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愛は惜しみなく奪う(1~2部頃)
愛は惜しみなく奪う
私が部屋に入ると、それまで交わされていた話し声がぴたりと止んだ。柘榴色のソファに揃って腰掛けていた黄河と雅はそれぞれ私を見詰め、やがて二人で顔を寄せてくすくすと笑いあった。
「何?」
私はずかずかと近寄りソファの前に立ちはだかって二人を見下ろした。
「何なの何なの。私も混ぜてよう」
話をしていたなら続ければ良いのに、私が来たからといって話をやめるなんて、どんな楽しいことを話していたのだろう。二人で結託して私をのけ者にするつもりなのだ。何がなんでも聞き出さなくては。
「何が?なんでもないよなあ雅?」
「ええ、なんでもありませんのよ」
じっと見詰めると、黄河は押し殺したいやらしい笑みで空とぼけた。しらじらしい男だ。私は仁王立ちし、靴の爪先を鳴らしてみせる。
「私に教えられないっていうの?」
「別に」
「なんだい、私に隠し事をするのかい?私の悪口?」
「まさか。違うよ」
「ええ」
私の言葉に、黄河は滅相も無いという風に瞳を丸くして再び雅を見た。
子供の接し方が判らない、なんて嘆いていたくせにやけに仲がお宜しいこと。
雅に視線を移すと、雅は口を開きかけて、また閉じて恥ずかしそうに微笑んだ。黄河はそんな雅を庇うように顔を覗き込む。
「祥は可愛らしいなって話をしてたんだよな?」
「え?」
「そうですの」
黄河が促すと、雅は恥ずかしそうに小さく頷いた。
「わたくし達、祥さんが大好きって話をしてたんですのよ」
「……何それ」
そんなくだらん嘘をわざわざ言うとも思えなかったが、だとしたら相当馬鹿ばかしい会話だ。呆れて怒る気も失せる。
「ええい、どけ」
私は雅を黄河の側に押しやり、隣に座る。雅の両脇に黄河と私が居る格好だ。腕が伸びてきて私の肩を抱いて引き寄せると、私の髪に黄河は頬をすり寄せた。そうされると、反射的に身体がぞわっとする。私は淫魔なのに、龍であるこいつに触られると身体の奥がざわめくのだ。
「やめてえ」
「なんだよ、照れちゃって」
「照れてないやい」
「二人で、どちらが祥さんを好きかって論戦していましたのよ!」
隣から、下から私をにこにこと眺めるふたつの顔に、私は段々とむずかゆい気持ちになって来た。お腹の中が暖かくなるような、うきうきと晴れやかな気分の、こそばゆい感じ。
「なにそれ!変なの!」
私がじたばたと暴れると、黄河は私の首をがっちりと抱え込んだ。
「変なトコがたまんないよなー」
「独善的で融通の効かない所が、気品を感じさせますわ」
「やーめーてー!」
腕をのけようとする私を、雅が楽しそうに眺めあげている。雅は黄河と私の事を応援しているのだ。……大人達は誰も良い顔をしないのに。
――幼い頃から、龍は野蛮であると教育を施して、強く脅しびびらせておいたはずなのに、何故こんなに掌を返して黄河に懐いているのか訳が判らない。
「そ、そそそそんなに褒めちぎったって何も出やしないよう!」
「良いよ、いっこづつちゅうしてくれるだけで」
黄河はからからと笑い、雅の色白のほっぺたをつついた。
きょんとして見下ろすと、期待に瞳を輝かせた雅が私を見上げている。
「ちゅうして欲しい?」
「ええ!」
雅は細い足をぱたぱたとさせ、私に熱烈アピールをしてくる。
今まで、世界に散らばる私の男達は、私にありとあらゆる称讃の言葉を惜しみ無く呉れた。光の元にあれば蝶よ華よと、月の元では遥か彼方の惑星の輝きと、讃美される事が当たり前だった私だけれど、二人がはしゃぎあいながら私に呉れる言葉は、いつも聞いているものとはどこか違う。
空間を上滑っていくのではなくて、私の耳から身体をくるくると循環し、私の健康や寿命になるのだ。
それは愛というものか?
他の男達の言葉とは違うならば、それらは今まで私の肥やしにはなっていなかったのかしら?
……だったら、他の男の所へ行くのは意味が無いのか。
私は内心首を傾げつつ、雅の頬を両の掌で包んで撫でてやる。ふっくらとしていて雪のように白く、触り心地がとても柔らかい。そのほっぺたに軽く口付けしてあげると、真っ白だった雅の頬はみるみる薔薇紅色に染まった。
「えへへ……」
雅ははにかみながら私の腰の辺りに抱き付いた。次いで顔をあげると黄河が顔を寄せて来て、頬でなく唇に口付けされた。瞳を瞑って、その感触を味わう。
「ん……ほっぺただって言ったじゃないか。ばか」
「失礼した」
私が憮然とすると、黄河も照れたように破顔してみせる。素直に笑うと幼く見える黄河と雅は、眼鏡のせいもあるけれどどこか似ている気がした。
親子、は言い過ぎかしら、そんな歳じゃないと怒られるか。
「そろそろ飯の支度でもするか?」
「そうですわね!」
黄河が窓辺に視線をやりながら呟くと、雅はぴょんとソファから降りた。
「わたくし、夕餉の支度に戻りますわね!お二人はゆっくりしてらして下さいませ」
雅はそのまま部屋をぱたぱたと飛び出して行った。
「待て待て。俺も行くかな」
言いながら黄河もソファから腰をあげる。
普段龍の半島に居る間は、弟達に給仕をさせてふんぞり返っているのだろうに、ここに居るうちは黄河は雅の手伝いとして良く家事をしているのだ。雅を味方につけて点数を稼ぐつもりなのか、実はかいがいしいのかは定かでないが、
「ちょっと行って来るな」
奴は私の頭を軽く叩き、掌をひらひらとさせた。
「いってらっしゃい」
「おう」
私の言葉に、黄河は少しだけ眼鏡の奥の瞳を細めてから、扉の向こうに消えてしまった。
私がなんの気なしに口にした言葉は、黄河の耳から身体をくるくると循環し、彼の健康や寿命になるのかな。
それはなんと言うものだろう。
私はまだ二人の生温い体温の残ったソファに寝そべり、灰色の雲がもくもくとたむろして移動している空に目をやった。時刻は夕暮れの向こうから夜が足音をさせてやって来る所で、私は空は美しい夕焼けなのに雲が灰色なのは、あれらが夜の使いであるからだろうと見当をつけた。
「ご飯、何かなー」
部屋には窓の向こうからそろそろと陰りが忍び込んで来ていて、一人きりだったが、今の私は寒さを感じない。部屋を出た、廊下の先から楽しげな二人の声や物音が響くのを聞きながら、私はぼんやりと空の色が変わっていくのを見詰めていた。
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