トーキョー・ブルー・ラプソディア(短編集『臍の緒』より)

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 「きっとさみしいに違いないわ。」  さみしい? 相変わらずおかしなことを言う女だ。僕は小さな窓枠に押し込められた、小さなガラスケースの、小さな小さな蜜の塊をじっと見つめた。展示のための照明が、絶妙な暗さでそれを照らしている。つるんとした、楕円形の蜜。きらりと細やかに瞬いた。ふわふわの綿布団の上で、静かに僕たちの観察を受け入れている。  「だって、そう思わない? 遥か遠い昔の命が、こうやって蜜に絡めとられて、土に還ることもできずに、たった一人で、死に続けなければ、ならないなんて。」  死に続ける……彼女はこんな風に、彼女独特の死生観をもって、物事を語ることがある。出会って半年、うち、いわゆる男女交際というものを始めて三か月。僕もいい加減彼女の生態には詳しくなってきた。こういう時は曖昧に相槌を打つのが一番(彼女の考える死生観は、僕には〝曖昧なもの〟に思えて仕方がなかった)……なのだが。どうしたものか。今日の僕は、何故だかほんの少し意地悪をしてみたい気持ちになっていた。それはまるで、彼女に「好意を寄せている」ことを伝えようと決心した時のような、勇気と青春の残り香を携えていた。僕が今どんな顔をしているのか、彼女は知る由もない。  「どうかなあ? こんなにたくさんの蜜に包まれているんだ。何かに包み込まれるって、とっても幸せなことだと思うけど?」  「幸せなことと、さみしいことは、」  彼女は一言一言確かめるように、ゆっくり区切りながら言葉を紡ぐ。これが彼女の語り口だ。  「必ずしも、相反しない、わ。」  「それって、〝幸せ〟と〝さみしい〟はイコールで結ばれるってこと?」  「……結果論は、きらいよ。」  そう言って、彼女は頬をぷうっと膨らませて、上目遣いに僕を睨み付けた。ああ、 やっと目が合った。前屈みになって覗き込まないと《琥珀 太古の虫入り》がよく見えないから、今や僕たちは、おでこがくっ付く寸前の距離で見つめ合っている。週末の博物館は家族連れや、僕たちのような若者でまあまあ賑わっていたが、僕は構わないと思った。目を細めてほう、と息を吐く。そのまま彼女の唇を奪ってやろうとして……はあ、ものの見事に失敗した。再び彼女は、掌に乗せたらコロコロと踊りそうな、黄金色の蜜の塊に視線を落としている。背後で女の子たちがクスクスと囁き合う声が聞こえた。  「……小さな虫だね。」  何を今更、と思ったが、それしか言葉を紡げなかった。僕は彼女とは違う。違うからこそ、こうして今日も隣にいる。彼女は「そうだね」と頷いて、それからまた「きっとさみしいに、違いないわ」と独り言ちた。
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