招き猫

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                (三) 「わあ、綺麗じゃないの」  開口一番、悠癒は仁之助の部屋をそう評価した。  当然だ。昨日の夜から大掃除したのだから。見られて困るようなものは全部処分したし、できる限りものを片付けた。  とは言え、本当に彼女がウチにやってくるなんて思わなかった。  仁之助は普段自分が過ごしているプライベート空間に、女の子がいることをまだ信じられない。  だが、それ以上に信じがたいものを目撃した。  その確認のために、彼女を部屋に通したのだ。  あの空き地で四葉のクローバーを子供があっという間に見付けたあと、仁之助はいよいよ我慢できずに悠癒に問い詰めた。 「お前……ラッキーガール?」 「なにそれ」  ぷっと噴き出した悠癒だったが、仁之助は至極真面目に彼女に問い詰めた。  そして、過去に三度、悠癒の奇跡を目撃してることを告白した。  これは、四度めだ。仏の顔もなんとやら、である。もう、見て見ぬふりはできなかった。 「コンビニのクジ、祭りのビンゴゲーム、教室の席替え。全部見てた」 「……見てたの……? 私のこと……、エッチじゃん」 「ふざけんなって。マジでなんなんだよ。そのお祈りのポーズ」  神妙な顔をしてみせた。ふざけているのではないと伝えるためだ。  とんでもない秘密に触れてしまった、期待と不安が、仁之助を緊張させていた。  だが、悠癒のほうはケロっとした顔をして、瞬きをする。 「ねえ、暑いし中馬くんの家に行かない?」 「は?」 「ねっちゅうしょう」  悪戯な目を向ける悠癒は、まだどこかふざけている様子だった。 「熱中症になっちゃうでしょ?」 「……話を聞かせてくれるなら、いいぞ」 「いいよ。教えてあげる」  そんなやり取りがあって、今に至る。  自室に悠癒を招き入れると、彼女は部屋の中を見まわして、面白そうな顔をしていた。 「適当に座って」 「うん」  悠癒はベッドに腰を下ろす。仁之助は、冷えた麦茶を入れたコップをテーブルに置く。  そして自身は床に胡坐をかいて座った。  仁之助が、下から悠癒を見上げるような状態になった。  クーラーを付けて部屋を冷やすが、まだ少し暑い。 「じゃあ、どこから話したらいいかな?」 「その……幸運の女神みたいな奴は、マジなの?」 「幸運の女神! そんな呼び方されるとは思わなかった」 「だって……そうなんだろ? お前が祈ると、ラッキーになる。違うか?」  自分のことなのに、驚いたような反応をする悠癒に、逆に仁之助が呆れ気味に話を促していく。  実際、彼女の力のことをどう表現するかと悩むなら、『幸運の女神』、若しくは『運命の女神』と呼ぶ他に思いつかない。  悠癒は、冷えた麦茶のコップを取り、カランと氷を鳴らす。  そして、一口飲むと、コップをまたテーブルに戻す。  彼女自身、まだ話すべきなのか悩んでいるのかもしれない。 「多分、そう。中馬くんの言う通りだと思う」 「だと思うって……お前の話だろ」 「うん。でも、私がこうなったのは、つい最近のことなの。自分でもやっとこの力のことを信じられるようになったんだから」 「最近って……いつから?」 「夏休みに入ってから、かなあ」  意外な話に、仁之助も茫然としていた。  てっきり生まれながらにそういう特異性を持っていたのだと思い込んでいたが、彼女自身、自分の力に最近気が付いたようだ。  それが、夏休みになってからというのも、あまりに直近過ぎて、すぐに言葉が出てこなかった。 「何がきっかけで、それに気が付いたんだ? その、お祈りに……」 「最初は、ね。友達のチケット抽選の時だった。ほら、今流行りのグループ。ライブするの」  そういうと、悠癒は自分のスマホを弄って、そのバンドのライブの情報を画面に表示させた。  それは、仁之助も好きなバンドで、いつも聞いていた。  大ブレイクして、初めてのライブをする彼らは、ライブ会場を小さめの箱にしたため、チケットの抽選がかなりの倍率になった。  かくいう仁之助も、試しに応募だけはしたが、見事に外れていた。 「当たるように祈っててって言われたから、私も冗談のつもりで祈ったんだけど……」 「当たったのか」 「うん。それはマグレだったのかなと思って、気にしなかったけど、それから……弟が居るんだけど、ガチャを回すって言ってて、その当たりのキャラの絵師さんが、私の好きなイラストレーターさんだったから、祈ったんだ」 「まさかそれも……?」 「うん、一回で。十連? とか言うのじゃなくて、単発ガチャで当てたんだ」  スマホのガチャの確率なら、仁之助だって身をもって分かっている。0.02%とか低い数値で、滅多に当たらないのだ。  一度に十回引くガチャでも出てこないのに、単発一回で見事当てるなんて、運がいい話だ。 「それで私もまさか、って思い出して、一度自分で祈りながら、当たり付きのアイスを買ったんだ。でも、それは外れたの」 「外れた?」 「うん、だからやっぱりマグレが続いただけだったんだって、思ったんだけど……。あの日、コンビニで七百円のくじのA賞がほしくって……」  あの日、仁之助がバイトで入ったあの日だ。  そこからは、仁之助も結果を知っている。  悠癒の前にくじを引いた子供がA賞を当てて、悠癒自身は外していたのだ。 「私……、その時、なんとなく分かったの。この『祈り』は、自分には効果がないんだって。私の『祈り』は他人の運勢をよくするものなんだって」  まさかあれが悠癒にとっての三回目だったとは思わなかった。 「そして、その後は夏祭り。親戚の女の子を預かってて、一緒に行ったの。丁度あの子のお母さんが今、妊娠してて、子供の面倒を見れないからって、ウチで預かることになってね」  あの時のことを思い出す。  なるほど、そう言えば、あの女の子に『お母さんが見てる』とか話していたように思う。 「あの日、その子の誕生日だったんだけど、お母さんと離れてて、凄く落ち込んでたの。だから、私、あの子を祭りに連れて行ってビンゴに誘って……」 「誕生日プレゼントの『スイッチ』を当てた」 「うん、本当に見てたんだね。もしかして、中馬くんもスイッチ狙ってた?」 「いいや、オレは別に……バイト代で買うつもりだったし」  当てたがっていたのは圭佑だが、それはいちいち言うこともないだろう。  そして、席替えのくじ、今日の四葉、それで完全に確信したのだ。  悠癒も、仁之助も、その能力のことを。 「で、でも、なんでお前にそんな力があるんだ? 最初のライブの抽選って、八月頭くらいだったよな?」 「うん」 「そのあたりで、何か変わったことでもあったのか?」  ある日突然特殊能力に目覚めるような漫画やアニメを色々と見てきたが、実際にそうなった人物は初めて出会う。  こういうことには、何かしらきっかけのようなものがある。  その秘密さえ分かれば、世紀の大発見になると思った。  これまで流されるままに生きてきた仁之助は、生まれて初めてと言っても過言ではないほど、興奮していた。 「……これと言って思いつかないけど、強いて言うならひとつだけ」  悠癒はそこで喉が渇いたか、またテーブルからコップを手に取り、氷を鳴らす。  そして、麦茶を飲み干すと、コップをテーブルに戻した。 「黒猫を助けたのよ」 「黒猫? もしかして、お前が今日猫を探しているのは、このことに起因してるのか?」 「うん、私七月の終わりごろ、一度ここに来てるの。イラストの題材を探すために」 「海の?」 「そう。あの海。テトラポットのところ」  テトラポット……、消波ブロックのことだ。  普段よく通る仁之助にとって、あそこはなんでもない場所でしかない。 「あのテトラポットのところに満潮だったのか、波が打ち付けててね」  滿汐の時は、大体一日に二度起こる。丁度そのタイミングだったのだろう。  大潮になると、あの消波ブロックのところまで波が来るのだ。 「丁度その時に、テトラポットの上に猫がいたの。波に襲われてびしょ濡れになってた」 「……マジかよ」 「うん。私、その時無我夢中で、防波堤を乗り越えて、テトラポットのところを走って、猫を抱きかかえた」  結構危なっかしいことをしていると思った。  基本的に消波ブロックの傍には近づくなと言われている。波があろうとなかろうと、そこは危険で足を滑らせやすいためだ。  仁之助は小さなころからそう教わって過ごして来たので、基本的にはそんなところに入ろうとはしない。  猫が波に当たっていて動けなくなっていたとしても、なかなかできる行動ではない。 「それから、猫の身体を拭いてあげてたんだけど、その子腕から擦り抜けて逃げちゃったんだ」  悠癒の話に、仁之助は頷いて返事をした。 「何かあったとしたら、それくらい」 「……猫を助けたことによる、恩返しの効果ってこと?」 「それだったら、素直に私がラッキーになる効果がほしかったなー」  苦笑いを浮かべて、そんなことを言う彼女に、仁之助もそのとおりだと考え直した。 「中馬くんのコンビニに行った時も、あの黒猫に会えないかなって思って来てたんだよね。今日もだけど。そしたら、この奇妙な『幸運の女神』のことも分かるかなって思ってたけど」 「結局見つかってないなぁ」 「うん。見付けたからってどうにかなるとは思ってないけど、私自身、この力を半信半疑だったしね」  自分のことなのに、他人事みたいに言うので、仁之助のほうが困ったような顔になった。 「でも、すげえな……。願ったら、どんなラッキーも叶うんだろ?」 「分かんない。まだそんなに試してないし」 「ちょっと試してみない?」 「えー? どうするの?」 「自分自身には効果がないんだろ? だったら、オレの幸運ならいけるんじゃない?」 「中馬くんの女神になれってこと?」 「その言い方だと、なんか違う意味に聞こえるだろ……」  悠癒はどこかこの状況を面白そうにしていた。  特殊な状況に立たされた彼女だが、それに伴って何か大きな問題が出ている様子もないので、彼女も好奇心のほうが勝っているのかもしれない。  仁之助はスマホを用意し、ツイッターを立ち上げると、こんな書き込みをしてみた。 『黒猫を探しています。新生(あらお)町近辺にて、見かけた方の連絡をお待ちしてます』  例の黒猫を見かけていないかを、ネットを通じて世界中に発信したわけだ。  普通ならこんな書き込みはスルーされることだろう。だが、もし運が良ければ、これに対して何らかの反応があり、黒猫探しのヒントが獲得できるのではないかと考えた。 「このツイートが反応もらえたら、『ラッキー』だろ?」 「そっか。そんな手があったんだ。盲点だなー」 「祈ってみてよ」 「やってみる」  悠癒は手を組み、瞼を下ろして、祈りを捧げる。  その相手は、他でもない仁之助だ。  仁之助は自分の眼のまえの少女を、じっと見つめていた。  今、悠癒は瞼を下ろしている。正面から、じっと見ても、気が付かない。  だから、まじまじと彼女を見ていた。  見たい、と思っていた。 「……あ、来た!?」  祈りを受けるなり、ツイートに反応があった。  それはリツイートだった。してくれたのは、喜代隆だった。 「あ、RTか」  それも友人のリツイートだ。ごく普通の反応と言える。そこに幸運は感じなかった。 「ダメかー」  がくりと肩を落とした仁之助。いい案だと思ったのだ。 「……ふふっ」 「何?」  悠癒が笑っていた。嬉しそうな顔をしていたので、仁之助は眉をひそめた。 「ううん、中馬くんに話して正解だったなって思って」 「え、なんで? 失敗してるんだぜ」  対して力になれなかったことを情けなく思っている仁之助に、悠癒は首を横に振った。 「そうじゃなくて。普通、私が祈ったらラッキーになれるって知ったら、もっとはっきりした物欲に行くと思ったんだ」 「ど、どういうこと?」 「例えば、宝くじを当てるとか」  確かに悠癒に頼めばラッキーになれるのだから、それで宝くじを買えば、ひょっとすると億万長者になれるかもしれない。  普通なら、そういう発想になるだろうと言った悠癒に、仁之助は赤くなった。 「中馬くん、自分のことじゃなくて、私のために動いてくれた」 「そ、そりゃ、今日一日暑い中歩き回されたから、うんざりしたんだよ」  恥ずかしさが前に出て、そんな言葉を吐き出す仁之助は、ツイッターを見ているのも照れ臭くなったので、スマホを閉じた。 「私さ、ちょっと怖いんだ。ほんとにそんな力があるんなら、人の運命を大きく変えちゃうかもしれないでしょ」 「……」 「だから、中馬くん。この私の力のことは誰にも言わないでほしいんだ」 「言わないよ」  確かに、その力で大きな幸運を引き寄せたりしたら、人生が大きく変わるだろう。  それを、自分の力で操作できると分かったら、怖くなる気持ちは分からなくもない。  仁之助は、約束した。このことは他言無用だという彼女の願いを、承知する。 「良かった。二人きりの秘密だね」 「……いちいち恥ずかしいことを言葉にするなよ」 「あはは、照れてるの、可愛いねえ」  嬉しそうに笑う悠癒に茶化されて、仁之助は赤くなりながらも、内心まんざらではない。  そう、これは二人だけの秘密。  とんでもない、運命を変えてしまう秘密になる。  青春の欠片が、一つの塊になっていくのを、仁之助は実感していた。
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