♰61 シスター・アイリーンと堀田幹夫7

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♰61 シスター・アイリーンと堀田幹夫7

「おじいちゃん、買ってきました!」と、遠くからシスター・アイリーンの声がきこえた。 「おお! こ、こっちじゃ!」  巨大ゴキブリが不服そうな顔―― ? ――をして触角を地下室の出入り口に向けると、ここの乱交パーティーに使用されていた粗末なベッドを脚で蹴りはらった。ベッドが軽々と飛んでいき、地下室の出入り口をバリケードのようにして立て掛かった。が、勢いが不十分だったのか。パタリと床に倒れてしまった。ゴキブリは無言で(ハネ)を羽ばたかせて水平に横飛行していった。ゴキブリはベッドを担ぎあげると、しっかりと出入り口をふさぐようにして立て掛けなおした。 「……これで邪魔者は来れなくなった」  ゴキブリの声音(こわね)には、どこかこの状況を愉しんでいるような趣きがあった。 「仏と一対一の勝負だぞ。これを見逃す手はあるまい……」  堀田老人が身ぶるいした。ゴキブリの騎士道精神に武者ぶるいをした。 「き、きさま!? みあげた心意気じゃのう!」  堀田老人は倶利伽羅剣(くりからけん)を中段に構えた。 「いざ、勝負!」 ――張り詰めた空気が両者の狭間に流れた。ピリピリとした緊張感が両者に生じた。  悪魔のゴキブリが一歩、にじり寄った。堀田老人はすり足で一歩、間合いをさげた。  キンッ!  レイピアの切っ先が倶利伽羅剣(くりからけん)をたしかめるように弾いた。老人は剣先を素早く整え、切羽(せっぱ)から(つば)のひきしまった音をはなった。  悪魔のゴキブリが、つぎに挑発するかのように切っ先を上下に(しな)らせながら前後にステップをした。堀田老人は倶利伽羅剣(くりからけん)を微動だにせず、刀身を相手に向かってのばしていた。まさに動と静の戦いだった。  不動明王はおもった。 ――おそらくは、勝負は一撃で決するであろう。狙いは彼奴(きゃつ)のレイピアじゃ。彼奴(きゃつ)の突進か後退の隙を見極め、得物をなぎ払うか、叩き折る。丸腰にしてしまえば、わしの敵ではない。  ゴキブリは触角を忙しく動かしていた。無気味な顔の上部の複眼は老人をふくめ、地下室内のすべてを探っているかのようだった。  ゴキブリの脚が半歩前に出た。堀田老人が上段に構えた。ゴキブリにまよいの気配があった。ゴキブリはすぐさまうしろにさがった。 「いまじゃっ!」 ――堀田老人はゴキブリの得物に倶利伽羅剣(くりからけん)をふりおろした。が、手応えはなかった。 「あらっ!?」  天井から小ゴキブリどもが縦に連なってぶら下がっていた。倶利伽羅剣(くりからけん)(ツタ)のようしてにからめとられて宙でブラブラと揺れていた。 「ひ、卑怯者!」堀田老人の怒号がとんだ。  悪魔のゴキブリのレイピアがグニャリと曲がると、(しな)った得物が堀田老人の顔を「バシン!」と打った。老人はその反動でからだの向きをかえられ、背中にも(しな)った得物がムチのごとく打ちつけた。老人は顔と破れた洗いざらしのシャツのなかにミミズ腫ができた。 「ふ、不覚っ!」 「ガッハハハ! アホなジジイや! おれは悪魔やでぇ。正々堂々と戦うわけないやんけぇ」ゴキブリは癇にさわる方言で言った。「いてまえ!」  悪魔のゴキブリは触角を小刻みに揺すぶると、壁の四隅から小ゴキブリどもが湧いて出て、堀田老人に襲いかかった。老人はみるみるうちにその黒山に埋もれていった。
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