トーキョー・ブルー・ラプソディア(短編集『臍の緒』より)

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******  「……ねえ、覚えてる? 僕が君に、好きと言った時のこと。」  上野の博物館(特別企画展〈小さな化石展 ~古の息吹~〉)を後にして、赤や黄に色付いた公園の並木道を歩きながら、僕は暮れた夏を思い出していた。彼女の手はあの日と変わらず、いつも命を包括した小さな塊だった。強く握ったら、壊れてしまいそうな。それなのに、僕よりもずっと強く真っ直ぐこの世界に在るように見えるのは、どうしてだろう。僕は、僕と違う彼女のことを、もっと知りたくて堪らなかった。  「どうかしたの?」  「いや……。今日の君を見ていたら、あの日のことを思い出してしまって。」  びゅうっと強い北風が吹いた。辺りに朽ちていた葉が、くるくると回転しながら僕たちを追い越し流れていく。その一枚を、僕は空いた手で掴み取ってみせた。先へゆくものをここに留めるのは、エゴなのだろうか? 彼女は何も言わない。ただ、寒さで頬が赤く染まっていた。もうじき、秋も去っていく。  上野から電車を乗り継いで彼女の住むアパートに辿り着いたのは、街が夕闇に沈みきってしまう少し前だった。二階建ての、お世辞にも綺麗とは言えない古惚けた木造建築。今時、若い女の子がセキュリティの「セ」の字もないようなアパートに住んでいて大丈夫なのかと心配になるが、彼女自身はと言うと、あまりそういったことは気にしていない様子だった。前に一度「親は心配しないの?」と聞いたことがあるが、彼女は顔色一つ変えず「問題ないわ」と答えた。以降、そのことには触れていない。まあ、こうして今は時折僕が出入りしているし、それで少しは防犯になっているだろう。彼女がそれでいいなら、構わない。  階段を上がって、一番奥の角部屋。彼女が鍵を開けると、中からベールのような闇が溢れ出してくる。それを押し戻すように、彼女は全身で入り口を塞ぎながら、手探りでぱちりと電気のスイッチを押す――これが彼女の日常だった。露わになったワンルームには必要最低限の家具と、普通よりもちょっと多い本が棚に整列しているだけ。小奇麗にされているが、女の子の部屋というには殺風景だ。しかし、何故か彼女には〝よく似合っている〟と、僕は思っていた。初めてここへ招かれた時から、その感想は変わらない。  彼女は部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルの上を片付け、僕は慣れた手つきでエアコン(こればかりは最新式のものだった)を起動させる。ゴウンという音と共に暖かい風が垂れてきた。
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