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「僕はもう、ずっとここで一人で暮らしているんです。働くこともできず、ただ毎日花に水をやり絵ばかり描いています」
向かいの椅子に座った彼は愛おしそうに花達を見つめながら呟いた。
「この足が……無くなった時はもうおの世の終わりのような、空っぽな時間をずいぶん長く過ごしました。それでも生きていかなきゃならなくて……ならここで幸せだと思える暮らしをしたいと思いました。ごめんなさい……こんな話……」
そう口を噤んだ彼は、花達が水を浴び喜んでいる姿をじっと見つめた。何かを時臣に伝えようとしてくれていることは充分伝わってくる。
「俺は……幼い頃から愛情というものに満たされた事がなくて…空っぽな心を満たす為に何をどうしたらいいのかわからないまま人に尽くしてきました。尽くせば…与えてもらえるんじゃないかって…」
こんな満たされた感覚は初めてだった。それはここへ辿り着くまで、そしてこの部屋に端を踏み入れた瞬間、経験したことのない彼のそばで感じる充足感に、断片的なことを戸惑いながらそれでも伝えたかった。
「ここへ、また来てもいいですか?」
花を見つめる彼の横顔に尋ねた。もうくるなと言われたら、また空っぽになりそうでその横顔に祈るように見つめた。
花達から移る視線は時臣を捉え、彼は優しく微笑み頷いた。
「でもいらしてください。お待ちしています」
そのまま時臣は朝日を浴び喜んでいる花達を時を忘れて見つめていた。その隣で斎藤はデッサンを楽しむように絵を描いていた。
帰り際、斎藤は一枚のポストカードを時臣に手渡した。
一面オレンジ色に染まるのその中に何か遠くを見つめている少年の後ろ姿。誰かを見送って姿が見えなくなるまでそこに立っているように見えた。
「ありがとうございます」
ポストカードを胸に抱いて頭を下げた。絵を見に来たというよりは、斎藤との時間を楽しみに来たようで、我に帰り羞恥で目を合わせられなかった。
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