癒やされる心

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 夜々斗の安堵に緩んだ笑顔に、伸びそうになった手を握りしめて笑み返したところで大分周りが混雑してきたことに気がついた。  時間を見ると12時25分。カワウソの餌やりまであと5分だった。 「もうすぐだな」  そうだね、と返事をして楽しそうに水槽に顔を向ける夜々斗の横顔を眺めていると、その奥に夜々斗に見惚れた様子の女性が見えた。  「ここからだとよく見えるから場所を変わろう」と優樹が夜々斗の肩に手を回すと、その女性がはっとこちらを向いた。牽制の意味を込めて視線を返すとすぐに顔を背けられた。  やれやれ、といつもと逆に自分の右側にいる夜々斗に視線を戻すと静かに薄い笑みを湛えたまっすぐな視線とぶつかった。  場所を入れ替えたところで特に見えるものが変わらなかったから不思議に思ってこちらを見たのだろう。  優樹が牽制した女性にちらりと目をやってから、声もたてずにそっと笑みを深めて何も見ていなかったように訊ねてくる。 「誰かいた?」 「いいや、誰もいないよ」 「そう、みたいだね」  優樹が独占欲で夜々斗を見惚れていた女性から離した行動にいったいどう思っているのか、完全には図りきれない。  ただ、夜々斗は自身に好意を寄せる女性に全く興味がないことは間違いないらしい。  飼育スタッフの持つ魚の入ったバケツに吸い寄せられるようにガラスに張り付くカワウソの姿に、一心に視線を注いで可愛い可愛いと夢中な夜々斗の肩からゆっくり手を下ろした。  優樹の好意を、どう受け止めているのか。  恋愛感情を伴っていることを察しているのか、いないのか。  この独占欲やら、嫉妬やら、葛藤やら、綺麗なだけでない混ざった感情を知っているのか、いないのか。  聞きたいけれど、こんなに重い感情に気づいていないのなら、気づかないままでいてほしい。  そう思いながらも、夜々斗が誰かの恋愛感情に応えられるようになったならその相手は自分であってほしい。自分の想いをすべて受け入れてほしい。  いや、夜々斗の笑顔を奪うものだけ排除して、これまで通りいつ隣にいても受け入れてくれるこの距離感を手放さずにいられるなら、それが一番いい。  この好意は、矛盾だらけだ。  根底にあるのは、「夜々斗が好き」というそれだけのはずなのに。  自分のしたいことすら一つに定まらない。 「……、終わっちゃった」  思考に沈んでいた意識が夜々斗の少し寂しそうな声に反応して浮上する。 「でも、見れてよかったな」 「うん、豪快で可愛かった。  じゃあごはん行こうか」 「一旦人混みがはけてからにしよう。そこにベンチがある」  元気そうに見えるが、病み上がりにはしゃいでいたのだから少し休憩してから移動したい。 「そうだね、そうしよう」  優樹の意図を汲んで素直にベンチに腰を降ろした夜々斗の右隣に並んで座り、ペットボトルの水を渡すと、ふふっと笑ってありがとうと受け取った。 「んー、美味しい。  やっぱり優樹がこっちにいないと落ち着かないや。右がすかすかだとなんか寂しい」 「……、左にいただろう」 「そうなんだけど。  右と左だと意識が違うというか、右の方が意識を向けやすいというか」  右の方が特別なんだよ、と何の気負いもなく言い放つ夜々斗に本日何度目かの胸の高鳴りを感じる。  カワウソにしか意識を向けていないと思っていたのに、優樹がいない右隣に寂しさを感じたなどと言われてしまった。  ────なんでそうも可愛いことばかり俺に言うんだ。  たわいない話の延長で不意に爆弾を投下され続けて、優樹はかなりのダメージを負っている。 「……俺も、右にいた方が落ち着くから、こっちにいるようにする」 「うん、そうして。  水、ありがとう」 「どういたしまして」
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