22人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
(二)
仁之助の住む町は、小さな田舎で、漁港がある。
防波堤の周りには敷き詰められたように沢山の消波ブロックが重なり合っていて、浜辺というものはない。
美しい海沿いの町というイメージはなく、野暮ったい漁師の町だ。
現在八月も終盤に差し迫る夏真っ盛り。
アスファルトさえ溶けるのではないかという茹る暑さが続く。
もうすぐ二学期が始まるので、休みを満喫できる最終週と言ったところだ。
しかしながら、仁之助は特にこの夏、共に過ごせるような仲間はニ~三人のクラスメートだけ。
別にそれを不満に思ってはいないが、仲間内で流行っているアプリゲームに愛想が尽きてしまった仁之助は、どうにも虚しさばかりを感じてしまっていた。
アルバイトも夏休みの間だけということで、もう残り三回くらいしか入る予定もない。
アルバイト代は来月振り込まれるので、金欠なのはまだ変わらない。
「せめて何かしらなかったもんかね。オレの高校最初の夏休み――」
ドラマや漫画で描かれている青春なんて、リアルでは触れることができない幻想にすぎないと思い知らされたみたいだ。
それとも、他のみんなはきちんと青春をしていて、自分がだけが青春不適合者なのだろうか。
高校に入る四月は、夢と希望と不安で胸を鳴らせていたのに、八月も終わるところで、もう仁之助の精神は錆びつき始めていた。
運が悪かったのか……。
そんな風に考える。運が良かったなら、きっとどこかでドラマが始まっていたのではないかと妄想する。
バラ色の青春。そういうものに触れていたかもしれない。
例えば――、そうだ。あのバイトで見かけた女の子……。
「バカバカしい」
何を考えているんだと頭を振った。たった一度、バイトのコンビニで客として対応しただけの少女のことを、不意に思い出すあたり、実に末期だ。
それほどまでに、この夏、青春の匂いを感じさせる存在に触れられなかった。
と、その時、スマホが着信を知らせる振動を送って来た。
画面を確認すると、クラスメートの友人、田崎喜代隆だ。
高校に入ってから仲良くなった喜代隆は、別の町に住んでいる。
仁之助が通う高校は、最寄り駅から電車で二十分程行ったところの駅で降りるのだが、喜代隆はその高校の傍に住んでいるのだ。
「よう、今日バイトある?」
「いや、ないよ」
スマホのスピーカーから、喜代隆の低い声がする。
喜代隆はあまりチャットアプリで連絡をしてこない。テキストを打ち込むのが面倒だと言って、大抵は電話をかけてくる。
「今日、うちの近所でお祭りやんだよ、いかねえか?」
「お、いいね。行く行く」
「あんまり期待すんなよ。お祭りっていっても、ちょっとした縁日が並んでるくらいだぜ。花火ひとつもあがらねえし」
仁之助が思った以上に食いつきが良かったためだろうか。喜代隆は予防線を張るように、付け加えた。
「いいって。ヒマしてたから、なんでもいいんだよ」
「アイツも呼んでるから。五時に駅で集合な」
「オッケ」
それで通話は終わった。
アイツというだけで誰のことかすぐ分かる。
竹本圭佑も、友達だ。大体いつも、仁之助、喜代隆、そして圭佑の三人でつるんでいることが多い。
つまり、いつものメンバーというわけである。
これで退屈な夏休みを飾る青春の一頁が書き加えられる。友人たちと夏祭り。十分じゃないか。
たとえそれが、町がやっている小さな縁日だったとしても。
男だけのお祭りだったとしても、だ。
その日は夕飯を不要だと親に言って、祭りに出かけることを伝えた。
普段のシャツとライトジーンズに足を通し、スニーカーを履いて最寄りの駅まで自転車を走らせた。
五時につくように古ぼけた電車に乗ると、田舎の海が窓の外に流れていく。
やがて、普段通う学校の近くの駅に到着すると、喜代隆と圭佑が並んで待っていた。
二人は近所だから、歩いてここまで迎えに来てくれたのだろう。
「よう、早速行こうぜ」
三人は普段通りの飾らぬ恰好だった。夏らしく半そでに膝丈ズボン、サンダルというスタイルの喜代隆と、帽子を被っている眼鏡の圭佑だ。
喜代隆を先頭にして、三人は駅から、お祭りの場所まで徒歩で向かっていく。
「なんかおもしれーこと、あった?」
喜代隆が話を振るが、仁之助は首を横に振るしかできない。
「キーヨのやつ、言いたいだけなんだろ。さっさと言えって」
「あ? キーヨ、なんかあったの?」
圭佑がうんざりしたように言った。なんのことか分からず、仁之助は圭佑と喜代隆とを見比べる。
ちなみに、キーヨというのは、喜代隆のあだ名だ。仁之助はジーン、圭佑はケーイと呼ばれている。
名前の頭二文字の間を伸ばしただけなのだが、呼び捨てより親しみがあるということで、こんな呼び名が定着していた。
喜代隆は何やらニヤニヤとしたいやらしい目をしていた。随分上機嫌の様子だ。
「いやあ、なんていうか。夏の間にバイトしたんだよ、短期の奴。日払いの」
「あー、なんかイベント会場の設営みたいな奴に行くって言ってたな」
「それそれ、そこでさあ、仲良くなったヤツがいんのー」
デレデレしているその態度で、もう大体分かってしまった。
どうやら、喜代隆は『運がいい人間』だったようだ。
「彼女、できちゃうかもしれないッス!」
「あ、まだできてないんだ?」
「いや、まだ告白はしてないけど、今、かなり仲良くなってきてんだよね。同い年で、学校は違うんだけどさ、これからもチョクチョク会えそうなんだよ」
……なるほど、その報告を早くしたくて……、要するに惚気たくて仁之助たちに今日声をかけたのだろう。
全く羨ましい限りだが、別に嫉妬で噛みつく程でもない。そこはそこで、素直に良かったなと言えるくらいの余裕はある。
「ケーイも彼女できたん?」
「できるかっつーの。俺はあんまりそういうのは興味ないし、それよかスイッチ欲しい」
ゲームが好きな圭佑らしいとは思った。
「あ、そういやオレ、『ガストラ』やめた」
仁之助はあのガチャで爆死したゲームをやめたことを圭佑に伝えた。元々、圭佑からやろうと誘われたのだが、熱意が上がり切らないまま終わってしまった。
「じゃあ、ジーンもスイッチ買えよ。俺、今度の新作と一緒に買うぜ。そっちで遊ばねえ? バイトで金貯まってんでしょ」
「そうだなぁ……」
ぼんやりと、生返事をする仁之助は、自分の事なかれ主義に、我ながら呆れていた。
いや、事なかれ主義というよりは、自分の中に明確に熱を上げられるものがないというのが本音だろうか。
圭佑は本当にゲーム大好き人間で、夢中になって色んなゲームを紹介してくる。
だが、仁之助はそういう夢中になれるものがない。
喜代隆は、彼女が出来そうでワクワクしているし、なんだか一人だけがらんどうのような気持ちになってしまう。
なぜ、自分がこんなにも冷めているのか、考えてみたことはある。
世の中所詮、運で左右される、不確定なルート選びで出来ていると考えると、途端にやる気が落ちていくのだ。
どれだけその道に熱を上げようとも、それは些細なことで沈下するのだ。
例えば、最高の彼女が出来たと浮かれていても、その彼女はいつの間にか疎遠なったり、超絶面白いゲームが出たとしても、ゲーム内で躓くとそこから急に熱が冷める。
これが仁之助という人間だった。
夢中になり切れない性格は、何をやっても半端になってしまう。
ゲームはともかく、彼女に関してはまだできてないので、何とも言えないが。
だが、こんな飽きっぽい性格をしている自分が、誰かを本気で好きになれるとは思えない。
喜代隆が少し羨ましいと思えていた。
暫く歩くと、商店街にやってきた。どうやら、商店街が主催のお祭りらしく、縁日が並んでいる。
フランクフルト、りんご飴、綿菓子に金魚すくい、お面屋さんなど、定番が軒を連ねていた。
「色々食おうぜ」
「オレ、タコ焼き買うわ」
仁之助がタコ焼きを買うために屋台に顔を出すと、ガラの悪そうな青年が鉄板の上でタコ焼きを転がしていた。
「ひとパックください」
「五百円ね」
高い、とは思ったが、今日くらいは金を使おう。そうじゃないと、本当に夏休みの思い出がバイトだけになってしまうと思った。
縁日はそこそこ賑わっているものの、大混雑というほどではない。三人は適当な店で食べたいものを買ってくると、合流して落ち着けそうな公園にやってきた。
滑り台をベンチ替わりにして、三人はそれぞれ、買ったものを頬張り始める。
タコ焼きは熱かったが、思ったより美味しかった。タコも大きい。もしかすると、このタコは仁之助の町の漁港で水揚げされたものかもしれない。
「高校生活ってさぁ、もっと夢があると思ってたんだけど」
そんな切り口から、仁之助はいつの間にか自分語りをしていた。
「勉強は難しくなるし、色々面倒なモノばかり目につくようになるし、オレ二学期憂鬱なんだけど」
素直にそんなことを言ってみた。
どこか浮かれ気味の喜代隆は、笑い話として受け取った。
「まだ始まったばかりじゃねえか。これからこれから」
「キーヨはいいよ、彼女が出来て『コレカラコレカラ』だろうから?」
「そう言うなって、俺の恋が実ったら、ミナちゃんの友達とかお前にも紹介してもらうから」
「あ、ミナちゃんって言うんだな」
「ジーンはいいよ。俺なんか、日がな一日、『ミナちゃん』の話に付き合ってたんだぜ」
圭佑がうんざりした様子で、りんご飴にかぶりついた。
確かに、この調子に乗っている喜代隆の相手をするのは、怠いことだろう。
「このあとどうする?」
と、仁之助。
「もうちょい見て回る? お祭り」
喜代隆はせっかくだし、と言うものの、あまり見どころのないお祭りだった。
「見るとこそんなにないだろ?」
「ビンゴ大会するってよ、行ってみよう」
確かにこれで解散というのも味気ない。期待はしてなかったとはいえ、流石にこれだけじゃ思い出にさえならないと思った。
三人がビンゴ大会の場所まで行くと、入り口でビンゴカードを配っているおばさんがいた。
パーティーゲームなんかでよく使う、カードの数字を押し込んで穴をあけていくビンゴだ。
景品を見てみると、圭佑が「おっ!」と、声を出していた。
その声に目を引かれて一等賞を見てみると、景品がスイッチだった。
つい先ほど、欲しいと言っていた物が景品になっていると知り、圭佑は俄然やる気になったらしい。
「当てに行くぞ」
当てに行くも何も、ビンゴは運が物を言う。成すがままに身を任せるしかできない。
会場にはぞくぞくと人が集まり出している。子供が多いのはこのビンゴ大会が、子供向けだからだろう。
どうやら、みんなスイッチが欲しいようで、競争率は高まっていくばかりだ。
「ねえ、お姉ちゃん……ほんとに当たるの?」
ふいにそんな声が、仁之助の耳に届いた。
小さな女の子の声だと分かった。声の方に視線を向けると、小学生くらいの少女と、その子の手を繋いでいる高校生らしき少女が居た。
「あっ」
思わず声に出していた。
その子供の手を繋いでいる少女には見覚えがあった。
コンビニで、クジを引いたあの少女だった。
「大丈夫。千夏ちゃんの誕生日だもん。ママがちゃんと見てるよ」
そんな会話をしているのを、耳をそばだてて聞いてしまう。
自分でも、妙な縁に意識が引っ張られて、不思議な感覚がしていた。
「何見てんだジーン」
喜代隆が突然声をかけて来たので、仁之助はビックリして視線を彷徨わせた。
「なんでもない」
「……あ、大瀬良じゃん」
「え?」
喜代隆は、仁之助の視線の先を捕まえ、そんな名前を口にした。
思わず、仁之助は訊き返してしまう。
「あの子だろ? 同じクラスの大瀬良じゃねえか」
「は? あ、同じクラスだっけ」
コンビニでクジを引いた少女。それは、同じクラスメートで、名前は悠癒だと喜代隆が言った。
仁之助は、ここにきて、自分のクラスの女子の顔もまともに覚えてなかったのだと自覚した。
記憶をまさぐり一学期のクラスメートの顔と名前を脳裏で反芻する。
大瀬良――悠癒――。
そうだ。喜代隆の言う通り、同じクラスの大瀬良だ。間違いない。学校では制服姿だし、眼鏡をかけていた。それにたしか髪型も今のように肩まで降ろしておらず、まとめ上げて縛っていたはずだ。
だから、気が付かなかった。
「ど、どこかで見たことあると思ったんだよ。そ、そうか。同じクラスの大瀬良だったのか」
仁之助は、そんな誤魔化しを伝えた。なぜ誤魔化そうとしたのか自分でもよく分からない。
「一緒にいるのは妹かな?」
「さあ? 家族構成まで知らねえし~」
あまりジロジロと見ているのはマズイと思った仁之助は、表情を硬くしてしまう。
「おい、二人ともそんなことより始まるぞ、ビンゴ! 当てるぞ! スイッチ!」
圭佑は本気の目をして、ビンゴカードを握りしめていた。
圭佑にとっては、クラスメートの女子よりも、ゲーム機のほうが重要らしい。
そして、ビンゴが始まった。
まずはカードの中心のFREEと書いているところに穴をひとつ作る。
ビンゴの数字は、機械がランダムに表示するようで、電光板にその数字が大きく出ていた。
そして、ビンゴの最初の数字は『12』が該当した。
みんな、12番を開けていく。そんな中、ちらりと大瀬良悠癒のほうを覗き見た。
「……?」
悠癒は、ビンゴカードを持っていない。傍にいる小学生の女の子は必死な顔でビンゴカードの12番を見付け、穴をあけていた。
(また……)
悠癒は、ビンゴに参加していなかった。彼女は、あの日コンビニでしていたみたいに、お祈りをしていたのだ。
両手を組み、瞼を下ろして、何かに祈りを捧げているようだった。
「次の番号は、23番でーす!」
司会役の女性が明るい声でアナウンスする。
すると、周囲のカードをもつ面々が、23番を探し、一喜一憂していた。
その間も、悠癒は祈りの姿をやめていない。
「あっ、23番ある!」
悠癒の傍で、女の子が嬉しそうな声を出していた。
(え……?)
まさか、だよな。と思った。
自分がおかしな想像をしていると、仁之助は考えていた。
だが――。
「さあ、三つ目の番号はぁ……、55番です! さぁまだまだ始まったばかりですが、リーチした人はいるかなー?」
普通なら――、いるわけない。
このタイミングでリーチが入るということは、ビンゴに向かって一手の無駄もなかったと言うことだ。
そんなのは、確率的にまずありえない。
司会の女性とて、いるわけはないという前提のもと、そういう発言をしたのだ。
「リーチしてる!」
女の子の嬉々とした声が上がっていた。
大瀬良悠癒の連れている女の子だった。
ざわつく会場に、司会の女性も目を丸くしていた。
「なんと、早くもリーチした方がいるようです! ビンゴ一位の人はスイッチが貰えます! さあ、それでは四番目の数字、いきますよー!」
その女性の声と共に、電光板の数字がチカチカと変化して、数字をランダムに表示させる――。
『64』だった。
「64です! さあ、どうですか~! ビンゴの方、いらっしゃいますか……」
「ビンゴー!」
「えっ……」
手を高く上げているのは、身長一二〇センチほどの小さな女の子だった。先ほどの、悠癒と手を繋いでいた、少女だった。
「す、すごい! なんと、ストレートでビンゴしてしまいました! では、一等の景品であるスイッチを贈呈いたします! こっちまで来れますか~?」
「ほんとだ! ほんとに当たった!」
「良かったね、ちゃんとママが見てたんだよ」
はしゃいで飛び回る女の子に微笑み、悠癒が手を引き、ビンゴ会場の檀上まで連れて行く。
司会の女性が、女の子へとスイッチを手渡し、早くも一等の景品がなくなった。
次は二等のぬいぐるみだった。
「そ、そんな馬鹿な~……」
スイッチしか目標ではない圭佑は、すでに意気消沈だった。
仁之助に至っては、もう穴をあけることも忘れてしまっていた。
それよりも、その意識は、大瀬良悠癒に注ぎ込まれていた。
偶然なのか?
あの祈りのポーズはなんだったんだ?
コンビニでも、似たような事が起こった気がする……。
奇妙な空想が顔を覗かせ、仁之助は想像以上の夏の思い出ができたことを、あとから実感することになる――。
最初のコメントを投稿しよう!