プロローグ~ある日の導師たち

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プロローグ~ある日の導師たち

コンコン 「はーい、どうぞー」 扉がノックされると中から軽快な、それでいて何処か間延びした様なマイペースな声音が響く。 「失礼します」 ガチャリ 扉を開いて中に入ると、ライトブラウンのふわふわとした髪に黒縁のメガネを掛けた導師ローブ姿の魔術師がおり、彼は来訪者の顔を見ると「おや」と意外そうに眉をあげた。 「これはこれは……珍しいお客様ですね」 「ご無沙汰しております、導師」 「お久しぶりです、アルカード。どうぞ中へ。座って下さい」 「ありがとうございます」 招き入れられた魔術師ーーランドルフ・アルカード・ド・ベネトロッサは静かに指定されたソファへと着席する。 彼が着席するのを確認すると招き入れた魔術師ーーサミュエル・“マリウス”・ロートレックはほわんと笑いながら 「いやぁ、久しぶりですよねぇ、ほんと。今日はどうしました?」 天気の話しでもするかの様に朗らかなサミュエルに対して、氷の宰相とも呼ばれる稀有な魔術師は微塵も表情を変える事なく律儀に頭を下げた。 「お忙しい所、急にお邪魔を致しまして……申し訳ございません」 「いえいえー、忙しいだなんてそんな。君に比べたら暇な方ですよー。…って言うかね、アルカード。僕、左遷導師なんですけど。「お忙しい」って嫌味ですか、それ」 「……っ」 いきなりの切り返しにランドルフは硬直する。するとかつて師であり、現在は部下でもある魔術師はのほほんとした口調で緩い笑みを浮かべた。 「あはは、固まっちゃってまあ!可愛いなぁ、相変わらず」 「……導師、心臓に悪いので、その手の冗談はやめて頂けますか」 「冗談じゃないですよ?多少は本心かな」 「…………申し訳ーー」 「まあ、6割冗談ですけど☆」 「マリウス導師……」 と言う事は4割本気ですか そうツッコミたかったが、それより先に師に窘められた。 「ロートレックです。ランドルフ卿。……それで、今日はどうしました?」 そのままあっさりと本題へ移される。 ランドルフが多忙な故の配慮とは分かってはいたが、それでも多少は会話のキャッチボールでも。と思いそれなりに会話の種を考えて来たのだが、ロートレックになった師は相変わらず「マリウス」だった。 端的に話しなさい。 時間は有限です。 復唱されられた教えが頭を過ぎった。 ランドルフは小さな溜息をつくとロートレックに導かれるまま、要件に入る事にした。 「そちらの主任について、1つご相談が」 「主任?って、君の娘でしょう。なんです、そんな他人行儀な」 「……“ベネトロッサ主任”についてです」 頑なに部下として娘の立場を確立しようとするランドルフ。それにロートレックは苦笑しつつも応じる事にした。 「はいはい、分かりました。主任について、ですね。それで?うちの主任が何か?」 「………暫く、職務を休ませたいのですが」 「うん?どういう事です?」 ロートレックが首を傾げるとランドルフは溜息混じり告げた。 「実は、一族内の整理をしようかと思っておりまして」 「ふむ」 「彼女が居ると、少し障りがあります」 「ああー……先の“邪竜”と“分家”の件ですね。確か、ティンダーでしたか」 「はい」 ティンダー家はベネトロッサの分家の一家であり、先の塔の一件でアペドラル家と共謀し本家に離反した一族だ。 サミュエルは少し苦い顔をする。 「ユージーンは捕まりましたか?」 「居場所は特定しましたが、あれこれと策を弄しておりまして。正面から捕縛するのが難しい状況です」 「国外に逃げられましたか」 「ええ。しかも一族を放置して単身での逃亡です。懇意にしていた帝国貴族を頼ったようで。国外ともなれば……実力行使は難しい」 「自分の一族を見捨てるとは、何とも度し難い魔術師ですね」 ランドルフの言葉にサミュエルはメガネを押し上げた。 「成程、事情は何となく察しました」 「恐れ入ります」 国外に逃げた分家の当主を捕まえるのはそれなりに制約が生じる。しかもその間、ティンダーに残された分家一族が暴挙に出ないとは言い切れない。 今の所、残された一族は本家に対して恭順の意を示してはいるが、それが本心からとは言い難く、また塔にはティンダーと懇意にしていた一族もいる。 塔が再建を目指す中、そうした不穏分子が少なからずいる以上、“落ちこぼれ”と揶揄されならがらも紛れもないベネトロッサであるソルシアナを塔近辺に残すのは得策ではない。 ランドルフは現在、不穏分子の洗い出しと同時に塔の再建、貴族たちとの交渉も1手に担い行っている。 本家には従霊を失ったばかりの彼の妻もおり、彼自身は当主として他の分家との連絡もこなさねばならぬ以上、娘の安全にまで気を回せないというのが本音だろう。 他の子供たちの様に優れた外交能力や飛び抜けた身体能力、魔術的要素、狡猾な思考があれば話しは別だが、基本的にあのお嬢さんはお人好しで騙されやすい。 しかも彼女の保有する従霊もまた政治的思考を持ち合わせず、もし彼女が危険に晒されれば暴走する可能性もある為、制御しきるのがこちらとしては大変に難しい。 下手をするとティンダー一党(いっとう)に利用され、無自覚のうちに本家潰しに加担させられる可能性もある。それ故、ランドルフは彼女を混乱するリアドから遠ざけたいと思ったのだろう。 「それでアルカード、主任をどうするつもりです?」 「夏の間、ルージアへやろうかと」 「ルージア……エルフェンティス卿の所領ですね」 「はい」 「最良の判断です」 確かにルージアならば安全だろう。 エルフェンティスは伯爵としても超が付くほど有能で、彼の領地には分家の息がかかった家柄は一切ない。 これはエルフェンティス自身がルージアを引き継いだ際、「一族に頼らぬ経営をしてみせる」と決め自力で協力者を集めた結果なのだが、この場合、それが見事にベネトロッサの安全地域としての役割を形成したらしい。 「いいんじゃないですか?ルージアは避暑地としても人気の都市ですし、今の時期なら観光目的の貴族も多く来訪するでしょうから警備もかなり厳重でしょう」 「本来ならば有給はまだ発生しないのですが……場合が場合ですので」 「成程。主任をうちの“仕事”にかこつけてリアドから出して欲しい、とそう言うんですね?」 「ええ」 「分かりました。請け負いましょう」 「ありがとうございます」 「いいえ、こちらとしても部下が危ない目に合うのは見過ごせませんから。……それで、期間は?」 「ひと月ほど」 「うわ……」 あっさりとひと月、と言い切った相手にサミュエルは目を見開き、それから苦笑した。 「いいなぁ、主任。ひと月だなんて。流石貴族。バカンスですねー」 「あれが居なくとも、導師ならば問題ないでしょう」 「ええまあ、左遷導師ですから?する事もないですし?」 「……サミュエル導師」 「あはは、冗談ですってば!」 一頻り笑うとサミュエルは頷いた。 「分かりました。主任をルージアに出しましょう。期間は一ヶ月。それでいいですね?」 「申し訳ございません」 「いいんですよ、僕としても主任が巻き込まれて傷付くのは見たくないですし。それに……」 サミュエルはそこで言葉を切ると、人好きのする朗らかな笑みを浮かべながらランドルフを見詰めて言った。 「可愛い弟子が、ひと月で不穏分子の洗い出しからユージーンの捕縛までやるつもりみたいですしね。こんなに面白い見世物は他にありません」 にっこりと、彼は微笑む。 「“氷の後継(・・)”の、お手並み拝見と行きましょう」 「う……」 にこやかな、それでいて大層威圧的な微笑みに呻きを漏らしたランドルフだが、彼は静かに頭を下げ、その“見世物”を承諾した。 夏のバカンスシーズン。 世の人が浮き足立つ季節、ベネトロッサの当主にとって最も過酷なひと月が、幕を開けようとしていた。
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