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♰62 懐妊
麻里亜が両手で腹を抱えこむように添えてから、腹をさすりだした。すると彼女の腹が臨月の妊婦のように膨らんだ。
彼女の着ているネグリジェがマタニィティードレスのようになった。
「こ、これは!?」
森義矢は困惑した。が、にわかに彼女の姿に魅入られた。
愛おしそうに腹を撫でている麻里亜の姿は美しかった。彼女は光り輝き、神々しく、この世のものすべてのなかでいちばん美しい姿だった。
森義矢はその姿にこころがふるえた。こころの底から愛おしい気持ちがわきおこり、かれの目から涙が零れはじめた。
「神父さま。あなたの子よ……わたし、あなたのこどもを身ごもったの」
「麻里亜……それは、ありえない」
『神父よ、子は宝だ。至宝である』
森義矢の頭のなかに思念が語りかけてきた。
(だ、だれだ!)
「あなたはわたしを愛してくれたわ。いくつもの夜をあなたといっしょに過ごしたわ」
麻里亜が大きなお腹をさすりながら、憂いのこもった目で言った。
麻里亜の姿がさらに神秘さを増し、いまや彼女は髪の先まで光り輝いていた。
『……神父よ。認めるのだ』
(う、美しい。まるで聖人のようだ)
森義矢は茫然自失となって、床に跪いた。
「たしかに、わたしたちは神の御名において交わった。だが……」
(落ちつけ! これは罠だ!)
森義矢は自身を叱咤した。
麻里亜が枝垂れる髪のあいだからうるんだ目をみせた。
「神父さま。わたしは悪魔かもしれないけれど……あなたの子を身ごもったのなら、この子は、きっと神の子よ」
『これは奇蹟だ。これは神の意志によるものだ』
「わ、わたしの子ではない」
(だが、わたしがこどもを授かったとすれば? これほど喜ばしいことはない)
森義矢は恍惚となった。まるでわが子を抱くように腕をまるめると、あたかもそこに赤子がいるように見つめて微笑んだ。
「ああ。なんと、かわいいこどもなのだろう……」
「――そうよ。……あなたの子よ」
森義矢の腕のなかで”ひかり”がふきだしてきた。まばゆいばかりの白光がかれの顔を照りつけた。――かれはその”ひかり”のなかに神を見た。
――偽りの友愛。授かることのない赤子。
『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉による』
――わが、こころと肉体のまことを誘惑する邪悪なる虚構。
『あなたの神である主を試みてはならない』
――幸福はここにあらず、真の幸は苦しみを解き放つことにある。
『あなたの神である主を拝み、主だけに仕えよ』
「あなたは、きょうから――パパになるの!」麻里亜が言った。
――このまやかしこそが、悪魔の仕業だ。
「ならば、これを見ろ」森義矢が言った。
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