癒やされる心

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 水族館の入り口をくぐってからまっすぐにカワウソの展示スペースへとやって来た夜々斗は優樹の手を掴んで、水槽のすぐ近くまで走り寄った。  そのまま手を離す様子もなく、忙しなく動き回るカワウソを目で追いかけている。 「わぁ、元気ー。可愛いー」  ────これは、掴んでる? 繋いでる?  全く何も意識していなさそうな夜々斗の様子に優樹が混乱していると、夜々斗の視線がカワウソから優樹にうつった。 「どうしたの?」 「え、あー、この手は?」  優樹の左手を甲側から握っている夜々斗の右手に視線を向けると、夜々斗ははっとした表情で少し力を込めてから、いたずらが成功した子供のようににっと笑って見せた。 「ずっと隣にいるって言ったでしょ?」  優樹の鼓動がはねた。今日何度目になるかわからない。 「言ってたな……」 「だから手を取ったんだけど、離すの忘れちゃってた」  忘れちゃってた、と言うと同時にぱっと離された手に少し寂しさを感じてしまう。  ────俺は乙女か。 「……はあ、何でそんなに」  ────可愛いことばかりするのか。 「あ、照れてるー。優樹可愛いー」  人生ゲームの時と同じ雰囲気でからかってくる夜々斗に、優樹も顔に熱が集まるのを抑えられなかった。 「外ではやめてくれ……」 「ふふふ、ごめんね?」  十中八九、優樹が指摘するまで夜々斗には他意はなかったであろうことを思うと、1人で意識していたのがいたたまれない。  そうやって、少し前の自分に優樹が複雑そうな顔をしていたせいだろう。 「ごめん、嫌だった……?」  手を握ったことと、外でからかったことの恐らく両方について、そんなことを聞いてくる眉の下がった夜々斗に優樹は意識を切り替えた。  せっかく2人で水族館まで来て、こんな顔をさせていていいはずがない。  笑顔でない夜々斗は、雲がかかってしまった月のように寂しそうだから。 「嫌なわけないだろ。夜なら何をしてもいいよ」 「本当に?」 「もちろん、嘘なんてつかない」 「……そっか。  相変わらず甘やかしてくるなあ」  優樹の言葉に本当に嘘がないことを納得したのか、ひとつ頷いた夜々斗は再び笑顔に戻った。  雲は晴れてそのままどこかに消えてしまったらしい。まんまるの満月に照らされた夜のように、明るくも静かな輝きに優樹はまた目を細めた。 「いくらでも甘やかしてあげるよ」 「うーん、なんか駄目な人間になりそう」 「夜は駄目になるくらいで丁度よさそうだけどな」 「えー?」  好きだから甘やかしたい、と言うのは簡単である。  けれど、夜々斗の兄の存在を考えると安易に進展を望むことができない優樹は、いつでも決定的な言葉を伝えられずにいる。  だから、ひたすら隣で甘やかすことしかできない。  ────いつまでもこのままにはしておけないけど。  兄との時間の反動でいつになく楽しそうに笑ってはしゃいでいる夜々斗が、記憶を消してしまいたくなるほどの辛いことなど一瞬もなく笑っていられるように。  それが叶えられることが何よりも大切なことだ。  誰にも譲るつもりなどないけれど、それでも、もしも、その時に一番近くにいることを認められる相手が優樹ではなかったとしても。 「楽しそうだな」 「うん、すごく楽しい。優樹は?」 「夜と来れて、楽しいよ」 「それはよかった」
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