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幸運の女神
(一)
世のなかには二種類の人間がいる。
ツイている人間か、ツイていない人間かの二種類だ。
高校生になった中馬仁之助はそんな風に考えていた。
この世は全て運だと思う。どれだけ実力があろうとも、運で勝敗が変わるのだ。
人はそれを『運も実力のうち』という。
だから、仁之助は詰まらないと感じてしまうのだ。
この世の中の仕組みが、社会が、努力が、成功が、戦争が、友情が、愛情が――。
全て詰まらないものだと思う。
何もかもが不確定で、運が絡んで約束されていない。
「クソゲー」
そう呟くと、仁之助はスマホのゲームアプリを閉じた。毎日コツコツとポイントを溜めて、いよいよ目当てのガチャを百連してみた結果は、惨敗だった。
スペシャル・スーパー・レア、すなわちSSRのキャラを引くためにガチャを回した結果、入手できたのはスーパー・レアの、しかももう持っているキャラだった。
途端、このゲームに対してやる気がなくなっていく。
辞め時だ。また別のソーシャルゲームを見付けよう。
そんな風に考えて、スマホ内のゲームアプリのアンインストールを行う。
そう、世の中には二種類の人間がいる。
中馬仁之助は、ツイてない人間のほうだ。
せっかくの高校一年の夏休みだというのに、仁之助は特に大きな予定もなく、ただぼんやりと過ごしていた。
何か趣味があるかと問われると何も思い浮かばないし、部活だってやっていない。
将来やりたいことなんか、特にない。なにせ世の中全部、運で出来ているのだから。
そんな投げやりな人生観を、十六歳で身に着けてしまったのは一体誰のせいなんだろうか。
自分のせいか、はたまた学校か、それとも暗いニュースばかりの社会だろうか?
「バイト、だりぃな」
夏休み、特にやることがないので初めて見るかと、コンビニのアルバイトに入っていた。
昼前の十時から夕方十八時までの、時給僅か八百円。最低賃金だった。
最低賃金で行う仕事ということは、この仕事は社会的に見て、最低ランクの仕事ということを言っているのだろう。
コンビニのバイトは、最低の仕事なのだと仁之助は思った。
そんな仕事にやりがいなんてないし、もともと、スマホゲームのガチャ課金のための小遣い稼ぎくらいしか考えてない。
そのゲームも、今消した。
消してみて思ったが、何も手元に残ってない。いったいいくら課金したのか覚えていないが、それで漫画を数十冊買っていた方が、良かったような気がする。
怠いとは思いながら、仁之助は身体を起こして支度する。
夏の午前は、まだ九時だと言うのに汗が出る。蝉がうるさく、アスファルトから蜃気楼があがるのだ。
しかも仁之助の暮らす町は、田舎ではあるものの、海があり、漁港がある。
海があるならいいじゃないか、涼しそうで――。
そんなわけない。
臭いし、空気はジメジメしている。それに海水浴できるような広いビーチなんてありもしない。
仁之助は自転車のカギを取り出し、玄関から出ると車庫に止めている自転車を出して、ロックを解く。
サドルに腰かけ、溜息をひとつ。
無線のイヤホンを耳に差し込み、スマホでお気に入りのアーティストの楽曲を再生すると、ペダルを踏みこんだ。
耳から聞こえるその歌は、夏を題材にしていて、好きな人が死んでしまったような内容のものだ。
このアーティストは、大体こんな感じの歌ばかり書く。
そこがなんだか共感を持ったので、好きになった。
どろりとした海風を浴びながら、灼熱の熱線を頭部に受け、噴き出す汗を払うように、ペダルをこいでアスファルトを走っていく。
やがて、十五分ほどでコンビニにつく。ここが仁之助のアルバイト先だ。
店の脇にあるスペースに自転車を止める。
この店舗の裏側に当たるスペースは、いつも日陰になっていて涼しい。アルバイトはここに自転車を停めてくれと店長から指示されている。
ふと、そのスペースの隅に、小さく丸まっている黒いものを見付けた。最初はなんだと首をかしげたが、その黒いものがモゾモゾと動いたのでギョッとした。
よくよく見ると、黒猫だった。丸まっていると、ただの黒い塊にしか見えなかったが、金色の瞳が開くと、猫の輪郭がはっきり分かった。
熱い日差しを避け、ここを避暑地にしていたのだろう。
追っ払うのも悪いと思い、仁之助はそっとその場から離れ、店内に向かうのだった。
コンビニの扉を押し開き、電子音のチャイムが聞こえる。
とたん、涼しい冷房が首筋に感じ取れて、思わず官能めいた声がでそうになるほどだ。
レジに立っている早朝組のバイト先輩に軽く会釈して、店の奥の従業員部屋件、倉庫に入る。
そこには商品の在庫がダンボールで積まれていて、不足したら補充するようにできている。
そんな倉庫の一画に、ロッカーとカーテンレールで仕切られた着替えができるボックスがある。
ロッカーを開き、自分の荷物――と言っても財布とスマホしかない――をしまうと、店のユニフォームに袖を通す。
今日着ている服装は、薄手のシャツに、軽いジーンズ。シャツの上から制服であるユニフォームを羽織ればいいだけなので、いちいち着替えのスペースなどは使わない。
「おはよう」
「あ、東條さん。チワッス」
着替えていると、後ろから声をかけられた。同じ時間にバイトに入る東條雅子だった。
東條は二児の母親で、アラフィフの主婦だ。子供の手間がかからなくなったからということで、ヒマな昼時をコンビニバイトすることにしたのだそうだ。
もうこのコンビニで働いて三年目のベテランだ。まだ二十日くらいしか入っていない仁之助からすると、頼れるおばさんという印象だった。
(アルバイトしたら、彼女でもできるかと思ったけど……)
自分のアルバイトの相棒はおばさんだ。残念ながら、こんな田舎の漁港町では大した出会いはない。
「猫、いましたよね。黒いの」
「え? どこに?」
「店の裏の、自転車停めるとこッス」
「気が付かなかったけど」
なんとなく振る会話も、どこか弾まない。
歳の差が離れているし、弾んだところでどうなるわけでもないのだが、なんとも張り合いがないと感じた。
「あ、そうだ。今日からアレ始まるから、ミスらないようにね」
そう言って、東條が指さしたのは、大きなダンボール箱だ。
それは七百円で引けるクジの景品が入っていた。某有名ゲームのクジで、マスコットキャラの人形が特賞になっていて、最低ランクのものだと、ステッカーとかクリアファイルだ。
この七百円クジは、お客さんがクジを引いた後、何が当たったかを店員が確認し、その商品を渡しておしまいという流れになるが、クジと商品別のものを渡したりすると、とてもやっかいなことになるので、注意しないといけない。
仁之助は、このクジの存在自体はバイトをするまえから知っていたが、店員側で扱うのは初めてだ。
東條の注意に、「ウッス」と真面目に返事を返しておいた。
時間になったのでレジに向かい、早朝組と交代すると、レジ奥の事務所から店長が顔を出し、先ほどの七百円クジの設置を行い始めた。
売り場をそれなり取るので面倒だが、この昼前の十時頃がもっとも客足が落ち着くので、タイミングとしては丁度いい。
クジ箱は、レジの奥に置いていて、客が引きたいと言った時にレジまで持ってくるという販売方法だった。
やがて、売り場が設置完了し、お昼時になったころだ。
昼食を買いに来た客たちが、次々とクジに挑戦していく。
「C賞ですね、おもちします」
「あー、A賞が良かったのになぁ」
客がぼやくが、こっちはC賞の商品を渡すしかできないので、C賞のブランケットを渡した。
ちなみにA賞は大きな三十センチほどのぬいぐるみだ。数は僅か、二つしかない。その上の特等であるクッション型ぬいぐるみはひとつしかない。
昼食を温める客とくじの客で、その日の昼は大忙しになった。
それでも、クジの提供でミスが許されないので、神経を揉みながら、レジの仕事を頑張り抜いた。
しかし、どうしてもレジに行列ができ始めてしまう。
なかなか、このクジの人気も高いらしい。国民的キャラクターでもあるので当然ではあるが。
(きっつ……)
これが、最低ランクの仕事なのか?
コンビニの仕事は、様々なことを覚えなくてはならないし、いつも何かに追われている。
もう少し、コンビニの店員に対する世間的地位を上げてくれてもいいように思った。
レジと景品の間を行ったり来たり、レンジの中の弁当が温まったら、包んで客に渡す。てんてこ舞いという状況を生まれて初めて味わったような気分になった仁之助。
レジは二つあるが、向こうの東條も四苦八苦しているのが分かる。
店長はのんびり事務所奥で昼飯を食べていたので、蹴っ飛ばしたくなった。
そんな状況のなか、ふと、自分のレジに並ぶ客を確認した。
今対応しているのは、親子連れだった。
三十代ほどの女性と、まだ小学校に上がる前だろう、小さな女の子だ。
母親が籠に、昼食やお菓子、ドリンクを詰め込んでいた。
レジにそれを乗せると、バーコードリーダーで読み取っていき、金額、内容を伝える。
「温めますか?」
「はい」
「お母さん、クジしたい! ペカチューのぬいぐるみ、ほしい!」
「当たらないからダメ」
一刀両断した母親の言葉に、少女は一気に不機嫌そうな顔になっていく。
そして、込み合うレジの前で、駄々をこね始めてしまったのだ。
「やだあ! ほしい! クジしたい! クジしたい!」
仁之助は、絵にかいたような駄々っ子姿に、母親にどうするのかと視線で訴えるくらいしか出来ない。
行列の後ろに並んでいるおじさんが、しかめっ面をしていた。
早くしろと怒鳴りそうな一触即発の様子に、仁之助は内心ヒヤヒヤしていた。
母親も、なんとなく空気で察したのか、早くこの場を治めたいらしく、観念したみたいに、子供に頷いていた。
「一回だけね」
子供にそういうと、仁之助に「クジ一回お願いします」と伝えた。
クジの入ったボックスを持ってくると、子供が「私が引きたい!」というので、レジから出て、箱を少女の前に差し出して引かせてあげることにした。
仁之助は後ろに並んでいる、強面のおじさんの眼光に冷や汗を垂らした。
女の子がどれにしようかと、悩みながらボックスのなかのクジをかき回している。
なんでもいいから早く選んでくれと言いたくなりそうで、仁之助はレジに並ぶ他の客に愛想笑いでも浮かべようかと、そちらを見た。
すると、イライラしているおじさんの後ろに、少女が居た。
仁之助と歳はあまり変わらないのではないだろうか。おそらく、高校生の少女だった。
別に夏休みだし、そういう少女が居てもおかしくないが、仁之助は怪訝な顔になった。
その少女は、まるでお祈りをするかのように、両手を組み合わせ、瞼を下ろしていた。
(……なにを拝んでるんだ?)
こんなコンビニのレジの列に並び、祈りのポーズでいる少女に、暫し目を奪われていた。
髪は黒々として、美しいストレートを肩まで伸ばしている。
服装は夏らしく薄手のワンピースだった。曝け出されている肩が細く、しなやかに見えた。
「これ!」
クジをつまみあげた少女の声でハッとした。
仁之助はそのクジを受け取り、少女の前で開いて見せる。
「A賞、ペカチューのぬいぐるみです」
「やったー!!」
女の子は喜びを大露にしてはしゃいだ。
母親のほうも、ビックリしながらも嬉しそうな顔をしていた。
仁之助はすぐさま景品置き場から、A賞のぬいぐるみを持ってきて、大きな袋にいれて手渡した。
「あらら、こんなに大きなの買うつもりじゃなかったから、持って帰るのが大変ね」
そんなことを言う母親だが、表情は嬉しそうだ。
子供も大はしゃぎで、会計を済ませ、親子は大きなビニールに詰め込まれたぬいぐるみと、弁当や飲料を持って出て行った。
「タバコ。セッタ」
「は。は? セ、ッタ?」
次いで強面のおじさんが、言葉短くタバコを頼んだ。
セッタ、という銘柄らしいが、十六歳の仁之助にはすぐに分からなかった。
レジの上にタバコを並べて販売しているのだが、タバコには番号が振られている。
番号を伝えてほしいところだが、銘柄を直接いう客もいるので、そういうとき、仁之助は参ってしまう。
「セッタだよ。セブンスター、二十二番!」
「は、はい。年齢確認をお願いいたします……」
「チッ」
――ああ、その目だ。コンビニ店員は社会的地位が最も低いとでも言わんばかりに、その客は見下してくる。
レジの画面に表示される年齢確認ボタンを苛立たしい様子で押し込む男性に、会釈してタバコを渡した。会計が済むと、仁之助はほっとしていた。
(最初から、番号で言ってくれよ……)
「すみません、クジ……いいですか?」
「あ……。はい……」
冷や汗を拭う間もなく、次の客だ。
ほとんど自動的にクジの箱を用意しながら差し出すと、その客と目が合った。
さっきの、お祈り少女だった。
こちらを気遣ってくれているのか、「大変だね」とその目が仁之助を労ってくれているように思った。
愛らしい瞳は、まるっとしていて、まつ毛が長い。
可愛いと、仁之助は直感的に思った。
(ああ、そうか。さっきのお祈りは、ひょっとして、自分も狙っている景品がなくならないようにって祈ってたのか)
この少女も、クジを狙っていたから、数少ない景品の確率が落ちてしまうことが怖かったのだろう。
この子は当たって欲しいかもしれない。
そんな考えが浮かんだのは、なぜなのか。
彼女の白い手が、クジ箱の中に潜り込み、ごそごそとやる。
暫く、仁之助はそんな彼女の姿を見つめていた。
やがて、引き抜かれた少女の手にクジがつままれていた。
それを受け取り開封すると、そこにはF賞の文字が書いてある。要するに、一番の外れ景品だった。
「F賞、デザートボウルです……」
「あ、はい……」
約十二センチ程度の小さなお皿――、ボウルだった。キャラのイラストがプリントされてはいるものの、A賞などと比べると、いまいちと言わざるを得ない。
少女は、苦笑しているような何とも言い難い表情で、それを受け取った。
こんなもの、百円均一でも買えるだろう。七百円も払って得た代価がこれかと思うと、少々憐れだが、クジとは本来そういうものだ。
結局、その少女はF賞を受け取って、店から出ていくのだった。
仁之助は、まだまだ込み合うレジ対応に、その少女のことをすぐに忘れてしまった。
だが、これこそが、『二人』の最初のファーストコンタクトだったのだ。
まさか後ほど、この少女と一緒に、とんでもない事件に巻き込まれていくなんて……、この時は想像さえできなかった。
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