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少し足元をふらつかせて、静かに部屋に帰ってきた君は。
突然大きな声を上げて、泣き出した。
風船が破裂したみたいに。
蛇口をめいっぱいひねったみたいに。
ぶら下がっていたクモの糸が切れたみたいに。
それまでその体に溜めこんでいたものをすべて吐き出して、泣き叫んで。
俺はそれをただ、黙って見ていることしかできなかった。
すべてを出し尽くしたのか、呼吸が少し落ち着きはじめた頃。
君は最後の力を振り絞るみたいに、小さな声でポツリ、ポツリと話しはじめた。
「奥さんがね、いるんだって。結婚、してるんだって。でもね、奥さんのこと、もう何とも思ってなくて・・・仲も悪くて。別れたいって、別れて私と一緒になりたいって、言ってくれてたんだ。私、信じてたんだよ・・・だって大好きだったもん。本当に、本当に、大好きだった。でも私、嘘つかれてたみたいでさ・・・奥さんと楽しそうに話してるところ、見ちゃったんだ。それでもね、別れたいって言うの。本当に好きなのは私だけだって、傍にいてくれって、言うんだよ・・・頭おかしいよね。そんな人の言葉を、バカ正直に信じてたなんて、私の頭もよっぽどかな。あぁ、もう本当に嫌んなる。耐えられなくて、終わりにしたくて、でもまだこんなに好きなんだって思い知って。本当にバカだ」
俺に話しかけていたわけではないのかもしれない。
うつろな瞳はずっとどこか遠くを見つめたままで、一度も俺が映ることはなかったから。
それが独り言だったとしても、君の気持ちは痛いほど伝わってきた。
こんなに君を苦しめているあの人を、許すことはできないし。
怒りが収まることはないけれど。
もっと、それ以上に、思うことは。
どうして俺は、今君を抱きしめてあげることができないんだろう。
苦しい、悲しいと泣く君を、大丈夫だと安心させてあげたいのに。
「俺がいる」と言葉一つ伝える手段すら持っていない。
この時俺は、こんな姿に生まれたことを初めて悔しいと思った。
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