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11:言い訳してもいいわけ?
こんばんわー、久しぶりの雑記だ。今回は、まあ、また宣伝になってしまうのですが、ちょっと僕の持論もかねてお話出来たらなと思います。
かねてから僕は「妄想妄想」と連呼してるわけなんですが、小説や物語を書くにあたって一番強力なものって、やっぱり想像力だと思うわけなんですね。もちろん技量や知識量もそうですが、想像力って全てをカバーできる可能性があると思っていて。…あくまでも個人的な意見ですけどね?
で、僕が「文乃」シリーズや「新開」シリーズを書くにあたって貫き通している創作スタイルとして、一人称、というこだわりがあります。
僕は、台詞のもつ強さを信じています。
というよりこれはもう、信仰、崇拝、陶酔に近いものでもあります。台詞って、登場人物が話す言葉じゃないですか。自分が創造したキャラが人格を持って話すんですよ?考えたら単純に凄くないですか?
どれだけ言葉を尽くして状況描写を書き連ねても、キャラが話すたったひとことの方が強い、と僕はそう思っています。もちろん三人称には三人称の良さがあると理解した上で言いますが、一人称って、語り部がそこにいると分かって読むわけですよね。
「文乃」シリーズであればこの僕、新開が喋っていると皆さん分かった上で読んでいる。「新開」シリーズのように、読み進める中で誰が話をしているのか途中で分かるようになる、という仕掛けもあったりします。やがて見えてくる語り部の顔を想像し、話を聞くように物語を読む…。
僕が一人称にこだわる理由はそこにあります。
キャラの話す台詞が一番強い。そして一人称は全編台詞とも言える。つまりそれって、最強なんじゃないか?…なんて、子供みたいな発想で僕は書いています。
皆さんも実は一人称と三人称では、無意識に読み方を変えていると思います。三人称の時には聞こえない「声」が、一人称では聞こえてきませんか?僕は、聞こえます。例えば好きな俳優さんや声優さんでもいい。自分の好きな人が話す言葉に耳を傾ける。一人称は、というか僕の作品は、そうやって読んでいただけると嬉しいです。あなたの好きな誰かに、僕・新開になり代わって読んでもらってください。
ひとつ、台詞が最強だと思う理由を書いておきます。それは、リアリティです。生きた人間を作りだすには、喋らせるのがいい。例えば、僕の好きなコメディアン、ダウンタウンの松本さんを動かすのであれば…ちょっと眉間に皺を寄せてもらって…。
「そない言うてもですよ、結局のところ僕らに求められてんのはお笑いの部分なわけであってね。なんやコンプライアンスがどうとか言うてテレビの枠組みを狭んまい狭んまいもんにしてね、顔もしらんような奴らの言うことにびびってやった所でね、チャンネル付けた人間が僕の顔見て期待しよんのは結局笑えるか、笑えないか、このどっちかしかないんですよ。そんなもん僕かて感情はあるからね、娘かておるし、ここんとこみたいな頭のおかしい奴らの殺人事件みたいなん取り扱うてなったら、そら真面目なこと言うって。そこはコンプライアンスがどうとかじゃなしに、人として言うやんか。それでもね、今日も来てるヒロミとか東野もそうやけど、テレビ芸人として生きてる人間いうのはやっぱりどっかで笑いをねじ込んでいかんとね、別に人殺しのニュースで笑いとろうなんて思てないよ、それはそれとして番組全体として、ね、僕なりヒロミなりが言う、コメントするってことの価値ってどうしても必要になってくるやんか。それをね…」
とまあ、こんな感じで喋らせるわけです。もちろん上の台詞は今僕が考えながらふわーっと書いたもので、某番組で話された、なんてことはありません。どこかで言ってそうな内容を、口調や表情を自分なりに想像しながら書いて行くと、皆さんにも松本さんの声が聞こえてきませんでしたか?
断っておきますけど、これは皆さんにだってできますからね、当たり前ですけど。この、人が生き生きと動いて見える、声が聞こえる、という点が、僕の中の台詞最強説の根拠だと言いたいわけです。
というわけで、現在準備を進めている次回作は、ほぼほぼ登場人物たちが喋り倒しています。僕が小説を書けないわけじゃない、とご理解いただいた上で(笑)、楽しんでいただけたらなーと思っています。
では、新開でした。
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