28人が本棚に入れています
本棚に追加
♰68 出産2
「……ΛΩΣΔδζ」
剝きだしの背骨からのびる尾っぽが森義矢の足首をからめとった。森義矢はその場でうつ伏せになって倒れた。
「……ΛΩ! ΣΔδζ!」(神父よ! おまえも道ずれにしてやる!)
そこには、たしかにとどめを刺したはずの悪魔が息も絶え絶えに十字架を背負いながら森義矢を見下ろしていた。
「くっ! 断末魔ね」
森義矢はからだを起こそうとしたが手足が麻痺したように痙攣して身動きがとれなかった。
麻里亜は階段を降りきって、扉が開いている玄関を見た。すると、外に湯田と西門と瀬戸路がなにか言い争いをしている様子があった。
「ああ! そ、そんな……」麻里亜は後ずさりして裸の身を隠した。「これじゃ、逃げれない……」と、彼女がうしろをふり返ると、森義矢の姿がなかった。”ひかり”の防壁はまだ存在していたが火力におされて狭く変じていた。
「し、神父さまっ!?」
裸体の胸と股の間をちからなく手で覆った森義矢が横たわっていた。悪魔は鋼鉄製の巨大十字架の重みをこらえ、かろうじて立っていた。
「……Λ、Ω。ΣΔδζ」(……フフフ、いい眺めだ。”ひかり”のない神父など、赤子の手をひねるようなもの……ほんとうなら、このままおまえを犯して、その魂を喰らってやるところだが、その精力もなくしてしまったようだ)
森義矢は足首に巻きついている尾っぽを見た。それは先が亀の頭のようで先が割れていた。大蛇のような姿をしたおぞましい悪魔の男根だった。
「ゴッ、ゴホ、ゴホ」いまわの際の悪魔が咳きこんだ。
『しかし、せめてもの報復で儂はおまえにのしかかり、そのからだを道で車のタイヤに轢かれた猫のような姿にしてやろう』
森義矢は瞼をつよく閉じ、顔をそむけた。悪魔はほくそ笑んだ顔になった。
『し、しかし、これは笑い話ではないかね? 神父が十字架の下敷きになって死ぬというのは! し、しかも! 磔になっているのは! あ、悪魔だっ!』
森義矢は忌まわしい笑みの悪魔の顔を見た。すでにその虚ろなふたつの穴は光を放っていなかった。
森義矢は悪魔の不吉な顔が見えなくなった。視界は黒に一変した。
森義矢は聴覚も失われた。あるのは圧迫の恐怖。からだを押し潰されたときの痛みの恐怖。悪魔と潰れたじぶんのからだが混ざりあう恐怖――。
森義矢の傷ついた頬が一陣の風を感じた。森義矢はつよくつむっていた瞼を開いた。
「ああっ! 神父さまぁ!」
麻里亜が神父に覆いかぶさり背中で磔の悪魔を支えていた。
「ま、麻里亜!?」
「神父さま! しっかり!」
麻里亜の……彼女の足は騾馬の脚にかわっていた。
「わたしはあなたを死なせたりはしない」
木が軋む音がして部屋の天井が崩落した。燃える天井が磔刑の悪魔の上に落ちてきた。
麻里亜の肩に燃える梁の重みが加わった。彼女はさらなる重みに顔が苦痛に歪み、騾馬の脚の筋肉が盛りあがり血管が怒張した。
「神父さま……」麻里亜は言った。「わたしはどうなってもいい。だけど、あなたはこんなところで果ててはいけない」
森義矢は歯を食いしばった。
「きっと、ほかにもわたしたちと同じように”純白”をもとめている悪魔がいるはず。あなたはその者たちのためにも生き続けなければいけないわ」
「ΛΩ……? ΣΔδζ?」(オノケリス……? もどってきたのか?)
再び悪魔の目に赤色が光っていた。
「神父さまぁ!?」
悪魔はニヤリとすると、乱杭歯の口を開き麻里亜の頭を喰いちぎった。
麻理亜の首から血が噴きだし、森義矢の顔に降りかかった。
『……神父さま』
麻里亜の思念が森義矢に話しかけた。
『お願いがあります』
「ま、麻里亜?」
森義矢は、床で倒れたまま血まみれの顎を狂ったようにふりまわしている悪魔とそれを押さえつけている首のない麻理亜の姿を見つめていた。
『わたしのお腹のなかには、やはり子が宿っていました』麻里亜は言った。『わたしのお腹のなかで”ひかり”が産まれようとしているのです』
「ばかな? そんなことが……」
『神父さま。どうか、この”ひかり”を受けとってください』
『ΛΩ! ΣΔδζ!』(フハハハハッ! おまえを喰らったおかげで儂はよみがえる!)
悪魔が麻里亜の頭部を咀嚼した。彼女の頭蓋が砕かれる音がした。
だが、彼女の下半身はいまだにちから強く、悪魔のさいごのあがきから森義矢を守っていた。
森義矢は痺れた腕をふるわせ、騾馬の足に触れた。その掌からほのかな”ひかり”があらわれ、彼女の醜い脚が黄金色に染まっていった。
『神父さま! ありがとう!』麻里亜にちからが漲った。『さいごに神父さまの命を救うことができるなんて、こんなにうれしいことはないわ!』
麻里亜がいきんだ。彼女の子宮に宿った”ひかり”が産声をあげた。
『ΛΩ! ΛΩ! ΣΔδζ!』(わがふしだらな娘! 淫欲の悪魔よ! 儂とともによみがえるのだ!)
悪魔の鉤爪が森義矢に向かった。
麻里亜の騾馬の足が森義矢を蹴りはらった。森義矢は、”ひかり”を抱きかかえたまま床を転がった。
『わたしは、もう悪魔ではないわ』
首のふちから流れでた血でからだを赤く染めた麻里亜が、悪魔にふり向きその躰を抱きしめた。だが、その抱擁は死の抱擁だった。彼女のからだは十字架ごと悪魔を抱きしめ、締めつけた。
悪魔の躰が麻里亜と十字架の双方の圧迫で砕破する音をだしはじめた。
『ΛΩ! ΣΔδζ!』(ウギャーッ! 痛い! 痛い! 痛いっ!)
麻里亜が言った。「……す、すべては、主の御導き」麻里亜のからだが金色に輝きだした。「わたしはもう悪魔ではないわ――」
麻里亜のからだから受けとった”ひかり”が森義矢の腕のなかで広がって、森義矢のからだが包まれていった。
最初のコメントを投稿しよう!