ヒーロー

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ヒーロー

 たまたま通った道に女性を囲んでいる集団がいた。彼らからお酒の匂いがする。話し方からして、酔っ払いたちは女性にナンパしているようだった。  僕から見れば、逃げ道を塞いで強制的に従わせようとしている酷い現場だ。女性は困った表情を浮かべているが、どこか諦めているような感じもある。  助けなければ……。でも……。  僕はこういう場面で助けようとすると、痛い目を見る。かといって見過ごすわけにはいかなかった。  気がつけば、僕は酔っ払いたちに声をかけていた。 「女性の方、嫌がってるようですよ」 「なんだてめぇ?」 「今いいとこなんだよ。ガキはあっち行け」 「いいとこって、人を囲って脅してるところが、ですか? 少なくとも、彼女からしたらいい迷惑だと思いますよ。あ、そういう意味でのいいとこってことですか?」  まぁ、こういうことになるわけだ。先はある程度見えた。酔っ払い相手に話が通じるわけもないし、捨て身を使う。要は、喧嘩して勝てるわけでも、人を殴れるわけでもないからサンドバッグになるわけだ。 「は? おまえ調子乗るなよ!」  一人、また一人と暴力を振るい、僕はひたすら痛みに耐える。しばらくして、興醒めした酔っ払いたちは去っていった。  全身の痛みを他所に、作戦が成功したことに胸をなでおろした。 「だ、大丈夫ですか!」  女性が僕に駆け寄ってくる。 「僕は大丈夫です」 「……その、ありがとうございます」 「いえいえ、こちらこそ、僕が不甲斐ないせいでこんな怖い思いをさせて申し訳ない」 「そんなこと言わないでくださいよ! 結果はともあれ、あなたが私を助けたという事実は変わりません。何かお礼をさせてください!」 「いえ、当たり前のことをしただけですよ」 「当たり前だったとしても、行動に移すことは難しいことですから」  どこか大袈裟なような気もした。同じようなやり取りを数回繰り返すと、遠慮することが失礼ではないかと感じ始めた。 「じゃあ、お言葉に甘えようかな」 「ありがとうございます!」  連絡先を交換した。そして、また同じようなことが起きないために、彼女を家まで送った。 ***  その後、助けた女性と仲良くなり、告白されたのは出会ってから半年というところだった。優しくて気の利く人だし、一緒にいて居心地も良いので断る理由はなかった。明日は、その僕たちが恋人になってからちょうど三年目。この機会にプロポーズしようと計画を企てていた。  最近、デートをするたびに未来(みく)の様子がおかしくなってきていて、一つ前のデートでは思いつめた表情が僕の不安を掻き立てた。だから、今回のデートでその思いつめた表情の理由を聞きつつ、夕食後に雰囲気を見てプロポーズをする。  綿密な計画を完成させ、彼女をデートへ誘った。その安堵感と、拒まれないかという緊張感が同時に押し寄せてくるものだから、心境を表しようがない。寝ようにも寝つけない夜が続き、気がつけばアラームの音で目を覚ました。  支度を済ませ、約束の時間に余裕を持って家を出た。待ち合わせ場所に着いたのは予定の三十分前。その数秒後には未来が姿を現した。 「陽色(ひいろ)、来るの早いね」 「それは未来もじゃん。まぁ、早く来たんだし、公園にでも行こうか」  これも想定内。事前に決めておいた近くの公園へ向かった。何度か来たことのある公園だ。  自動販売機で飲み物を買ってから、近くのベンチに二人で座って缶の蓋を開けた。 「今日で付き合ってから三年だね」  未来が言う。 「そうだね」 「長いようで短かった。本当にあっという間だった……」  未来が涙ぐんだ。声もそれとなく悲しげだ。 「ど、どうした? 何かあった?」  急に彼女が泣き出したから、訳も分からずに焦ってしまう。 「違う。陽色は何もしていない。私が勝手に泣いてるだけ……。ごめんね。こんな不器用な私を許して」  今日の彼女はいつも以上におかしい。何かあったのだろうか。  間髪を入れず、彼女は僕の手を握る。そして―― 「今、私にプロポーズしてほしい。お願い!」  涙で濡れた真摯な瞳が僕の目をまじまじと見つめる。まるで、僕がプロポーズしようとしていたことを見透かしていたかのようだ。 「え、本当にどうしたの? 何かあるなら言ってよ。相談に乗るからさ」 「そういう問題じゃないの。だから、お願いします!」  僕は彼女を信用している。だから、プロポーズをしてほしいと懇願する何かしらの理由があるのだろう。そして、その理由が言えない事情もあるのだろう。ならば、彼女のために。 「わかった。み、未来……僕と、結婚してください」  そう言って指輪を差し出した。 「よろしくお願いします」 「こ、こちらこそ」  僕は彼女の細長い指に指輪をはめた。彼女は嬉しそうにその様子を眺める。  ――最後の幸せを噛み締めるように―― 「ありがとう、ありがとう。ありがとうね。じゃあ、後は陽色の計画通りにデートしよっ!」  さっきまで泣いていた未来は何事もなかったかのように笑った。何かしらの問題が解決したのだろうか。とにかく、少し計画は狂ったが彼女が喜んでくれるのならば、このくらいなんてこともない。  その後は計画通りに映画館で映画を見たり、お店巡りをしたり、散歩をして楽しい時間を過ごした。未来が時折腕時計を見て悲しげな表情を浮かべるのが気がかりだった。  順調に計画が進み、本来プロポーズするはずであった、最後の目的地である綺麗な夜景の見えるレストランへ向かっている途中のことだ。平穏で幸せな世界は真の姿を現わす。 「危ないっ!」  十字路の角から現れ、真っ直ぐにここへ走って来る、刃物を握った男性。気づいた時にはもう、数メートルしか距離がなかった。男性は刃物を僕たちに向けているのがわかる。いや、正確には未来に向けていることがわかる。  僕は咄嗟に前へ出て、未来を庇うように包んだ。  ――次の瞬間、背中に激痛が走り、めまいに襲われる。未来の悲痛な叫びが響く。ナイフが引き抜かれると同時に力が抜けたようにその場に倒れ込む。未来の声が遠くなり、そのまま帰らぬ人となる――  これが本来の結末だそうだ。でも、実際のところはこうだった。  僕が未来を庇うことをわかっていたかのように、僕を未来が庇った。僕は馬鹿みたいに背中に力を入れ、歯を食い縛り、目を固く閉じ、痛みへ立ち向かった。しかし、いくら経っても痛みを感じない。  恐る恐る目を開く。包んでいたはずのところに、未来の姿はなく、逆に僕が未来に包まれて守られていた。  鈍い音がした。それと同時に彼女は僕にもたれかかる。呆気にとられていると、そのまま走っていく通り魔の背中が見えた。  未来は背中から血を流し、呻き声を上げている。そして、地面に倒れ伏した。 「――未来っ!」  未来に駆け寄る。でも、どうしたらいいのかわからず、触ることも躊躇せざるを得ない。ただ、まだ息をして、苦しそうにしている。 「あっ! 救急車!」  百十だったか、百十九だったか少しの間思い出せず、ようやく思い出しても指は震えて思うように動いてくれない。 「陽……色、これ……」  彼女は手に持っていた手紙を僕に渡した。こんな時に手紙を渡すなんて、しかも、この状況を知っていたかのように、事前に鞄から取り出して手に持っているなんて。  少しくしゃくしゃになった手紙を受け取った。すると、彼女は無理矢理微笑んで言う。 「あ、ありがとうね……私のひーろ……」 「おい、待てよ。やめろよ……未来。まだ死ぬなよっ!」  手紙を握っていた手の力が抜けてその場に落ちた。 「未来! 未来!」  未来はそのまま帰らぬ人となった。 ***  僕は未来に助けられた。その意味を反芻する。でも、分からないことがいくつかあった。どうして彼女は死を予期していたような言動を取っていたのか。  もしかしたら、それらの疑問が貰った手紙に書かれているのかもしれない。そう思って手紙を開いた。そこにはこんなことが書かれていた。  陽色へ。  未来には『確定事項』があります。  名前のせいでしょうか、私はたまに未来が見えます。今日、この時間、陽色が死ぬことは確定していて、その死から逃れることはできませんでした。  実は、私が酔っ払いに絡まれていた時、あの場から私が逃げることはできませんでした。それが『確定事項』だったから。でも、私は助かりました。おそらく、あなたが対価を払ってくれたおかげです。  あなたにとっては醜態を晒し、とても恥ずかしい最悪な出会いだったかもしれませんが、私にとっては、本当に正義のヒーローが現れたような感覚でした。正直、私はあの時、諦めていました。これが運命だと。これが宿命だと。しかし、私はあなたの勇気ある行動に助けられました。  そして、私はあなたに恋をしました。  今まで未来が変わるなんてことを経験したことがありませんでした。あの日、私が酔っ払いに襲われることは“当たり前”だったのです。それが私の中での常識ですから。  常識を壊された時の衝撃はとてつもないもので、私はあなたのために生きることを決意しました。  だから、あなたが死ぬことを知り、私は辛くて、寂しくて、切なくなりました。あなたが死ぬ日をどう迎えようだとか、あなたの死をどうやって回避させようだとか、たくさん考えました。  そんな時、私が陽色の身代わりになればいいんじゃないかと考えました。そうしたら、陽色が死ぬことはなくなる。  陽色と会う度に、あとどれだけ猶予があるかと考えると、気が気でなかった。自分が死ぬことだって怖い。でも、初めから決めていたことだし、陽色がいなくなると想像しただけで胸が苦しくなり、とても生きていけない。  身勝手でごめんなさい。陽色なら私のヒーローでなく、みんなのヒーローになれるはずだから。だから。あなたを助ける。  最後の最後だけでいいので、私があなたにとってのヒロインになれていたなら嬉しいです。  未来より。  文面を読んでいるといつのまにか頬が濡れていた。まさか、こんなことがあるなんて、誰が想像できるだろうか。最近彼女の様子が妙に暗かった理由がようやくわかった。それで、身代わりになる前にプロポーズをしてほしいと言ったのだ。  彼女のことを考える度に涙が溢れてくる。  彼女は僕の命を守り、みんなのヒーローになることを望んだ。ならば、僕はこれからも一所懸命に生きて困っている人を助けよう。そう誓った。 「未来! 君は僕にとって最高のヒロインだったよ!」  涙を振り払うように、天へと届くように、大空へ向かって叫んだ。
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