招き猫

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                (五)  その日の夜、仁之助は悠癒に電話をかけていた。  メッセージチャットでも良かったが、声を聞きたくて、電話してしまった。 「いま、平気か?」 「丁度お風呂あがったところだよ」  そんなやり取りで、仁之助は鼓動が早くなった。  何を想像しているんだと、ブンブン首を振って、招きの猫の噂の話を伝えた。  話の流れで、喜代隆が気になっている女の子に告白することを教えてしまったが、まぁそれくらい問題ないだろう。 「気になるね」 「だろ? 招きの猫と、お前の力と……」 「いやいや、そっちじゃなくて、田崎くんの告白だよ!」 「は……?」 「成功するかなあ?」 「い、いや、知らんけど……」  意外な返しに、拍子抜けして、仁之助はスマホを取り落としそうになった。  招き猫のことよりも、田崎……喜代隆の告白の方が気になるというのだから、分からない。  女子と言うのは、みんなこうなのか? と考え込んだ。圭佑の姉の遼子にしても、人の色恋に随分反応がいい。  男子は、別にその辺どうでもいいというスタンスを取る人間のほうが多いと思う。  圭佑もそういうスタンスだし、仁之助もそっち側の人間だと自己分析している。 「友達の恋だよ? 気にならないの?」 「あんまり……。あいつが恋人できようができまいが、オレにとっちゃ何も変わんないし」 「ふうん……。男子ってそうなんだ」  ……女子は違うのか、と訊きたくもなったが、違うんだろう。  常々仁之助も思っていたことだ。男と女はまるで別の生き物だと。  まるで思考回路が違うような気がする。男にとってどうでもいいところに女子は拘ったり、男が夢中になるものを女子は無視したりするものだ。  この辺りは、仁之助自身が女性経験が少ないからそう思ってしまうだけなのかは分からないが。 「ねえ、土曜日だよね? デート」 「らしいよ。映画行くって」 「私たちも行こうよ、デート」 「……なんだって?」  ほら、やっぱり分からない。  女子がまるで分からない。そんなことを思いながら、仁之助は確認する。 「デートしよ? 映画見たい」 「誰と、誰が」 「私と、中馬くんが」  そこで長い沈黙が流れた。  いや、長く感じただけなのかもしれない。実際はほんの数秒しか経過していなかったようにも思う。  仁之助は冷静さを失いかけそうで、何度も自分に落ち着けと言い聞かせていた。 「告白の行方が気になるから、尾行するんだよ。目立たない恰好で行こう」 「は……、はぁ? キーヨの告白の出歯亀をするってのか?」 「デバガメって、面白い言葉使うねぇ」  なぜ急に喜代隆の告白が気になるなんていうのか、ぐるぐると脳裏で考えた。  もしや、悠癒は喜代隆に慕情を抱いていて、告白の結果を気にしているのだろうか?  そんな考えが最初に浮かんだ。自分と仲良くするのも、喜代隆と交友があるから?  まさか、まさかと考えるが、そんなことはないだろうと結論が出る。 「黒猫のツイートにRTしてくれたお礼に、私、祈っちゃおうかな」 「えっ、まさか。あいつの告白の成功をか?」 「うん。だって、素敵な願いじゃない。恋の成就。キューピットになれるんだよ」  悠癒の提案に、仁之助は少し戸惑った。  想像してみたのだ。喜代隆の告白を、悠癒の力で叶えるというのはどういう意味を持つのかを。 「な、なあ。もし、大瀬良が祈って喜代隆の告白が成功したとしたら、それって人の心を操作してしまうってことになるんじゃないのか?」 「え? どういう意味?」 「例えば、相手の女の子が告白に対してNOの返事を用意していても、お前が祈ることで、それが変わっちまうんじゃないかってことだよ」  そうだとしたら、悠癒自身が自分で杞憂していた、人の人生を変えてしまうかもしれないという禁忌に触れることにならないだろうかと思った。  電話の向こうの悠癒も、口を閉ざし、少しだけ沈黙が流れた。  しかし、程なくして悠癒は応えた。 「それは、ちょっぴり違うんじゃないかな?」 「違う?」 「私の御祈りって、既にある事実は捻じ曲げられないと思う。例えば、中馬くんが双子だったらいいのにって、願いを叶えることは不可能だと思うんだ。もうすでに、中馬くんは一人っ子で生まれて来てるからね」 「……つまり、お前の力でも、すでに相手の気持ちが決まっていた場合は変化しないってこと?」 「うん、誰かの気持ちを変えるなんてこと、できると思えないもん。やりたいとも思わないし」  だとしたら、喜代隆の告白の成功を祈っても、無駄になると言うことか。  だったら、なぜ告白の結果を見に行こうだなんていうのだろう。  仁之助には分からなかった。 「でも、人を好きになるのって、色んなきっかけがあるでしょ? 私はそのきっかけを沢山与えることができるんじゃないかって思うの」 「分からない事もないが……。それと、気持ちを操作するのは意味が違うってことなんだな」 「人格を変えたりなんて、できるはずないでしょ。私ができるのは多分、田崎くんの良いところを、相手の子が気が付きやすくなる、くらいのものだよ」  そう言われたらその通りだと思う。  あくまで、悠癒の『運命の女神』の力は、成功に導くものに気が付きやすくしているに過ぎないのかもしれない。 「そういうわけで、土曜日はよろしくね」 「え、あ、うん……。了解……」  結局流されるように、デートの約束が決まった。  こんなことになるとは思っていなかった。悠癒に、招き猫の話をして、何か手伝えるかもしれないと思ったくらいだ。  そんな風に思ったのも、彼女に頼りにされたいと思ったからだろう。  通話は終わり、仁之助はベッドに倒れ込んだ。  布団に顔を押し付け、表情が緩みそうになっているのを押しつぶした。 (やべえな)  そっと頭の中で独り言ちる。 (オレ……、大瀬良のこと、好きかもしれん)  流石に恋愛経験のない自分でも分かってしまった。  悠癒からデートに誘われて、舞い上がりそうになった。そんなつもりがなかったのに。  せいぜい、あいつの声を聞けたらいいなという気持ちで、招き猫の話を振ったのだ。  そうしたら、思いがけない収穫があって、腰が抜けてしまいそうになった。 (感謝するぞ、キーヨ)  これもすべて、キーヨのお陰だ。  そして、今日電話をするきっかけになった話題を教えてくれた遼子のお陰だ。  更に言うと、その弟である圭佑が友達でいてくれたからだ。  色々な奇蹟や偶然が集まって、一つの喜ばしい結果を形作った。  運がいい。これがそういうことなのだろうか?  もしかして、この幸運も、悠癒が祈ったから起こったのか。  それは仁之助には分からない。  はっきりと分かったのは、十六歳の夏、自分はいっぱしに、女の子のことを好きになってしまったということだけだ。  すっかり浮かれてしまいそうになって、仁之助は気持ちを落ち着けようと、冷えた麦茶を飲みたくなった。  ベッドから起き上がり、自室からキッチンへと向かい冷蔵庫を開く。  そこにはよく冷えた麦茶が保管されていた。  リビングからテレビの音声が聞こえてくる。両親がなにかしらの番組を見ているのだろう。  ついでだからと、親に、この町の『招き猫』の噂を聞いてみようと思った。  麦茶をコップに注いで右手に持ったままリビングに顔を出すと、両親がソファに腰かけて、テレビを見ていた。  キタキツネが映っていて、エキノコックスがどうのとドキュメンタリーで説明している。  本当にあった怖い病気、という番組のようだ。 「そんなの見て面白いの?」 「いや、他に面白いのないから」  ――と、母親がつまらなそうに返事をした。  要するにきちんと番組を見てるんじゃなく、惰性で暇つぶしに見ているだけなのだろう。  ならば、ちょっとした会話をするのに丁度いいと思った。 「なあ、この町のさ『招き猫』の噂って聞いたことある?」 「招き猫?」  母親が顔に皴を作って仁之助に向いた。 「招き猫って、コレ?」  と言って、手招きするような動きをする。  それは確かに招き猫だが、噂になっている『招き猫』ではない。 「なんか、昔、漁船を荒らすネズミ退治のために猫を使って、それから、猫がどうのこうの、みたいな。幸福を呼ぶ猫の話、知らないか?」 「ああ、そういう昔ばなしがあったなあ」  母親は理解できてない様子だったが、父親のほうが思い出したように口を開いた。 「昔からこの辺は漁業が盛んで、漁船が沢山あったんだよ。その頃、ネズミが船に穴をあけるってんで、対策のために猫を大事にして来たんだ。その名残で、今も漁師さんは猫を見るとエサをやってたりするんだけど……。最近は野良猫の駆除もあったりして、猫の数は減ったねえ」 「それが招き猫の由来ってこと?」 「ネズミを追っ払ってくれる福猫、ってところだろうね」  思い返すと、仁之助が幼稚園児くらいまで幼かったころ、もっと町には猫がいたような気がした。  しかし、最近は猫がゴミ袋を荒らすとか、糞をして困っているとか、そういう声が上がり出して、捕獲されてしまったのだとか。  人間の都合次第で、持て囃されたり、邪険にされたりで、猫も憐れだなと思った。 「この辺で黒猫、見ていないよな?」 「見てないねぇ、猫自体、久しく見てないよ」 「そうだよな」  結局、仁之助が知っている以上の話は聞けそうにもない。  もし、昔に福猫として担がれた猫がいて、それが妖怪の化け猫になって今もこの町を守っているなんて伝説でも出てくれば、それっぽいのにと思ったが、そんなファンタジーな話は父親の口からは出なかった。  普通ならそんな幻想的な物語を信じたりしないが、悠癒のことがある以上、今はファンタジーのほうがよほど信憑性を感じやすいと思った。  悠癒が助けた猫が、特別な力を持った猫で、命を救った恩返しに、悠癒に神秘的なパワーを与えた――。  そういう話を漫画やゲームでよく見る。  そんなからくりだったら、分かりやすいのに。  仁之助はコップの麦茶を飲み干し、シンクに置くと、自室に戻っていった。  そして、土曜日何をしようかと妙に焦りを感じ始めた。  映画を見るのは決定しているが、それだけで終わりになるだろうか?  生まれて初めてのデートだ。  こんなことなら、遼子に話をもっと聞いておけばよかった。後の祭りではあるが、そんなことを考えてしまう。  ふと、以前悠癒がこの部屋に来たことを思い出し、彼女が腰かけていたベッドをじっと見つめた。 (男の部屋に、無防備に入ってきてさ……。オレのこと、男として意識してねえってことだったのか?)  そんなネガティブな考えがよぎった。  その後、直ぐに遼子の言葉も蘇ってくる。 (『基本的に、女の子ってデートに応じた時点で、ほとんどオッケーな気持ちになってる』)  本当だろうか?  どうにも信じられない。あれは、喜代隆を焚きつけるためにそんな風に言っていた節もある。  だが、何とも思ってない男に対して、「デートしよう」なんて言うだろうか?  仁之助ならそんなことはできない。  なんとも思ってない女の子に、「デートしようぜ」なんて、普通にゲス野郎じゃないか。  悠癒はゲスか? そう自問するが、秒で否定できる。  人の運命を捻じ曲げるようなことを嫌うような少女だ。責任感がある女の子だと分かる。  そんな悠癒が、ゲス野郎のはずがない。  だとしたら……。 「脈はあるんですかね……」  零れ出た呟きは、虚しくかき消えて行った……。
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