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3:僕はそこに行かないぞ?
なにをもって「リアル」とするか。細かな情景描写?真に迫ったプロット?それともシンプルに、ノンフィクションとか?
妄想が趣味のわりにはやたらそこを気にする癖がある。ホラー作品を書く上でのリアルってどこかで足枷にもなるし、そもそも万人受けするリアルなんてないと思っているから、余計に悩む。
それはなにも、勝手に境界線を引こうとして、どこまでがアリでどこからが「SFじゃねえか」になるのかを迷っているわけじゃない。思いついた映像をそのまま物語にする。誰かに先を越されないうちに自分の物語に仕上げる。いつだってそれが根底にあるもんだがから、思いついたら全部書く。
迷っているのは要するに、「配合するタイミング」、だったりする。
身も蓋もない言い方をすれば文乃シリーズはフィクションである。だけど僕の思う「リアル」の基準は、「僕の記憶から出て来たもの」に他ならない。あくまでも僕個人の見解だけれど、どれだけ微に入り細に入り言葉を連ねて登場人物たちの状況を立体化させようと、読み手にとってそれが「リアル」として伝わるかどうかは分からない。リアルだなあ、と思ってもらえるか分からない。万人受けするリアルなんてないと思っているのは、ひねくれているかもしれないが、それが理由。
ただし、僕の記憶にある思い出の風景を物語に落とし込むことが出来れば、少なくとも僕にとってはとてもリアルだ。
たとえば『文乃』で新開と辺見先輩がバスの車内、あえて離れた席に座る場面。たとえば存在しない『しもつげむら』の風景。たとえば『かなしみの子』に出て来る内藤さんご夫婦の新居の立地。物語の本筋とはそんなに関係がないようでいて、だけど実際僕の記憶にある風景を描くことで世界に奥行きが出るんじゃないか、と信じている。
ほとんどゼロから物語を作って行く中で、しかもホラーなんて突拍子もない出来事を書いてなんぼの世界で、「リアル」を追求するならおそらく100人中99人が恐怖演出や心理描写でリアルを追求し、勝負すると思う。
僕は違う(違うことが正しいことだとは言ってない)。
この世界のどこかに文乃も新開もいるんじゃないか、いてほしいな、と思って欲しい。彼らの住む世界に奥行きをもたせ、実はこれって僕たちの世界と繋がっているんじゃないか、そんな風に妄想を膨らませてほしいと思っているのだ。
…わりと本気で。
だけどもそう願うからにはやはり、創作物の中にも僕なりの真実を丹念に織り込んでいくべきじゃないかーなんて、日々思うわけです。
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