遠い世界を待ち望む

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11月になって、日が落ちるのも早くなり、風が冷たくなる季節となった 私はリビングで暖かいお茶を飲み、ソファーでくつろいでいた 「はぁ…あったかい…」 「あんたどんだけ寒がりなのよ」 母はクッキーの乗った皿を机の上に起いて、私の横に座った 焼きたてホカホカのクッキー 母の気まぐれにて、こうして時々作られるのだ 人を虜にする甘い香りが漂う 私はさっそくお皿に手を伸ばす 「ね、録画した今日の朝ドラ見ようよ」 「え~、またぁ?」 その返答を聞いて母はクッキーのお皿を私から遠ざける 「別にいいでしょ?はやくして」 クッキー… 私は仕方なくリモコンを操作して朝ドラを映した 「わぁ、ありがとう」 クッキーのお皿が元の位置に戻される うむ…救出完了 テレビから平日の朝をお知らせするオープニングテーマが流れ出す 「きたきた♪」 母は嬉しそうにそう言うと机の上に新聞紙を広げた って新聞読むんかーい 「ちょっと…朝ドラは?」 「見てるよ」 いや、テレビに目もくれずによく言うよ 母は新聞に鉛筆を走らせる どうやら、テレビの音だけを聞いて楽しみながら、間違い探しをするようだ 器用な事で 「また懸賞?」 「そそ、今回は限定QUOカード5枚なの~♪」 「好きだねぇ、懸賞」 というか…当たった事あるのかな?当たったところ見た事ないけど 私はクッキーを一枚手に取り口の中へ運んだ クッキーのサクサクとした食感 口の中に広がるバターの濃厚な香り 最高だ… 食べ出したら止まらない 太りたくない年頃だが 私はクッキーに夢中になっていた 「あぁ~~…もうダメ…わかんな~い」 私がクッキーを味わっている横で母が間違い探しにギブアップしていた 「そんなに難しいの?」 「うん、もう無理…代わって?」 クッキーも焼いてくれたしなぁ 「はいよ」 私は母とバトンタッチして間違い探しを始めた まずは二つの絵を見比べる そこで不思議に思ったのが一個も丸がない事 「ねぇ…何で一個もチェック付けてないの?」 「見つけられてないから」 えっ…?一個も? 「私、小さい頃からこういうの苦手なのよ」 じゃあ、この懸賞パスしなよ どんだけほしいんだよQUOカード 「昔、ウィーリーを探せ!っていうのあったじゃない?あれ、ウィーリーを探すな!だったら、私絶対一番になれたわ!」 どういう本なのそれ ちゃんとウィーリー探してやれよ… 私はさっそく絵と絵を見比べ 見つけた所からチェックをつけて行った 「はい、できたよ」 「えっ、うそ!?あんたホントに私の子なの?」 私も不安になってきたよ 母の驚いた顔に ふふっと笑ってしまった 母と話すのは好きだ ゆったりとしたこの空気も居心地良いし 気を使うこともない 私はお皿からまた一枚クッキーを手に取り口へ運ぶ 「あ~あ、早く雪降らないかしら」 母はのびのびしながら言った 「あのさ、まだ11月だよ?さすがに早いよ」 「何言ってるの?北海道ではもう雪が舞ってるっていうのに」 北方と関西を一緒にしないでもらいたいね… 「お母さんって冬が好きだよね」 「当然よ。4つの季節、全て冬にならないかしら…」 ヤだよ。そんな氷河期 「今年も行くわよ~。スノボー!」 母は新聞の間に挟まっていたウィンタースポーツ用具店のチラシを私に見せてくる 「板買うの?」 「迷い中なの…これなんて可愛くない?」 「あっ、良い!可愛いかも」 私もチラシに目を通す チラシにはスキーやスノボーの板 それに、色とりどりのウェアが特売として載っていた 「このスキーウェアなんかも…」 母は私の様子を見て、嬉しそうにニコニコしている 「なに?」 「いや~、やっぱり親子だなぁ~って」 「うるさいなぁ」 知ってるよ、そんなの 「それにしても、ホントに冬が好きだよね、お母さん。スノボーができるから?」 母はそれを聞いてふふんと鼻を鳴らす 「それもあるけど~、冬の魅力はそれだけじゃないわ」 自信ありげに胸を張る 母は冬の魅力を熟知しているらしい 「へぇ~、どんな魅力が?」 「あー…ほらっ…コンスープがおいしいじゃない…」 あー、なるほど 大して知らないんだね… 私の顔を見て悟ったのか、母は続けて口を開く 「他に、コタツとかさぁ、冷えきった体で入る暖かいお風呂とか」 確かに… 冷えた後のお風呂はいい あのつま先がピリリとする感覚 冷えきった体にじわじわって来るぬくもりとかも…すごくいい 「あとは…朝の澄んだ空気」 あ~、いいね あの物静かで切ない感じ 朝は眠いけど 「なるほど…」 「あっ、そうそう。あと自分が遠くにいる感覚とか。これわかるかな~」 遠くにいる感覚? それは知らない 「わかんない。何それ」 「寒空の中、外に出るとそんな感覚になる時があるんだよ。特にゲレンデでリフトを上がりきった山の頂上なんかに行くと、よくその感覚になるんだ」 母は楽しそうに語った そんなに良いものなんだろうか 母の楽しそうな表情を見ると少し気になる 「あとあと、身体中が冷えきって、寒い、冷たい、痛いの限界を越えてもなお、外で日が傾くまで滑り続けていると、遠い世界を感じる事があるの」 それって… 「お母さん死にかけてない?」 「違う違う。遠い世界ってそういう事じゃないの。こうなんていうか…不思議な感覚」 「いや、死にかけてるってその感覚。ちゃんと病院行ってね?」 「意義あり!」 これに関しては、母はまったく譲らなかった 「とにかく、今年も行くから。沙織もわかるわよ」 「やだ!わかりたくない」 死の淵まで連れていかれるなんて、まっぴらごめんだ そうこう話している内に父が仕事から帰ってきた それを見て母はキッチンに移動して夕飯の支度を始める 「おっ、沙織。大相撲見るとか渋いな」 「たまたま着けたらこれだったの」 父は頭が濡れていて、頬が赤く染まっていた 外の寒さが見てとれる 「雨ふってんの?」 「ああ…外めちゃんこ寒い」 父は赤くなった両手を擦り合わせて言った 私はハンガーをとり、父に手を差し出す それを見て父は嬉しそうにコートを脱いだ 「ありがとな」 そのコートを受け取り、上の物干し竿にかける 「お風呂沸いてるよ」 「おっ、そうか。感謝、感謝~」 父はいそいそとお風呂場に足を運ぶ 父の寒そうな姿を見てため息がこぼれる これからどんどん寒くなると思うと少し憂鬱だ 朝起きるのも辛くなるし 喜ぶのは雪好きの母くらいか 私は特に見たい番組も見つからず テレビのチャンネルを順繰り順繰りと回していた 父はお風呂から上がり リビングに来て お風呂上がりの至福の一杯を始めようとしていた 500ミリリットルの缶ビール 父の顔は喜びに満ち溢れていた どこか桃源郷にいるんじゃないかと思わせるほどに 父はふたに指をかけて、そのまま一気に解放した ふたを開ける瞬間に 「解放ぉおおおーーーー!!!」 とかなんとか叫んでいたが 真横にいる私は聞こえないふりをした プシュと小耳のいい音を発すると 開いたふたの隙間からシュワシュワと泡が音をたてて光っていた 缶に一滴も残らないように全て体に流し込む そして数十秒間、下を向いてフリーズし、口を開いた 「…これが天国の味か…」 意味がわからなかった 「お父さん。しっかりと味のレビューしないとビールのCM出られないよ?」 「完璧だったと思うけど?」 どこをどう見れば完璧なのだろうか 父は幸せそうに 2本目のふたを解放する 2本目の解放は 「オオオォオォープウゥゥーーン!!」 とかなんとか言っていたが 真横にいる私はやはり聞こえないふりをした テレビでは天気予報がやっていた 「まぁた寒くなるのか…」 「だね…お母さんが喜ぶよ」 「お母さんが…?何で?」 私は今日の母との会話を父に話した 「なるほどな、確かに僕とお母さんにとって、冬は特別な季節だ」 「そうなの?」 「ああ、お母さんと出会った季節だからね」 それは初耳だ そういえば出会い話は聞いた事がなかった 「いや~、お母さんとの出会いは衝撃的だったなぁ…」 腕組みをして少し照れながら笑っていた なんか興味あるなぁ 「どう知り合ったの?」 「あー、そうだなぁ」 父は一つ咳払いをして話してくれた 「冬の真っ白なゲレンデで僕とその友達がスキーをしていたんだ。そこにスノボーをしているお母さんが僕に突っ込んできたのが出会いだったんだ」 「なるほど…まさに衝撃的だね」 「だろ?」 二人して笑った 「突っ込まれた時は痛かった?」 「痛い?痛いってもんじゃないよ。次に目覚めたのは病院だったんだから。死にかけたよ」 死にかける…か それはちょっと話盛りすぎだよ 「スノボーでしょ?死にかけるは大げさだよ」 「甘いね。お母さんのはスノボーじゃないから。ありゃ…そう!ボブスレー」 「ボブスレー?」 あの鉄のソリ? 「ああ、ボブスレーだ。間違いない」 二人してお腹抱えながら笑って盛り上がっていたら 母がひょこっり顔を見せた 「あなた、これ以上私を愚弄すると、あなたの分のおかずが減るわよ?」 「和美…愛してるぞ」 お父さん…震えた声で言うセリフじゃないと思うよ? それを聞いて母は台所へ帰って行った 無言で帰るところがなんか怖い 「ねぇ、お父さん」 「もうこの話はよそうか…せっかくの美味しいお酒が台無しになっちゃうよ」 顔の汗が凄い事になっていた 顔もひきつっている 「あと一つだけ。遠い世界ってお父さんも感じた?」 「あー、さっき言ってやつか」 父は少しの間考えて口を開いた 「遠い世界ね…なるほど。わかるわかる。でもそれは人によって感じ方が違うよ?」 「そうなの?じゃあお父さんは?」 「僕はねぇ…優越感…かな」 優越感? 「非日常の中に立っている自分。すげぇ!的な!まぁ、簡単に言うとね」 そうなんだ… 私も次回行けばわかるのかな 「他には?なんかないの?」 「他にねぇ…前ゲレンデ行った時にはなんかドキドキしなかったか?」 「あー…したね」 「それだ」 あれ?それなの? 「遠い世界は感じなかったけど?」 「だからその気持ちの解釈は人それぞれだって」と苦笑いをする父 遠い世界、遠い世界かぁ… 「まぁ、深く考えんな。次に沙織がゲレンデに行った時にわかるだろ?」 父は柔らかく微笑んだ 先程まで寒くなるのが嫌だと思っていたのに 急に雪が恋しくなってくる 私の中で一つ楽しみができた 待ち遠しい冬の世界 まぁ、そう遠い世界(みらい)でもないので 私はめいっぱい期待を膨らませて待つことにしたのだ
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