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四葉のクローバー
(一)
週末、仁之助と悠癒は映画館にやってきていた。
無論、友人である喜代隆の告白の様子を確認するためなのだが、合流した時の悠癒の姿に仁之助は唖然とした。
悠癒は服装に関してはブラウスにロングスカートという出で立ちではあったが、どういうわけか、サングラスをかけていた。
「……それは変装のつもりか」
「えっ、だって基本でしょ。サングラス」
余計に目立つ気もするが、悠癒は一応髪型も変えていて、後ろで一つに縛っていた。
仁之助からすると、そこまで本気になって尾行する気もなかったので、ごく普通のスタイルだ。一応、帽子を用意して深くかぶるくらいはしているが、悠癒ほど露骨ではない。
今日も太陽光線は強烈なので、サングラス自体はそこまで奇妙に見えないのが唯一の救いか。
「ところで、ちゃんと情報の方は間違いない?」
「ああ、キーヨが今日見る映画は、『コントレイル』、十時五十五分開始の回」
「席はどこかわかる?」
「そこまでは……」
それとなく、喜代隆にデートのプランを聞くふりをして映画の内容を確認はしたが、何処に座るかまでは分からなかった。
最後列に座れば、客席を一望できるから、どこにいるのかは探しやすいかもしれないという話になり、仁之助たちは一番後ろの席を二つ並びで取った。
ちなみに、この『コントレイル』という映画は、高校生カップルの恋愛ストーリーらしい。原作は小説だということだが、仁之助は小説なんて生まれてこの方一度も読んだことがない。
映画館のカウンターでチケットを買うと、今度は売店コーナーに向かった。
ポップコーンやホットドッグ、ドリンクを販売している。
「私、コーラにする。中馬くんは?」
「……同じ奴で」
「ポップコーン買おっか?」
「え、食うの?」
「中馬くん、映画館でポップコーン食べない人?」
「食べるけども……」
しかし、それは友人同士で見に行ったアクション映画の時の話だ。
女子と二人で、恋愛映画を見る時に、そういうのをバクバク食べながら見るのは、アリかナシかが、仁之助には分からない。
「塩と、バターと、キャラメルがあるよ。私、塩派」
どうやら、悠癒はそんなに細かく考えていないのか、当たり前みたいにポップコーンを買うような流れになった。
「じゃあ、オレはバターにするか」
「えっ、二つも食べられない」
「は?」
「一個買って分け合おうよ」
「……じゃあ、塩で」
こういうところが初体験で、いちいち仁之助はドキドキしてしまう。
男同士で行くと、ポップコーンは一人一つずつ食べきってしまう。
でも、女子は違うのか、ポップコーンを一つ買ってシェアするようだ。
異文化交流をしている気分になってきて、結局仁之助は、悠癒に味を合わせることにした。
そういうわけで、売店でコーラ二つと、ポップコーンを受け取り、館内の上映ホールに入っていく。
まだ映画が始まっていないものの、薄暗い明かりでぼんやりと照らされているホールは、階段もあって気を付けないと転びそうだ。
「おい、サングラス、いい加減外していいんじゃないか?」
中に入ってもサングラス姿だったので、仁之助は悠癒に突っ込んでおいた。
「うっかり忘れてた」
そう言うと、恥ずかしそうにサングラスを取る悠癒。
いちいち可愛い仕草を取るので、仁之助は心音が大きくなっていた。
デートをしていると、意識してしまうのだ。
意識するも何も、デートなのだから、仕方ないのではあるが。
喜代隆の気持ちが分かった気がした。こんな気持ちを抱えて、告白をするのは確かに勇気がいるだろう。
もし、……もし、悠癒にこのあと告白するとしたら……。
悠癒はなんと答えるのだろう?
駄目だと言われたら、血液が凍り付いて死んでしまうかもしれない。
今、こんなにも楽しくて幸せを感じているのに、告白することでそれが終わってしまうかもしれないと考えると、行動に出ることの恐怖が大きく膨らむ。
一番後ろの席に座ると、また緊張した。
すぐ隣に悠癒がいるのが仁之助の体温を上げていた。
(いつも学校で隣の席じゃねえか……、なに上がってんだオレは)
自分にそんな言い訳をするが、教室で隣同士でいる時とは距離感が違う。
そっと手を伸ばせば簡単に触れることのできる距離で、気のせいかいい匂いがしているかもしれない。
二人の座る席の間に、ポップコーンを置いて、共に食べられるようにしたが、それが余計に互いのプライベートゾーンが曖昧になっていることを証明しているようでもある。
「ねえ、居る? 田崎くん」
「え、あ……、うーん?」
まだ上映が始まっていないから、席はまばらだ。恋愛モノなので、カップルか女性同士の客が目につく。
相対的に男子が少ないため、探せば見付けやすいのは確かだ。
「あ……、居たぞ……、あれだ」
右側前方。席で言うと、中央右付近に喜代隆が座っていた。
その隣には、見知らぬ女性だ。どちらも後ろ頭しか見えないが、喜代隆であることは間違いない。
あの子が喜代隆の意中の相手である『ミナ』だろう。後ろ頭しか見えないものの、なかなか綺麗な女の子ではないだろうか。
促されて、悠癒もその席に座る二人を見つめていた。
喜代隆は緊張している様子が伝わっていたが、隣の女性もどこかぎこちない感じがしていた。
「ぎくしゃくしてるかんじ、するね」
「みたい……だな」
二人はこれが初めてのデートらしいが、初デートで告白はアリなんだろうか?
二人の様子を見ていると、なぜかこちらがハラハラしてくるので、仁之助は気が落ち着かなくなる。
どうにも、喜代隆に自分を重ねてしまって、彼が失敗したら、自分も失敗するような気持ちになっていた。
「でも……お互いにぎくしゃくしてるってことは、意識しあってるってことだよね?」
「……確かに」
と言うことは、相手も喜代隆に対してそれなりに気持ちが大きくなっているということなのだろう。
友人どまりの気持ちなら、相手に対して固まるようなことはない。
そこまで考えて、今度は自分に対する悠癒の態度に当てはめてしまう。
悠癒は、今日のこの時をどう思っているんだろう。
仁之助は結構、悠癒のことを意識していると思っている。さっきのポップコーンのこともだし、この席の距離感もドギマギしている。
なるべく表には出さないように気を付けているが、自分にポーカーフェイスができるのかは甚だ疑問だ。
悠癒は、普段通りな気がしている。
学校で見かける彼女と、雰囲気は変わっていないように感じた。
だとしたら、やはり自分のことを、男として意識していないからだろうか。
友達止まり……そう思われているのだとしたら、告白なんてしないほうがいいだろう。
(するつもりは、ないけどさ)
今日は喜代隆の告白の日なのであって、仁之助が告白する日ではないのだ。
変に雰囲気に当てられて、暴走してしまったら取り返しがつかないことになる。
「じゃあ、私祈ってみる」
「あ、ああ」
彼女がそうしたいなら、別に止める理由はない。仁之助だって、友人の喜代隆の恋が成就するのなら、それは喜ばしいことだと思っている。
悠癒は手を組み、胸の前で合わせると、俯き瞼を下ろした。
仁之助はその祈りの姿をとる悠癒のことを見つめていた。
瞼を下ろしているから、じっと見ていても許されるような気がしたのだ。
祈る悠癒の姿は、綺麗だと思った。
こんな瞬間でないと、じっと彼女を見れないのが少し歯痒い。
もし、彼女と正式に恋仲になれば、堂々と彼女の目を見つめられるのだろうか。
そんなことを思いながら、悠癒の横顔を、静かに見ていた。
「……あ、始まる」
劇場のなかで明かりが完全に落ち、スクリーンに他の映画のコマーシャルが流れ始めた。
悠癒も祈りを解くと、顔を上げてスクリーンの映像を眺め始めた。
「……」
上映が始まれば、会話は禁止だ。
あとは、素直に映画を楽しもう。恋愛映画なんて見たことがないが、楽しめるだろうか。
仁之助はそっとポップコーンに手を伸ばし、口に運ぶ。
塩味がしっかりとして、喉が渇きそうだ。
コーラのストローも啜り、完全に映画を楽しむ姿勢になった。
『コントレイル』という本編が上映される。
話題の女優と、イケメンの俳優が演じる高校生の青春ラブストーリーは、見ていて恥ずかしくなった。
場面場面でポップコーンに手を伸ばし、食べることで恥じらいを誤魔化してしまう自分は、女子からするとマイナスの印象を与えるかもしれない。
映像の中のカップルが、切ないすれ違いをしている中で、仁之助は無造作にポップコーンに手を出した。
その時、悠癒の手と振れた。
あちらも、ポップコーンを取ろうとしたのだろう。
「……っ」
ごめん、というのも憚られた。それは映画の上映中だからなのか、手が触れたくらいで、「ゴメン」と謝るのがなんだかこそばゆかったのか分からない。
ともかく、仁之助はすぐさま手を引いた。
柔らかく、細い手だと思った。僅か一瞬しか触れなかったのに、妙に彼女の手の感触が伝わった。
ふと、隣の悠癒の顔を見た。
悠癒も、少し照れているのか、恥ずかしそうな笑顔を見せた。
(やべえ)
その笑顔が堪らなく愛おしく感じた。手を繋ぎたいと思ってしまった。
ポップコーンに延びる手が、また触れないだろうかと変な期待をしてしまう。
やがて、スクリーンの中でも主人公たちが指を絡ませ手を繋ぐ。
思わず、コーラを飲み干していた。
その時だ。待ち望んでいた悠癒の手が、仁之助の手に触れた。
つんつん、とつつくように。
「……?」
「みて……」
声を殺して、悠癒は喜代隆たちの席を指さした。
すると、どうだ。二人のシルエットが重なっていた。喜代隆は相手の少女と肩を寄せ合っていたのだ。
映画の雰囲気に感化されたのか。はたまた、悠癒の祈りが通じたのか。
さっきまでぎくしゃくしていた二人は、気が付くと、すっかり恋人のようになっていた。
「……これで映画に集中できるね」
そっと耳元で囁くように言う悠癒に、仁之助は硬い表情で頷いた。
過去最大級に彼女との距離が近かった。体温が上昇して、ポップコーンを引っ掴む。
それから、悠癒との接触はなかったものの、仁之助は気が気でなく、映画の内容はほとんど頭に入らなかった。
やがて明かりがついたころ、喜代隆たちは手を繋いで出ていくのが見えた。
二人も恥ずかしそうに初々しく笑顔を交わし合っている。
上手くいったということだろう。
なかなかお似合いではないかと、仁之助は友人に心の中で拍手を送っていた。
「良かったね」
「ああ」
「これからどうする?」
悠癒が仁之助を見つめていた。
自分の顔が赤くなっていないことを祈りながら、仁之助は言った。
「ランチでもいくか」
「うん!」
明るく頷いた悠癒の顔を、その時仁之助はやっと真正面から見た気がした。
眩く煌めく宝石のような眼が、こちらを見つめていた。
綺麗で、愛らしくて、光を散らす表情に、仁之助は魅了されたと言っていいだろう。
悠癒の目は、何よりも神秘的なものだったと、恋に落ちた少年は思っていた。
この笑顔を、これから先もずっと独占していたい。隣で見つめ、手を取って、抱きしめたいと、心の中で叫んでいた。
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