の頭に手を伸ばしかけ――僕はぎりぎりのところで踏みとどまった。  代わりに、精一杯微笑みかけることにする。 「今日のお母さん、すごく元気そうだよ。いつか家族みんなで、遠くに出かけてみたいって行ってた。そうだな、お母さんが元気になったら、海外旅行をしてみようか。アメリカ、中国、イタリア、ドイツ、イギリス……世界は広いぞ。日本にはないものがたくさんある。きっと二人も楽しいと思うんだ」 「ほんと!?」 「すごいすごい、日本の外!飛行機に乗るの?やったあ!楽しみ!!」  二人はさっきまでのやや剣呑な雰囲気などあっという間に忘れて、楽ししみだね、と手を取り合ってはしゃいでいる。  それを見ながら僕は――膝の上で、ぎゅっと手を握りしめていた。 ――ああ、ごめん。ごめんよ繭子、直子……亮子。  あと何度、罪を重ねればいいのだろう。  僕はまた一つ、酷い嘘をついてしまった。 ――そんな日は来ない。来ないって、知っているのに。  仏壇の奥、閉まったままの扉の向こうには、写真が飾られている。  笑顔で佇む――繭子と直子の写真が。 『いやあああ!繭子、直子!どうして、どうしてえええええ!!』  あの日。  二人が車に撥ねられて死んだ日。  僕達の世界は音を立てて崩れ落ち、そのまま戻らなくなってしまった。 ――二人の死を受け入れられなかった亮子は心を病んで……二人が生きていると思い込むようになってしまった。  はしゃいでいた二人の姿がふわりと溶けるように消え、僕は仏壇の前で嗚咽を漏らすのだ。 ――幻は幻。分かっているのに僕も彼女も、同じものを追い続けている。幻には触れないのに。幻は連れては歩けないのに。  彼女が現実を受け入れられない限り、あの白い部屋から出られる日など来ないのだろう。何故なら本人も気づかぬうちに、その心は優しくて暖かな、遠い遠い世界へ旅立ってしまっているのだから。  冷たく広い家に、僕はひとりきり。  縁側の隅では埃を被ったままの虫籠が、ぽつんと放置されたままになっている。
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