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♰65 宿命2
シスター・アイリーンのなかでなにかが切れた。
「ウッギャァッー! テメエら! 調子にのりやがってーっ!」
シスター・アイリーンは髪を逆立て、階段からとび降り、ベッドを蹴やぶって地下室のなかに飛びこんだ。堀田老人のからだに無数のゴキブリどもとともにのしかかっていた巨大ゴキブリは飛びあがって驚いた。
「きゃっ!?」
シスター・アイリーンはスカプラリオをふりまわしその巨大な頭をペシン! と打った。
ゴキブリは張られた後頭部を確認し、頭上をキョロキョロと見上げたあと、背後にふり向きほくそ笑んだ。
「……いい顔だ。邪悪があふれでているじゃないかね」
シスター・アイリーンの顔はおぼこのように見えていた面影がすっかりなくなり鬼面になっていた。切れ長の目で、口が裂け、鼻の穴が広がっていた。
「おまえも――」巨大ゴキブリはゆるりと立ちあがった。「これを機にもとの姿にもどればよいではないか」
「おまえたちのように汚れた者にもどる気はないわ!」彼女は毅然として言った。
「われらを毛嫌いしてもどうしようもないぞ」悪魔のゴキブリは言った。「おまえも、もともと悪魔だ」
「うるさい! 不潔な悪魔め!」
ゴキブリは節くれだった触手を顎に添えた。「おまえともあろうものがどうしたというのだ」ゴキブリは言った。「邪悪な姿のおまえはすばらしく美しいぞう」ゴキブリはなおも言った。「どうして”邪黒”に戻らないのだ?」ゴキブリはもうひと押し言った。
「あんなやつに魅入られたのか!」
「か、かんけいない……神父さまがどうとか……おまえが悪魔だろうが、……わたしが悪魔だろうが――」
悪魔のゴキブリは意味がわからないと首をかしげた。
「ゴキブリが大キライなの!」
「なにぃ!? そ、そっちか!」
悪魔のゴキブリが、パチンッ! と触手の先を弾くと堀田老人にとりついていた小ゴキブリどもが一斉にシスター・アイリーンのほうを見やった。そして、いやらしい動きをしながら彼女に接近を開始した。
小ゴキブリどもの思念がきこえた。
『あの女のからだを這いずりまわるのは楽しそうだな』
『あの修道服のなかにいちばんに潜りこんでやるぜ』
『ベロベロとからだじゅうを舐めまわしてやるぅ♡』
『陰部の音色エロいねの文意』
シスター・アイリーンはスカプラリオをグルグルとクサリ鎌のようにふりまわした。スカプラリオが高速回転し、しだいに青い光りの尾がひいてきた。
「聖なる炎よ。これを喰らって焼け死ぬといいわ」
「おバカなやつだ。これだけの数だぞぅ」
悪魔のゴキブリ軍団が一斉に翅をふるわせた。
「あの小娘を蹂躙せよ!」
悪魔の集団、一個師団(≒10000)が飛びあがった
シスター・アイリーンがスカプラリオを投げはなった。地下室内に凄まじい閃光が炸裂した。
「ウギャーッ!? 目が! 目がぁっ!」
すべてのゴキブリが複眼を眩まされ、邪悪な虫どもは顔をかきむしったり、ひっくり返って脚を痙攣させてのたうった。
彼女は手に持った榊を突きだすと、のたうちまわるゴキブリどもに向かってきめた。
「主の御名において、立ち去りなさい!」
そして、神棚に榊をお供えした。
シスター・アイリーンは、ひっくり返った小ゴキブリどもを踏まないようにしながら堀田老人にすがりつき、いまやヨボヨボの老人を起こすと背中をさすった。
「おじいさん、だいじょうぶですか?」
「よ、ようもどった。ようもどってくれた! ありがとう」
小ゴキブリどもがつぎつぎに一方向に飛んでいった。まるでなにかに吸引されているようだった。
神棚が観音開きのように開いていた。なかは暗黒の奈落だった。そこに小ゴキブリどもが吸いこまれていた。
室内の空気が渦を巻きだした。ゴキブリの親玉が壁のわずかなクラックにしがみついてもがいていた。
「お、おい、助けてくれ! ”ベルゼブブ”た、助けてくれぇ!」悪魔のゴキブリが言った。
シスター・アイリーンが耳をふさいで顔をそむけた。「その名では呼ばないで!」
「下郎め!」
堀田老人が掌をゴキブリに向け火炎玉を一発放った。
ゴキブリは火球に前脚をはじかれ、紙くずのように神棚の奈落に引っ張られていった。が、横向きに吸いとられたので、女房のパンツが掃除機のノズルに吸いついて詰まったようになった。
「ウヒヒヒィ! いい気になるなよ! 悪魔がこの世からいなくなることはけっしてないのだ! オレはまた復活して、ここに戻り、必ず神を滅ぼしてやる!」
ゴキブリの腹がへこんだ。へこんだとおもったらポッカリと穴が開いていた。
「ウギャーッ!? いっ、痛ってえーっ!」奈落はゴキブリの腸を吸いこんだ。「痛い! 痛い! 痛い!」
巨大ゴキブリは苦痛のさけび声をあげて、折りたたまれるように潰されて、暗い穴底にさっていった。
「おわったのね……」
堀田老人は頭をふって、
「おみごとじゃ。おぬしはみごとに”悪魔”を祓ったのじゃ」としみじみと言った。
「……悪魔」
シスター・アイリーンのからだが、堀田老人から剥がされるように後方につんのめった。
シスター・アイリーンは、「あっ」と言った。
堀田老人は驚愕した。神棚の奈落はいまだに開いたままだった。
老人がシスター・アイリーンを掴もうとしたが、彼女のからだはその腕をスルリとぬけていった。彼女のからだが鳥の羽のようにフワリと持ちあがった。
「いかん! いかんぞう! 彼女はもはや悪鬼ではない!」
堀田老人は身を起こそうとしたが、全身に激痛がはしりそのまま床に倒れこんでしまった。
シスター・アイリーンはすこしさみしそうな顔になった。
「そうね……わたしも……悪魔だった」
シスター・アイリーンは、からだからちからをぬいた。彼女は胸の前で指を組み、目を閉じた。
「だめじゃ! あ、愛宕さま! これはだめじゃあ!」
シスター・アイリーンは、フウと息をはいた。
「……いっときだったけれど、……わたしは”純白”だった」彼女の顔はおだやかだった。「神父さま……わたし……しあわせでした」
シスター・アイリーンは、まるでだれかと隣りあって会話を楽しんでいるかのようだった。
「あ、あんまりじゃあ……こ、こんなにいい娘が、ど、どうしてこうなるんじゃ……?」
堀田老人は床を拳で叩きつけた。歯を食いしばって涙を流し、嗚咽した。
シスター・アイリーンは、頭から奈落に吸いこまれていった。
「神父さま……さようなら」
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