招き猫

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                (二) 「早くない?」 「そっちこそ」  待ち合わせより、三十分早く駅についた仁之助は、すでに悠癒が駅にいたことに驚いていた。  そしてこの最初のやり取りだ。  悠癒は涼しげな服装をしていて、真っ白なシャツは袖がなく肩が出ている。ふわっとした緩めのスカートっぽいボトムは、青と白のギンガムチェックのズボンだった。  パステルピンクのショルダーバッグを、たすき掛けにかけていて、バッグの紐が胸の谷間の間を通っている。彼女の膨らみを強調しているように見えた。  制服姿ではないクラスメートの姿は、やはり新鮮な印象をもってしまう。  過去に二度、彼女の私服姿を見ているというのに、仁之助はその姿にひとつ心臓を高鳴らせた。  対して、仁之助の服装は柄モノのTシャツと、バイトでも履いていた動きやすいライトジーンズ。それにスニーカーだ。  ごく普通の姿でやってきたことを少し後悔した。  自転車で来た仁之助は、駐輪所に自転車を停める。 「あれ? 停めちゃうの?」 「色々歩き回るんだろ」 「二人乗りで移動すればいいじゃん?」  悠癒は小首をかしげていた。 「自転車の二人乗りは禁止されてるって知らないのか?」 「つまんないね。夏の日、自転車の二人乗りなんて、『青春』って感じなのに」 「世の中は青春を禁じてるんだよ。高校の屋上だって、ドラマみたいに使えないだろ?」  なんて会話をしているんだろうと思いつつも、話が意外にすらすらと小気味よく続いたのが緊張をほぐした。 「で……、どこに行きたいの」 「とりあえず、中馬くんのバイト先にいきたい。飲み物買いたいし」 「元、バイト先だけどね」  駅からバイト先だったコンビニまではそんなに遠くない。歩いて十分ほどだ。  仁之助と悠癒は連れ立って、歩き始めた。  まさか女子と二人きりでこんなことをするだなんて思いもよらなかった。  ハッキリ言うと、意識はしてしまう。男女間に友情が芽生えるか否か、みたいな議論をしているのを見たことがあったが、仁之助の価値観から言うと、男と女の間に友情はないと思っている。  なにせ、男と女は別の生き物だと思うほど、まるで違うと考えていたからだ。  やがて見慣れたコンビニが道路の先に見えてくる。  この時間だと、東條が入っているかもしれない。バイトの時は色々と世話になったが、二学期が始まってからは完全に疎遠になっていた。  当たり前と言えば当たり前だが。  熱い日差しから逃げ込むように、コンビニに入ると、冷房が汗を冷やしてくれた。 「いらっしゃいませー……。あ、中馬くんじゃないの」 「あ、チッス」  案の定、東條がレジに立っていた。仁之助が入るなり、直ぐに気が付いたようで声をかけて来てくれた。  軽く会釈する。 「中馬くん、私お茶買ってくるから」  そう言うと、後ろから続いて入って来た悠癒が店の奥のドリンクコーナーに向かっていった。  それを目ざとく見ていた東條は、にやりと笑っていた。  おばさん特有の、いやらしい笑い方だった。 「なに、彼女ォ?」 「ちげえッスよ」 「フーン?」  東條はまるで納得してない顔をしていて、にやにやと店の奥でドリンクを選んでいる悠癒に視線を向けた。 「……そうだ。前に東條さんに、猫の話しましたよね?」 「え……、ネコ?」 「店の裏の、チャリ停めるとこで、猫がいたって話したじゃないッスか」 「……そんなこともあったっけ?」  東條はおぼろげな返事をする。  もしかすると、例の猫がまたここで誰かに目撃されていないかと考えたのだが、東條では当てにならないかもしれない。 「なかなかかわいい子だね」 「……だから、そういうのじゃないッスからね」  変に詮索されても困ると、恥ずかしくなってきて、仁之助は先に店の外で待っていようかと思った。  そんな仁之助に、とん、と肩を叩いて、悠癒が気さくに「おまたせ」と声をかける。  東條のレジに、冷えた緑茶のペットボトルを持って行くと、会計をして改めて仁之助に笑顔を向けた。 「いこ?」 「うん」  結局、東條の視線は店を出るまでの間、ずっと背中に突き刺さっていた。  その視線が隅に置けない奴め、と訴えかけているのがジンジン伝わってくる。 「オレ、猫をこのコンビニの裏で見かけたことあるんだけど」 「え、どこ?」  店を出ると、裏側に回り、日陰になっている狭い自転車置き場に移動する。  以前はここに黒猫が居たのだが、残念ながら今は見付けられなかった。 「いないね」 「オレも、見かけたのは一度だけだしね」 「じゃあ、ちょっとこの辺りをブラブラしようよ。私、海もみたいし」 「いいけど、なんにもない町だぞ」  特別楽しめるような場所なんてない普通の田舎町だ。寂れた漁港は、仁之助には見慣れたものだし、悠癒だって、一度ここの風景画を描いているのだから、そんなに関心もないのではないかと考えた。  女子と二人で歩き回るような、ムードのある場所ではない。  しかしながら、見慣れた景色の中に、悠癒がいるというのが、なぜか気持ちをもりあげるみたいに感じた。 「実はね、私もここで前に猫を見てるんだ。海の、消波ブロックのところで」 「へえ」 「その時の猫にもう一度会いたいんだよねー」 「野良猫だよな?」 「多分……。首輪がなかったし」  だとしたら、もしかすると、保健所なんかに確保されている可能性もある。  しかし、ここは漁業の町だ。この辺りは漁船があるし、野良猫はそのおこぼれを狙っているものもいる。  この町の猫は、結構馴染んでいるところがあるから、普通にどこかで隠れて寝床を作っているかもしれない。  そんなに猫のことなんて気にしていなかったから、自分の町のことではあるものの、仁之助はまるで猫のことに関して行く先が掴めなかった。  夏の照り付ける陽ざしの中、二人は町を海に向かって歩いていく。  隣に並ぶ悠癒が先ほどかったペットボトル開け、飲み口に唇をつけた。  細い喉が、ごくんと嚥下するのを、つい見てしまって、仁之助は慌てて視線をよそに向けた。 「中馬くんもいる?」  悠癒は右手に持っていたペットボトルを、口が空いたままに差し出して来た。  思わず、その飲み口に目が移る。 「いや、平気」  眩しい太陽に目がくらんだように芝居をして、仁之助は顔を地面に向けた。  悠癒はペットボトルのキャップを閉めると、ショルダーバッグにそれを入れた。 「なんでその猫に拘ってんの?」  何か話題を繰り出して沈黙を消さないと、変な想像をしてしまいそうだったので、苦し紛れみたいに、そんな質問をした。 「ちょっとねー。確認したいことがあって」 「確認?」  イラストのための参考資料としてだろうか?  だが、その時の悠癒はどこか含みを持ったような印象があった。真意を明かせないという様子だ。  漁港までやってきたが、猫の姿はない。普段の磯臭い海と、防波堤と消波ブロックだらけの味気ない景色だ。 「いないな」 「……」  ふと、その光景に仁之助は、昨日みた『ゆゆゆ』のイラストを思い出した。  この風景の脇に、ぽつんと佇むアイスキャンディを咥えた少女が描かれていた。  そんな少女はここにはいないが、その代わりに緑茶のペットボトルに口を付ける悠癒がいる。  イラストのことを話題に出していいのか分からず、結局仁之助は黙っていた。 「他に猫がいそうなところ、ある?」 「え? そうだなあ、ちっさい公園がある。っていうか、空き地だけど」  昔は公園で、ジャングルジムやブランコがあったらしいが、今は撤去され、ただの空き地だ。  公園だった名残なのか、木製の汚れたベンチだけは置いてある。  猫がいるなら、そういう場所かと思った。 「行ってみたい」 「分かった」  今日もかなり暑いし、不快指数も高い。普通なら、大人しく家に籠ってゲームでもしているのがいいような気もする。  だが、悠癒は妙に張り切っているというか、真剣な様子だった。  何が彼女をそこまでさせているのか、分からない。  だが、仁之助は、悠癒の力になれるものなら、夏の憂鬱くらいは吹き飛ばせるように思っていた。  汗を垂らしながら、仁之助たちは海沿いから離れ、住宅地の中にある、空き地へと赴いていった。 「うわ、草ボーボー」  その空き地は、手入れされてないのか、入り口付近は踏み込めるものの、奥の方などは腰のあたりまである夏草が、行く手を阻む様に邪魔していた。  なんだか虫なんかがいそうで入り込みたくない。  小さな空き地なので、入り口からざっと周囲を見渡すことができるし、猫の気配はないように思った。  悠癒はそんな空き地に少し踏み入っていき、草の海の奥を覗こうとしていた。  彼女は今日、サンダルを履いているようだ。  あんな靴では、奥まで入れないだろう。  結局、草の防壁に邪魔をされないところまででその足は止まる。  足元は緑でいっぱいだった。クローバーがビッシリと生えている。 「あっちぃ」  ボロボロのベンチに腰を下ろし、仁之助は額の汗を拭った。  こんな小さな田舎町でも野良猫を見付けられないものなのかと、少しくたびれた。  彼女はスマホを取り出すと、カメラを起動し、草の生い茂る空き地を撮影した。  なんでもない手入れされてない公園の風景など、写真に収めたいなんて思わない仁之助だが、彼女は何度も角度を変えて、その夏草の風景をデジタル画像として取り込んでいく。  そして、不意にベンチに腰掛ける仁之助のほうに、スマホを向け、パシャリと言わせた。 「あ、おい」  汗をかいて参っている自分を撮られたと分かって、仁之助は立ち上がった。 「あはは、凄くイイ感じだったよ?」 「どこかだよ、かっこ悪いところ、撮るんじゃねえって」 「そこがいいんだよ」  悠癒ははにかんでいた。  愛らしい顔だと思った。 「私、綺麗に整えられたものや着飾ったものより、どこかくたびれているようなのが好きなの」 「なんだそれ、ジジババが好きみたいなこと?」 「ああ、そうだね。味があるよね、お年寄りの人たちって。好きかも」  どうやら悠癒は枯れ専らしい。だとしたら、仁之助は範囲外だろうか。そんなことが不意に過った。  そう言えば、『ゆゆゆ』のイラストも、女の子は若々しくフレッシュに描かれているが、風景の方は、どこか詫び錆びを感じさせるものがあった気がする。 「イラスト、見たんだけど」 「あっ、そうなんだ……? どうだった?」 「上手過ぎじゃない?」 「よく言われる~」 「『そんなことないよ』って謙遜しろよ」 「実力がある人が謙遜すると、逆に嫌味になるって知ってた?」 「お前、すげえわ。……色々と」  随分、自分のイラストのことに自信があるようだ。  事実、彼女のイラストは十分プロとしてやっていけるようなレベルだし、悠癒の言葉通り、あの実力で「そんなことないよ」は逆に嫌味になるかもしれない。  もしかすると、彼女は部活で似たようなことで、気を揉んでいるのかもしれないなんて、邪推した。 「お前のイラスト、風景がメインだよな? 女の子も描いてるけど」 「うん、風景だけだと、なかなか見てもらえないんだ。だから、女の子を描くようにしてるけど、見てほしいのは風景の方」 「おんぼろの漁船とか?」 「そういうこと」  悪戯な笑顔をする彼女は小悪魔という印象だった。 「今度はそのボロボロの椅子、書きたい」 「あ、オレじゃなくて椅子のほうか」 「描いてほしい?」 「いいよ、別に。お前が好きなもん描けばいいだろ」  随分、悠癒と打ち解けてきたように思った。  今日一日、何でもない猫探しをしているだけなのだが、少しだけ二人の間の距離が近くなったのかもしれないと、仁之助は苦笑した。  ふと、小さな子供が、公園の入り口からこちらを見ているのに気が付いた。  もしかして、遊びに来たのだろうか。遊具もなにもないこの元公園に。 「私たちがいるから、入りにくくなったのかな?」 「かもな」  小さな子供の頃は、高校生が大人に見えたものだ。  大人が公園で話していると、子供は入りにくくなってしまうのかもしれない。  悠癒が、そっとその子に近づいて行って、屈んだ。 「どうしたの?」 「えっと……、四葉のクローバー、探しに来たんだけど……」 「そうなんだ、ごめんね。私たちもう行くから、ゆっくり探していいよ」  にっこりと悠癒は笑顔を見せた。  そして立ち上がると、仁之助に「いこー」と声を投げかけた。  仁之助は立ち上がり、入口の方に向かっていく。  小さな子供は、小学校低学年だろうか。着ているシャツが汗びっしょりに濡れていた。  ここに来る前にも、どこか違う所で四葉のクローバーを探していたのかもしれない。  最近は熱中症なんかで倒れる話も良く聞く。少し、この子が心配になった。  仁之助と悠癒は、空き地から出て、場所を譲ると、子供は地面に生えているクローバーを一つ一つ探し始めた。 「見つかるのかね? あの子、もう汗びっしょりだけど」 「大丈夫……すぐに見つかるよ」 「え……」  悠癒の言葉に、仁之助は思わず目を見開いた。  なんと、彼女は、あの『祈り』のポーズをしていた。  瞼を下ろし、何かに願いを乞うように両手を組んだ。 「あった!」  あっという間だった。しゃがみこんでいる子供が、すっくと立ちあがり、その手に、小さな四葉のクローバーを握っていた。  息をのんだ。  仁之助は、いよいよ彼女から目が離せなかった。 「ね? あったでしょ」  そう言って、悠癒は驚愕の表情の仁之助へと、ウィンクをした――。
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