トーキョー・ブルー・ラプソディア(短編集『臍の緒』より)

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******  生まれも育ちも東京二十三区内の僕は、世の多くの若者が夢見る「上京」という大冒険も知らないまま、実家からさほど遠くない私立大学を第一志望とし、なんとなく合格した。今年の春のことである。何かやりたいことがあったわけじゃない。ただ、よく使う路線に大学の最寄り駅があって、キャンパス周辺の地理にも明るかったし、ミッション系ということで雰囲気もなかなかオシャレで……予てより過不足ないと思っていた理由の大部分は、そんなところ。世間的にもそれなりに名の知れている大学だったから、親に文句を言われることはないだろうと推測された点も大きい。案の定、両親は文句どころか満足げな表情で影からそっと見守ってくれて、僕にとっては非常に気楽な受験だったという訳だ。それなりの頭脳と、それなりの孝行心を持って生まれて、本当に良かったと思っている。  そんな僕も、いざ入学式、という段階で苦心したことがあった。  まず一つ目は、駅から大学まで続く歩道の災難。「新生活応援! 住まい探しのお手伝い!」だとか、「楽しいサークル活動! まずは見学から!」といった文言のチラシを、内外の〝営業マン〟たちが我先にと列を成して配りまくっている。……紙の無駄遣いだ。僕の前を歩いていた気の弱そうな眼鏡の男子学生は、初めの一枚を受け取ってしまったがために、次から次へと腕の中へ紙屑を押し込まれ、次第に彼という存在の主体は山となったそれらへと移っていった。なるほど、学生とは言えども、社会の洗礼はもう始まっているのだな―僕はなるべく〝新入生らしくない〟表情をするよう努めることにした。  二つ目は、キャンパス内に立ち込める、新入生たちの瘴気。特に、恐らく東京の外から――それこそ関東から遠く離れた地方からさえ――はるばるやってきたのであろう者たちの瘴気は、凄まじかった。噎せ返るような希望と、新天地に身を置く刹那の絶望。あらゆるごちゃごちゃしたものが渦巻いて、見頃を過ぎた桜の木々をギシギシと軋ませた。(これは、ある時彼女が「強すぎる生は周囲をギシギシと軋ませる」と語っていたのを真似してみた。)僕にとっては縁のないものだったし、あの渦の中に巻き込まれるとえらく頭が痛んだから、なるべく遠巻きにすることにした。彼らのそれは、入学式からしばらく経って、大学生活が板についてきた時分になっても尚、なかなか衰えることはなかった。
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