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6:それ、なんて名前?
ともだちがいない。
どのくらいいないかと言うと、唯一、同じ年齢で趣味が似ていて付き合いの長い奴がいるにも関わらず、最後に連絡を取ったのがいつなのか思い出せない。多分、付き合いの長さや話をした時間、共有する思い出の数々で判断するなら「親友」って呼べるんだと思うし、それを否定する気持ちはこれぽっちもないんだけど、実際ともだちってその一人っきりかもしれない。知り合いは幾人もいるけれど、忘れたころに生存確認のメールをかわすくらいで、休日に予定を合わせて遊びにいくことなんて、ない。
…僕、やばい奴ですか?
ともだちなんて心許せる奴が一人でもいればOKだよー、別にいなきゃいないでいいじゃーんって言ってくれる、笑顔が素敵で良い奴そうな妄想友人を思い描いて自分をごまかしときます。
いやいや、今日はそんな恥ずかしい話をしたかったわけじゃないんです。僕に以前あった、名前の分からない症候群について、聞いてほしくて。…読んでほしくて。
以前、犬を飼っていました。
シェットランドシープドッグ。
名前はじゃあ、『カナメ』にしよう。本当は違うけどね。
大きくはないけど小さくもなく、家の玄関に首輪を繋いで飼っていました。外は暑いし寒いし、雨に降られて虫に噛まれたら可哀想。だけど、家の中を走らせるような小型でもない、そんな距離感の犬。
で、カナメの散歩が一時期物凄く好きでした。ほら、僕ってともだちいないじゃないですか。だからカナメを連れて、カナメに話しかけながら、とぼとぼ歩いていくわけです。
家の近所をしばらく行くと、広ーい広ーい、まだ基礎工事しか済んでいない団地住宅の建設予定地があって、路地を挟んだ向かい側は田園でした。そこはほとんど人気のない広く寂しい場所。そんな場所を僕は好んで散歩道に選んでいました。
そして更に奥へいくと、説明が難しい場所に入り込むことが当時は可能だったんです。それは、高速道路の高架下、それもおそらく立入禁止区域です。
誰もが一度は見たことがあると思います。山間を渡る、頭上50メートル近い高所に掛けられた橋桁を支える、もんのすごくぶっといコンクリート製の橋脚。
都会で見かける橋脚の足元だと、空いたスペースが駐輪場になっていたりしますね。しかし僕の近所にあったそれは山間部の為、足の根本部分もぎりぎり山裾に埋もれていました。
見上げれば強烈な勾配を誇る、坂の上です。
もちろん道路からは入れないようにフェンスがしてあったと記憶していますが、普段ほとんど人の往来がない場所だけあって、警備はゆるゆるでした。
心臓をばくばくさせながら坂を昇ります。カナメも、ひーひー言いながらついてきます。下手をすると滑って転げ落ちてしまうほどの坂を昇り、車が猛スピードでびゅんびゅん走る、高架の裏側に手が届く場所にまで辿り着く事が出来ました。
おそらく、そんな場所には関係者以外誰も立ち入ろうとはしないはずだし、きっと入って行けなかったのだと思います。
だけど僕は、そこに行くのが好きでした。
最終的には、カナメも連れずに一人で入り込み、そこでじっとしていました。雨が降ってもそこだと濡れないし、別に何をするでもなく、
「寂しいなあ」
と思いながらそこに蹲っているのが好きだったんです。
今はもう、それをやることはありませんが、当時の僕と目があったらきっと今でも、「ああ、その気持ち、分かるよ」と言います。
でもこれって、一体なんていう心境なんでしょうかね。なんの意味があったんだろう。正式な名称があるんでしょうか。寂しい大好き症候群? アローンラヴァー?(はあ?)
中二病じゃないし、陰キャと呼ぶには割と率先して、寂しい場所を探して外へ出ていた。でも結局のところ、秘密基地的な場所に入り浸る根暗な坊やだったというだけなのでしょうかね。今でも、あの場所へ行けるなら行きたいと思うことがあります。
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