幸運の女神

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                (五)  仁之助はこの町から出たことはない。  旅行などはあるが、この町の暮らし以外をまだ知らないのだ。  生まれてこの方、引っ越しをすることもなかったので、ここが生まれ育った町だった。  仁之助の故郷に対する印象は、『なにもない磯臭いだけの町』だった。  この町でできる娯楽と言えば、せいぜい釣りくらいだろうか。  その釣りだって、何時間も釣り場で魚を待って、数匹釣れるかというレベルなので、幼い仁之助には退屈なイメージしかなかった。  そもそも、そこまで海に関して強い関心もなかったし、田舎育ちのためなのか、どうしても華やいだ都会に想いを馳せてしまう。  仁之助はいつかここを出て東京で生活したいと、ぼんやり考えていた。  東京だったら、退屈で張り合いのない毎日から解放されて、刺激的なものに触れやすくなると思ったのだ。  だから、地元の景色なんてものは、仁之助にとって、見慣れたつまらないもの、だったが――。  悠癒が見せてくれたその見慣れた景色が、なぜか特別なもののように思えたのだ。  それは、この変わり映えしない風景の傍に、悠癒が来たからなのだろうか。  それほどまでに、仁之助は悠癒のことを気になりだしていたと言っていいだろう。  なにせ、願いを捧げるとクジを百パーセント当てることができるなんて、特殊能力をもった人間は見たことがない。  そんな少女と隣の席になった。  なんだか、自分の煤けていた人生に、色が添えられたような気がしたのだ。気分も盛り上がるのは仕方ないことだろう。  海辺までやって来た。砂浜はなく、コンクリで作られた波止場と、防波堤。そして消波ブロックという、味気ない景色が目に入る。  濁った海は、白い泡立った波をそれらにぶつけ、潮騒を響かせていた。  海の風は臭いが強く、仁之助はそこまで好きにはなれない。  小学生の頃、遠足で行った山の頂上の空気のほうがよほど美味しいと思った。清々しさのない夏の潮風は、鉄に錆びを作り、そこに浮かぶ漁船の白さをまだらにしている。  おんぼろの小さな船は、見ていると、哀愁を伝えてくるし、朽ちていく憐れさをかもしだしていた。  その光景は、自堕落に日々の時間を無駄にしている自分の成れの果てみたいに思わせて、やはり仁之助は好感を持てなかった。 (なんだって、大瀬良はこんな景色を撮ったんだろうな)  ここを絵の題材にしてイラストを描くつもりなのだろうが、そんなイラストが人の目を引くのだろうか?  圭佑が言うには、悠癒のイラストはかなりのもののようだったが、結局仁之助はまだそれを拝めていない。  イラスト部に所属しているという悠癒。  部活動をしているというだけで、立派なものだと仁之助は考えていた。  部活は、その活動を好きでないと続けられないと思ったのだ。  なにせ、学校生活を送る三年間、ずっとその部活動を続けるのだから。  仁之助も高校に入学した直後の四月、部活をやってみようかと考えた時期はある。  いくつかの部活動の様子を見て回った結果、どれも三年間続けられるような熱意を持てるとは思えなかった。  夢中になれるものとは、結局巡り合えない仁之助は、運が悪いのか、自分の無頓着な性格が悪いのかは分からない。  ともかく、気がつけば五月になって六月になっていた。  仁之助は帰宅部で、喜代隆と圭佑と仲良くなっていて、一緒に帰る中でゲームをしたり他愛ない話をしたりとして過ごした。  二人の友人との関係は悪くなかったし、変に肩ひじを張る必要もなかったので気楽にやってきていた。  喜代隆は彼女が欲しいと言って、クラスの女子の話をしていたが、なんだかんだ言いながら、喜代隆は女子と深い関係になることを苦手にしていたようだ。  どうも、身近な女子と恋愛することを考えると、日常がぎくしゃくしそうで、恋心まで持って行けないなんて言い訳をしていた。  そういうものもあるだろうが、仁之助は喜代隆が結局、一歩を踏み出す勇気がないだけなんだろうと思っていた。  実際に恋に落ちてしまえば、周囲の状況なんか考えるよりも、彼女のことで夢中になるだろうと想像したからだ。  慕情を持つより先に、付き合った時のことを考えて、結局彼女を作ることを怖がっているのは、捕らぬ狸の皮算用である。  しかし、そんな喜代隆の態度は、仁之助に『仲間だ』という安心感を与えていた。  仁之助も、一歩を踏み出すことをできない人間だからだ、  恋愛ではない。生き甲斐を探す、と言うことに対して、仁之助は動けないままだった。  圭佑はそんな中、しっかりと夢中になっている者があった。  それがゲームだった。ゲームなら何でも好きだと言って、ビデオゲームからソーシャルゲーム、果てはトランプやボードゲームも遊んでいた。  そういう時に声をかけてくれて一緒にやろうと言ってくれるのは、仁之助からすると助かっていた。  ゲームをしている時は純粋に楽しいし、難しく物事を考えずに済む。  圭佑みたいに、そこまで熱意をもって取り組まないから、やりこんだりはしないものの、その中で自分が「いいな」と感じるものを模索できるのが良かった。  結果、仁之助はひとつだけ自分で見付けた好きなものがあった。  それが音楽だ。  ゲームのプロモーション・ビデオに起用されたバンドに、強い関心を持った。  そこからそのバンドを調べていくと、元々ボーカロイドなんかで作曲をしていた人物が、女性ボーカリストと組んで活動を始めたバンドだと言うことが分かった。  音楽を始めたいとまでは考えていないが、CDを全て買いそろえて、そのバンドの歌を毎日聴くようになるくらいは好きになったのだ。  そこまで自分がなにかに対して強い関心を持ったことがないから、仁之助は、これこそが自分の生き甲斐になるかもしれないと、半ば強引に好きになろうとしていた部分もあるが。  海も眺めたことだし、そろそろ帰ろうかと自転車に跨った。  ふと、道路の先に狭い敷地があって、柵で囲われた建物が目についた。  確かそこは『住吉神社』だと小さなころに教えてもらった気がする。  神社とは言うものの、鳥居はないし、敷地内にぽつんと木造のお堂があるだけだ。  住吉という神様がいるそうで、海の安全を守ってくれる御利益があるので、この漁港の傍にお堂が建っているのだろう。  住吉なんて、なんだか人の苗字か地名みたいな、なじみ深い名前で、なんとなく頭に残った。  道路の先に見えたその小さなお堂を、ぼんやりと見つめて、仁之助は自宅へと戻っていく。  その時考えていたのも、やっぱり大瀬良悠癒のことだった。  あの奇妙な能力が、本当にクジを当てるものだとしたら、それは神通力のような超常現象だと考えられる。  もしかすると、悠癒は神様とかから力を貰ったのだろうか。  そんな妄想をしていた。  よくある漫画やアニメの設定だ。  何の変哲もない少年少女が、ある日、ひょんなことから特殊能力を神様から授かるわけだ。  今身近にいるのは住吉という神様だったので、ちょっとだけ調べてみてもいいかもしれないなんて思った。 「ただいまー」  帰宅すると、自室に入り、制服を脱ぎ部屋着になる。クーラーを付けると、スマホでブラウザを開き、住吉の神様を検索してみる。  すると、色々な情報が書かれているページが表示された。  暇つぶしに覗いてやろうと、仁之助は住吉の神様を調べ始めた。  ざっと見たところ、住吉という神様は教えてもらった通り、海の神様で、航海の安全や漁業守護だとかにご利益があるというのは本当らしい。  そして、住吉という神様は、三人で一組の神様だということも分かった。  住吉三神と呼ばれており、底筒男命(そこつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)表筒男命(うわつつのおのみこと)の三兄弟のようだ。  筒、というのがピンとこなかったのだが、筒は星のことを指しているという説明があり、天空に住む神なのかと想像を膨らませた。 「三人で一つってことは、あの小さなお堂に三人分入ってるのか? 狭そうだな」  海沿いにあるお堂を思い出して、仁之助は独り言ちた。  悠癒に繋がるようなものはないかと、妙な期待を抱きながら、住吉三神がクジに強くなる力があるとか、幸運を運ぶような能力があるか、なんて調べていった。  ふと、そんな中で「三」という数字自体に、幸運の意味が込められていることを知った。  筒は星、星に願いをかけるのは、どこの国にもある習慣だそうだ。  その中でも有名なのは、流れ星に三度願いをかけるとそれが叶えられる、というものだった。  その話なら、仁之助も聞いたことがある。  流れ星が消えるまでの間に三回、お願い事を口にするとそれが叶うのだそうだ。  やったことはないが、色んなところで耳にする有名な話だ。  他にも、「三」は縁起がいいとして、「石の上にも三年」とか「早起きは三文の徳」なんて言われている。 「ふうん、なるほど」  悠癒もあの祈りのポーズをしている時に、三回祈りを心の中で呟いていたりするのだろうか?  住吉三神から少し脱線していたので、もう一度住吉三神のことを見直すために、ブラウザページを戻っていく。  と、住吉三神とは別の名前が目についた。  神功皇后、という女性の神様のようだ。  よくよく調べていくと、神功皇后は日本の第十四代天皇である仲哀天皇の妻だった人物らしいが、実在性ははっきりしないのだとか。  その神功皇后が、神を降ろし住吉三神から神託を得て女だてらに兵を率いて、三韓を従わせたのだそうだ。  そのため、住吉三神を祀っている神社では、一緒に神功皇后も祀られていることが多い。  仁之助にとって、興味深かったのは、その神功皇后の話の方だった。  神功皇后は、武運の神として崇拝を集めた八幡神の一人と説明があった。  そのご利益は、『勝負運アップ』などがあるというのだ。 「勝負運……、要するにクジ引きに勝てるってことか?」  住吉三神から神託を受けた皇后は、その後、住吉三神と同じ神として崇められるようになった――。  そこで仁之助は空想してみた。  あの住吉神社で、三神が悠癒を見初め、神功皇后のように、勝負運を上げる力を獲得させたとしたら……。 「……はは、面白いこじつけができたわ」  仁之助は、その空想が所詮空想に過ぎないと、不意に現実が顔を覗かせて、力なく笑った。  実際のところ、悠癒の力がホンモノかどうかは、まだ判然としない。  限りなく怪しいとは思うが、そんな話、あり得るとは思えない。  少し自分が熱くなり過ぎていたことに気が付き、仁之助はそこで、住吉神社に関する調査を辞めることにした。 (オレ……熱くなってた……のか。大瀬良のことを調べるのに、こんな色々と手間かけて……)  何事にもどこか本気になれない自分が、妙に意気込んで住吉神社――というより、悠癒に強く関心を持っていたことを今、自覚した。 「キーヨのこと、笑えねぇな……オレも」  時刻を見ると、もう夕方の六時半だった。  一階のリビングから、母親の声がした。 「仁之助―、ご飯よー」 「あいよー」  返事をすると、スマホを置いて、自室から一階のリビングへと向かう。  テーブルには夕食が並んでいて、テレビがニュースを流していた。  父親はまだ帰宅していないので、仁之助と母親の二人分の夕食だ。今日は麻婆豆腐がおかずらしい。  仁之助は自分の席に着くと、テレビを見た。  どこかの企業のお偉いさんが、不祥事を起こしたか何かで謝罪会見をしている映像だった。  白髪混じりの大の大人が、三人並んで同時に頭を下げると、パシャパシャとフラッシュライトが連射された。  恰好の悪い大人を見せられて、仁之助は気持ちが萎える。  大体夕方のニュースは、こんながっかりとするものばかりで埋め尽くされている。  会社ぐるみの隠ぺい、芸能人の脱税、パワハラに耐えかねて自殺――。 「……」  無言をそれを眺め、一気に食欲も減退していく。  大人たちの作り出しているこの社会に、あと数年したら自分も参加するのだ。  これだ。  これが仁之助の性格を萎めさせた要因の一つに過ぎない。  どうあがいても、いつかはこの中に自分も埋もれていくしかないと考えると、何をしても光り輝く宝石を見付けるような気持ちにならなかった。  夢も希望もないと見せつけるニュース報道に、仁之助は気怠く箸を取り、薄味の麻婆豆腐を口に運ぶ。  母親が辛いものが嫌いなので、中馬家の麻婆豆腐は味気ない。ハッキリ言うと、あまり好きではないのだ。  辛党なほうである仁之助からすると、歯ごたえのない豆腐を潰し、すっぱい味を舌に纏わりつかせるだけのものでしかなくて、色々と気落ちしてしまった。  尤も、それをいちいち母親に文句として言ったりはしない。  料理を作ってくれているわけだし、味の好みはどうしようもないだろう。  もくもくと食べて、夕食を終えるだけだ。  なぜ、世の中はこんなにも淀んでいるのか。  大人たちが必死になって、社会で働いているのは、通学途中に、通勤電車に鉢合わせる仁之助も分かっている。  誰も彼も、疲れ切った顔をしていて、奴隷のように見えていた。  そんなにして頑張って働いているのに、幸せな生活を手にできず、悪事に手を染めて私腹を肥やす大人が、剥げた頭を下げるのだ。  コンビニでバイトをして思い知ったのは、この世の中は働いても幸せを獲得することはできないのだという、現実であった。  お金があっても、どんどん物を求めて、人は強欲になる。  世の中は便利になっているように見えて、その発展のために、どれだけのストレスを土台にしたことだろう。  あんな風にはなりたくないな。  そんなことを想うのは、思春期の通過儀礼なのだろうか。  きっと誰もがそう思いながらも、抗いきれずに、奴隷に落ちていくのだろう。  この国は本当に豊かなのか、仁之助には分からなかった。  大瀬良悠癒が、錆びた漁船を描きたくなった気持ちが、少し分かるような気もした。
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