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おいしさの魔法(冬一家&夫婦)
おいしさの魔法
寒さのもっとも厳しい頃、俺と子供達には大切な任務がある。
雪をさくさくと踏みしめながら、取っ手のついた木桶を手に、楓の木の群生しているところまで溜まっている樹液を引き上げにいくのだ。
むくむくに着ぶくれした息子達は木桶を振り回しながら我先にと駆けていく。
蹴散らされた雪たちが冷たい風に乗って、後方の俺たちの顔にぶつかってきた。
「こらー」
俺は良いが、抱っこしてやっている届宇(たう)は、ほっぺたにくっついた雪の冷たさに、目をぎゅっとした。
拍子に、小っさな羽根がぱたぱたとして、
「んあー」
兄ちゃんたちのとこまで飛んで行きたそうにもがもがした。
「父ちゃーん!みつでてるぞ!」
「いっぱいできてるよーっ」
「そうかー、じゃ、桶を交換してこーい」
「みつ……」
先についた丹皓(にこ)と皐羽(さわ)と樹解(シュカ)が目をきらきらさせながら手を振る。
冬の始まりの頃は、そのまま紅茶に入れたりパンに塗ったりして蜜を食べるが、冬の終わり頃の樹液は煮詰めて、濃い蜜に近付ける作業が増える。
もう今の時分はその作業を帰ってからするので大変なのだが、それは冬の名残りと春の訪れを兼ねた楽しみでもある。
双子は、持ってきた木桶と、木にくくっておいた木桶を交換し、樹解はこつこつした木肌に抱きついて、その幹にお礼を言うように頭をぐりぐり押し付けた。
道々増えた樹液で重くなった木桶は俺が担当するので、
「届宇、自分で行けるか?」
ぱっと手を離すと、届宇はぴょっと空中に飛び出した。
「さあ、帰るぞ!煮詰めて蜜を作ってもらわなきゃな!」
「もっと遊ぶ―」
「遊びたーい」
「うー」
息子達と届宇は、雪の中で転げたりして元気いっぱいだが、俺は腹が減ってきたし、両手の桶が重い。
この桶を早く持って帰ってやれば、祥はきっと喜ぶだろう。
そう思い、
「俺は先に帰るからなー。楓みつのー、パンと甘食を食わせてもらうんだー」
呼びかけて俺は雪の足跡を戻り始めた。
言葉にすると、その楽しみが思い浮かんできて心が弾んでくる。
楓みつのたっぷり入ったふわふわのパンを焼いて、皆で切り分ける。そしてその上に、更に楓みつをかけて食べるのだ。
とってもあったかくて甘くて、良い匂いがするんだー。
にやにやしながら振り向くと、俺の言葉につられて子供達も駆け戻ってきている。
外遊びも楽しいが、おいしいご飯はなにより強い。
煙突からもくもく、雲を造って飛ばしてるような煙が上がってる。
「ただいまー!」
玄関を開けた途端に、鼻孔をくすぐる甘い香りがふわっと漂ってきた。暖かさも相まって身体中がみるみる弛緩していく。
「ねえーね、なんかできてる!?」
「できてる!?」
「もー、二人はうーるーさーいー」
一旦この暖かさに触れると、もう皆すっかり興味が雪から甘いおやつに移ってしまった。子供達が一斉に俺を押し退けて中へ駆け込んでいく。
俺も最後列で火の元へ行くと、
「おかーえり。寒かったろう」
祥と雅がこれまであった楓みつでわんさかふわふわパンを作っていた。
群がっているちび達をおいて、
「たくさん溜まってた?」
「おう、この通り」
祥がこちらへ来てくれたので、木桶を置いた俺はその身体を抱きすくめた。
「ん?なに?」
「あったけえ……」
掌に着物越しの体温を染み渡らせ、首元に氷のような鼻先を擦り付けると、
「ひゃあ、随分冷たいじゃないのさ」
反射的に首をすくめながらも、祥も俺の身体を撫でてくれる。
++++++++++
冬の樹液を煮詰めて楓みつにするのは俺と祥の仕事だ。
キッチンへソファを運び入れて、夜通しストーブの上の鍋の様子を見ていないといけない。
まあ、そうは言っても夜の間に何回か木べらでかき回すだけだし、祥がいうには半島の楓みつは聞き分けが良く、その時にはくつくつと合図をくれるようなので、至って簡単なのだという。
毛布だとかクッションだとか、暖かなものを用意してちび達を次室へ追いやると、
「かき回しすぎると濁るから、時々で良いんだよ」
祥はソファに二人分の寝床を設えてくれる。
奴は今夜はいつもの薄手の襦袢の上に裏地のもこもこした厚手のローブを羽織って、フードもすっかり被ってしまっている。
それで鍋を覗く様は、絵本に出てくる魔女そのもの。
けれどその鍋で煮詰めた蜜は、もう誰かを呪うためのものではなくて、俺達家族を楽しませ、幸せにしてくれるおいしさの魔法なのだ。
今でも祥は、いたずらやからかいで魔術を使うことはあるけれど、出逢った頃のように人を出し抜いたり、陥れたりするためにそれを使うことはなくなった。
それは多分、ナルのと同じように、持て余すほどの強い力を、よそ見もせずに与えたいもの達ができたからだ。
ふいに祥が振り向いたので、目が合った。
奴は眩しげに見詰めている俺に気付くと、柔らかな衣擦れの音をさせながら俺の許へ戻ってきて、
「なあに」
と穏やかに訊いた。
でも返事を求めているのでもなく、俺も応えずに微笑むと、奴は隣にふんわりと座る。
俺達は寄り添って腰を掛け、時にはうとうと横になりながら、色んなことを話し合い、また、黙って鍋を覗き込み、彼らがふつふつと小さな唄を唄うのを見詰めたりした。
そして互いの温かさにもたれあい、夜通しのこの作業が今年もできることに感謝し、また春が皆で迎えられることを喜んだ。
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