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第4話 フレッシュな現場
「随分と荒らされましたね」
眼鏡のズレを直しながら30代の精悍な青年というより若年寄、対峙する者に安心感を与える声と風貌の男が部屋を一目見て言う。
その部屋は部屋と言うより倉庫といった方がしっくりくる。部屋に並べられた耐震が施された棚には古い箱が隙間無く並べられていたのであろう。
今は棚の所々に虫食いのようにぽっかりと空間が空いている。
代わりと言っては何だが床には散乱した窓ガラスの破片に無数の足跡が残っている。
金持ちのコレクションルームに賊が入ったのが昨日のこと。電線を切るという強引な方法でセキュリティーを破った賊達は家主達が駆けつけるまでに盗めるだけ盗んでいったらしい。
言い方が可笑しいかも知れないが、誰にも荒らされていないフレッシュな現場には様々なメッセージに溢れている。人知外の神威を読み解こうとする俺にとっては、ここから盗賊共の仕事の手順や癖を思い浮かべるなど簡単に出来なくてはならない。
俺は残された足跡のサイズ歩幅を見つつ、棚の物色された後を見る。
仕事の痕にはその者の美学が色濃く残る。まして美術品専門の強盗なら荒々しいだけではやっていけない。美術品を傷付けないように注意せねばならなく、いやおうでも美学が残る。
盗賊の動きなどが、まるで見ていたように脳内でイメージ再生されていく。
予想通り、この盗賊共は最近ここらを荒らしている奴らだな。
これだけ鮮烈にイメージ出来るのもここがバージンスノーな現場だったからこそ。
そうこの部屋には俺達より先にいるはずの者達がいない。
「いの一番に我が社に連絡してくれたのはありがたいですが、警察には?」
人が良さそうな顔をした男槇村省吾は部屋の隅に設けられた観賞用スペースに設置された机でこの家の主である竹川の相手をしている。俺はその二人から離れ一人で現場の調査を行っている。
さり気なく竹川の注意を自分に惹き付け俺の隠れ蓑と成ってくれている。
俺はあまり顔を知られたくないからな。こんな家業顔が知れていいことは何も無い。一応やり過ぎない程度に伊達眼鏡を掛けて髪型をオールバックして印象は変えてある。
そんな俺の意図を汲んでくれている槇村は登坂保険の保険員で主に美術関係の保険を取り扱っている。
そして俺は仕事の一つとして美術保険の調査員をしている。
保険に入る美術品の真贋判定や入手の経路の確認や保険に入っている美術品に何かあった場合に、不正がないか調べるのが俺の仕事だ。
中には美術品を盗まれたと詐欺を働く者もいるのでなかなかシビアな仕事だ。その割には何かあったときくらいしか呼ばれない不定期日雇い仕事で、いつ呼ばれるか分からないが呼ばれたときに空いてなければ仕事を逃す。正直これで喰っていくのは無理である。
割に合わないこの仕事を俺がする理由はシンプルで個人所有の美術品を見ることが出来るからだ。個人所有の美術品を赤の他人が見ることはお友達にでもならなければ出来ない。しかし俺にお金持ちとお友達になれるような金も無ければコネも無い。
だが保険の調査という名目なら見ることが出来る。それは俺にとっては何よりも報酬、だからこそこんな割に合わない仕事もしてられる。
今だって現場の調査が終わり、盗難を逃れた美術品を調査する名目で鑑賞させて貰っている。
古美術が好きなようだが、現代美術品もあるんだな。この壺のこのメビウスの輪のようなラインはいったいどんな神威の発露から生まれたんだ。今の俺では感じ取れないのが悔しい。
「ふん警察など当てにならない。警察に頼っていては盗まれた宝は返ってこない」
「しかし警察に被害届が受理されませんと保険が下りませんよ」
忌々しげに言う竹川を槇村が窘める。
「美術品が返ってくればいい。そうすれば保険の申請はしない」
竹川は含みを持った言い方をしつつ槇村を見据える。
仮にも事業家として成功した男、その眼光は鋭く普通のサラリーマンならしどろもどろに手の内を吐露してしまいそうになる。
「おっしゃる意味が分かりませんが?」
だが人のいい顔をしつつ海千山千の詐欺師共と渡り合ってきた槇村は涼しい顔をしたまま惚けて返す。
「だから警察に現場を荒らされる前に見せた」
竹川も槇村の返答など聞いていないのか話を進めていく。
「まあそれはありがたいのですが」
おかげで俺は朝一で槇村に叩き起こされて迷惑だったが、ここにある美術品が見れたことで帳消しだ。
もっとゆっくりと眺めていたい。槇村には可能な限り話を引き延ばして欲しいと願いつつ目で美術品を愛でつつ耳は槇村の会話に向ける。
「ここからは美術収集家としての独り言だ。
そんな奇跡が起こるなら成功報酬をだしてもいい。更にいうなら犯人との買い取りに応じるのも吝かでは無い」
警察に知らせず、犯人と交渉する。闇の勢力との繋がりを持ってしまい、下手をすれば闇の世界にズルズルと引きづり込まれる。
「それは危ない橋ですよ」
独り言と聞いていた槇村も一応忠告する。
「登坂保険が綺麗事を言うか」
正直言えば登坂保険は有名な保険屋に比べれば保障は一段も二段も下がる。だがある意味ではそんな一流の保険会社を上回る。
「美術品を投資対象と見なしている輩ならお前のところの保険には入らない」
「ははっ」
槇村は困ったように乾いた笑いを返すのみ。
「ネゴシエーターとして君を指名してもいい」
「それは保険屋と強盗のマッチポンプと誤解されますので勘弁して下さい」
「なら優秀なネゴシエーターを紹介しろ。
それがお前の所の売りだろ」
これが槇村が特に言い返さなかった理由。
登坂保険は金銭面での保障は一流保険会社に一つ二つ墜ちるが、トラブル解決に関しては一流保険会社に出来ない処理が出来ると通に知れ渡っている。
「今までのやり取りで分かりました。あなたは美術品を愛しているのですね」
「当たり前だ。汚物のような世の中において芸術だけが俺の心を洗い流してくれる」
成金の傲慢な奴かと思ったが、その点に関してだけは共感出来る。そしてその一点だけでも俺が好意を持つには十分だった。
「取り返せ。
一流の保険会社に入ったところで美術品を守れるものじゃない、俺は美術品を守るためにお前の所と契約したのだ」
竹川は偉そうに槇村に命じるのであった。
好意は持てても仲良くは成れそうに無いな。だがここにある芸術品の趣味はいい。芸術と人間性は別と考えれば、時々美術品を見せて貰えるような同好の士には成れないだろうか?
「あなたのお気持ちは分かりました。ですからこれ以上はお口にチャックをして紡んでください誰が聞いているか分かりませんからね」
槇村の人のいい詐欺師の顔がこの時だけは歴戦の戦士のような顔付きになった。
俺も道楽者かも知れないが登坂保険の保険員もヤクザな連中、まっとうじゃない。
「分かった」
竹川が返事をしたタイミングでコンコンとドアが叩かれた。あまりのタイミングにドアの外で盗み聞きをしていたんじゃないかと疑ってしまう。
内部の者が手引きするのはよくあること。一応顔を覚えておいた方がいいか。
「入れ」
「お茶を持ってきました」
そんな俺の警戒を霧散させるような賢そうな少年がお盆にお茶を乗せて入ってきた。
大抵の者なら少年の邪気の無い笑顔に警戒心を解いてしまいそうだが、そのお茶を運ぶ所作に乱れはなく、俺は自然と少年から死角になる棚の影に位置取りする。
「どうぞ」
少年は手慣れた手つきでお茶を置いていく。
「誰ですか?」
槇村も気になったのか尋ねる。
「ああ知り合いの紹介の子でな、家のことを色々と手伝って貰っている」
「今時書生ですか、古風ですね」
「住み込みではないですよ。
竜乃宮 余牟と言います。よろしくお願いします」
少年はお茶を置き終わると槇村に礼儀正しく名乗ってお辞儀した。
今時の餓鬼にしては礼儀がなっている。礼儀作法をマニュアルで覚えたやらされた感がない、品がある。
金持ちの知り合い、由緒ある家系のお坊ちゃまなのか?
「将来が楽しみですね」
槇村も俺と同じことを感じたのかお世辞では無いようだ。
「私もそう思って目を掛けている」
竹川にしてまでその言葉は本心のようで少年を見る目には期待が込められている。
大人二人の好意を勝ちとる少年とは、気持ちわり。餓鬼なんぞ糞餓鬼で十分だろ。
「ありがとうございます。それでは失礼します」
少年が挨拶をし部屋から退出する。十分に間をおいたところで竹川が口を開く。
「一ヶ月待つ」
「分かりました」
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